第2話 異世界転生したらしい
視界を覆い尽くす光が晴れ、ユウリはゆっくりと目を覚ます。
頭の下にある柔らかい枕の感覚。身体を包みこむお日様の香りがする布団。質の良い寝具ら、ユウリに新しい生を実感させる。
(わたしの家のくたびれた布団じゃない)
ユウリはうっすら目を開けるて、体を起きあがらせる。
あたりを見渡すと、味わい深い木製の調度品が揃えられた部屋だった。
お姫様の部屋ではなく、金持ちの祖父母の家といった雰囲気。
(ん、女神さまにもらった子がいない?)
てっきり、転生したら近くにいるものかと思ったが、女神からもらった伝説のモフモン・モフゥーレとはぐれてしまったようだ。
──ガチャ
扉の開く音