18.それでも童貞




「――さて、先輩。もう聞きたいことはないですか?」


 俺の上にまたがったて見下ろすようにこちらを見ているさくらが、余裕のある笑みを浮かべて首を傾げる。


「せっかくのハジメテなんですから、モヤモヤしたものは全部無くして、精一杯気持ちよくなりたいですもんねー、ね? 先輩、そう思いません?」


 艶っぽく微笑して、さくらが俺の腹をそっと撫でる。


 じれったい。完全に弄ばれている。こんな状況だと言うのに、さくらの様子はいつもとほとんど変わらない。余裕がないのは俺だ。


 俺の頭の中で理性が失われていく。 

 さくらの謎はほとんど解けて、もう彼女に聞けるようなことは何もない。要するにさくらは、ずっと初めから敵だったということだ。

 

思考の渦が止まって、理性が薄れ、どうにか抑えてきた欲がせり上がる。


もう、別にいいんじゃね? と。

もう十分リヒトたちに義理立てはしただろう。それに無理やり犯されしまうもんは仕方ないだろう。

不可抗力だ。俺は悪くない。


俺の視線は、頭上で揺れているさくらの豊かな双丘とその先端に吸い寄せられている。もう外せない。ゴクンと唾を呑んだ。さくらと触れ合っている部分が熱い。身体が熱い。


「……なんで、このタイミングだったんだ」


 最後に、気になったことを口にした。


「あぁ、それはですね。先輩が『童貞』じゃないとダメらしいので。先輩があの紅葉先輩とくっついてあのままヤっちゃう前に仕掛けた、という訳です」


 そう言えば、異変が起こったのは紅葉に試着室に連れ込まれた時だった。


「――って! あんな所でヤるか!」


「えー、分かんないですよそんなのー、あの時の紅葉先輩、完全に発情してましたし」


 さくらにそう言われて、俺は俺に顔を赤くして迫って来た紅葉と、紅葉の言葉を思い出す。



――――『私、実樹のことが……――――』



 俺の自惚れじゃなければ、あの時紅葉は――、俺に――。

 紅葉……。


 俺は、紅葉のことを……――――。


「さくら……っ! 俺は」


「あ、すみません、先輩。そろそろもうわたしが我慢できないので」


 さくらの息遣いが荒くなって、熱っぽく笑いながら、俺をジッと見つめる。そして、小悪魔のようにクスッと笑った。


「いい顔しますねー先輩。わたし今、すっごく興奮してます」


 荒い息と共にそう言って、さくらが俺の下腹部に手を伸ばす。



 さくらは、このまま嫌がる俺を無理やり犯すのだ。誰も助けは来ないまま、たっぷり、ねっとりと……。エロ同人みたいに。


 だ、ダメだ……。こんなのは……だめだ……。こ、こんなのは……くっ――……、ら、らめぇ……っ、らめええええええええぇぇぇえええええええええっっ!!!



 その時だった。


 俺とさくらが乗っているベッドしかないこの謎の空間に、光の亀裂が走った。ピシッと音を立てながら、眩い光が差し込んでくる。


「……およ?」


 さくらが顔を上げて、光の亀裂が入った方を見やる。すると、その亀裂は瞬く間に広がって、遂には大きな光の穴となった。その穴の向こうには、俺がさっきまでいたショッピングモール内の景色が映っている。

 そしてそこから、一人の少女が顔を覗かせた。


 その少女の顔を見て、俺は驚く。なんとそこにいたのは、あの転校生の少女――相河ハヅキだったのだ。


 相河さんは、裸で抱き合っている俺とさくらを見て顔を真っ赤にした後、慌てたように、いつもとは違った口調でこう叫んだ。



お父さん・・・・大丈夫!? まだちゃんと童貞!?」




「…………は?」





六大欲魔セプテムクピディタース……っ? チッ、また厄介な奴が……」


 天使の翼をはためかせ宙に浮くセリスが、正面にいる悪魔を見て、苦々しい顔つきで舌打ちをした。六大欲魔セプテムクピディタース。その少女の話を信じるなら、目の前にいるのは、現在魔界国を支配している六人の特級上位悪魔その一人だ。

 セリスに視線を向けられた悪魔の少女――アモデウスは、蝙蝠のような羽を震わせながら、楽しげにクルクルと宙を回る。


「キャハッ、キャハハハハッ! ヤる!? ヤっちゃう!? キャハハッ! ワタシと遊んでヨ天使ちゃン!」


「言われなくても……たっぷりなぶってやる……っ、後悔しろ」


 セリスはアモデウスに鋭い視線と両の手平を差し向ける。


「――《吹き飛べ》」


 セリスがそう唱えた瞬間、アモデウスの身体が歪み、大気が弾けたような衝撃波がその場に駆け抜ける。


「キャハ――ッ」


 アモデウスがその狂気的な笑みを残したまま吹き飛ばされ、中空に残像の線を引きながら遥か背後にあった壁に叩きつけられた。

 壁に大きなヒビが刻まれ、パラパラと破片がこぼれ落ちる。


「セリス! 人が多いぞ! 派手な戦闘は避けるべきだ!」


 リヒトがショッピングモールの至る所に気を失って倒れている人々を見渡した後、宙に浮いているセリスを見上げ、そう叫んだ。


「大丈夫……、ちゃんと誰も居ない所を狙った」


「しかし……、くっ」


 リヒトがその時考えたのは、《流れ》への影響。あまり派手な動きをして、《流れ》を変えることはしたくない。だが、悪魔のアモデウスによって、ことは既に大事である。悪魔側も無闇に《流れ》が変わることは望んでいないはずだが、そこでリヒトは今先のアモデウスの言葉を思い出す。


――『まぁでも、何だっていいかなァ!! キャハハハハっ! 『絶対的因果』さえ『確定』してしまえば、こっちのものだもン! その邪魔だけはサせないよォ!』


 つまり、悪魔たちが望む『何か』に対する『絶対的因果の確定』の目途が立ったということか……? それさえなしてしまえば、あとは《流れ》なんかどうでもいい、と。

 あの言い方なら、まだ『絶対的因果の確定』には至っていないのだろうが、もはや時間の問題のように思えた。今最優先するべきことは、アモデウスの思惑の阻止である。


「事態は一刻を争う……。やむを得ないか」


 そう言って、リヒトは苦い表情を浮かべながら、パチリと指を鳴らす。その次の瞬間、ショッピングモール中に倒れていた人々の姿が消失した。そして、ショッピングモールの大きな建物を取り囲むように、常人には見えぬ結界が展開される。


「セリス! 人々を屋外に転移させ結界を張った! だから被害を気にせず全力でその悪魔を拘束してくれ!」


 魔法を使って意識を失った人たちを、ショッピングモールの外に移動させ、誰も入ってこれぬように、そして戦闘の余波が外に影響を及ぼさぬように結界を展開したのだ。


「リヒトは、どうするの」


「ボクは実樹あるじと母殿を探す。ついさっき二人の気配が消えた。心配だ。そのアモデウスという悪魔の思惑に巻き込まれた可能性もある」


「……わかった、こっちは任せて。リヒトも気を付けて」


「あぁ、ボクは勇者だぞ。こっちも任せてくれ、セリスもくれぐれも無理はするな」


 セリスはそんなリヒトに静かに頷きを返すと、壁に叩きつけられて大声で笑っているアモデウスの方に向かって飛翔した。





「……っ、ゆ、ゆ、り……?」


 ガンガンと頭が痛い、意識がはっきりとしない。紅葉は、そんなぼんやりと視界に映る正面の光景を夢だと思った。


 ここはさっきまで実樹と一緒にいたショッピングモールだ。それは間違いない。

 ただ、紅葉は今、薄赤色のベールのような何かに囲まれた場所にいて、その向こうにぼんやりとショッピングモール内の景色が見える。

 

 そして、紅葉と同じようにベールの内側にいるのは、親友の花咲百合という少女。

 虚ろな瞳で、紅葉の頬を愛おしむように優しく撫でて、薄く笑む百合の様子は、明らかにおかしかった。

まず、百合の頭には見慣れない小さなツノが生えていた。さらには背中からは蝙蝠のような小さな羽が覗いており、驚くことに尻尾のような何かが揺れているのが見えた。体も、いつもより心なしか大きい気がする。


「な、なにしてるの……? 百合……?」


「んー、なにしてるんだろねー、私―」


 くすくすと楽しそうに笑って、虚ろな瞳の百合がコテンと首を横に倒す。


「はーっ、ふふっ、やっぱりかわいいなぁ、もみじ。本当にかわいい、どんな格好でもかわいいよ……それに、いいにおい……いい匂いするよね、紅葉。ほんとうに、いい匂い」


 百合が紅葉に寄りかかって、胸に顔をうずめ思い切り息を吸うと、陶酔したような口調でそう言った。くすくすと笑う声が聞こえる。


「だいすき、すきぃ……、すきだよ……紅葉、もみじが好きなの、どうしようも、ないくらい、好き、好きなの、ふふっ、好きなの、ふふっ、ふふふふふっ、あははははっ!」


「え……っ?」


「うん……、うんそうだよね、分からないよね。仕方ないよ、私、何もしてこなかったし、女の子だし、だから、だからね、だから、今するの、今から、全部」


 百合は顔を上げると、壊れ物にでも触れるような優しい手つきで、紅葉の頬に手を添える。


「ねぇ? 紅葉」


「な、なに……? 百合……」


 紅葉はいつもと違った様子の百合に、十分な警戒と心配を向けながら、そう返事する。


「キス……してもいい? ちゅーしたいの、もみじと」


「だ、ダメ……だよ、百合、だって私……」


 すると、百合は今にも泣きそうに顔をゆがめた。


「どうしてダメなの? 私たちが友達だから? 幼馴染みだから? 私が、女の子だから……?」


「そ、そうじゃなくて、私……、だって私、実樹が……」


「…………」


「……百合?」


「……ふふっ、あははっ、そう、だね。そうだったね、そうだった、そうだったね。紅葉は、河合くんが好きなんだよね……、昨日紅葉にそう言われてびっくりしちゃったぁ」


 紅葉は昨夜、今日の実樹とのデートについて百合に相談した。良い機会だと思って、実樹が好きで、明日に勝負を決めたいということも話した。今日の髪形や装いだって、百合からアドバイスを受けたものだ。

 無神経に、そんな話をして――。


「まぁ、ほんとうは何となく気付いてたんだけど……。知ってて、取られたくなかったから……だから河合くんにあんな相談事を持ちかけたりもしたし、ほんとうに悪い子だよね、私。ふふっ、ふふ、悪い子に、なっちゃった、アハハハハっ」


 ゾクッと紅葉の背筋に寒気が走る。狂ったように笑っている百合を見て、異常だと思った。

 そしてその原因が、一体百合の身に何が起こったかは分からないけれど、その根本が自分にあると察した。


 ズキンと胸の奥が痛む。

 

「ね、ねぇ! 百合――っ!?」


 そう言いかけた紅葉の唇に、百合は自分の唇を押し付けて言葉を封じる。そのまま百合は紅葉の唇をむさぼるように、舌を入れて吸い付いて、ゆっくりと顔を離す。百合と紅葉の唇を繋ぐように艶めいた糸が引かれる。

 百合は満足そうに舌で唇を舐めると、妖艶に深く笑った。


「えへ、えへへへへ、しちゃった。もみじと、紅葉とちゅう、しちゃったぁ。悪いこと、しちゃった……、別にいいよね。だって、これ以外に、ないもんね。好き……だよっ、紅葉、だいすき……愛してる」


 そう言って、百合は嬉々と紅葉を押し倒すのだった。

 

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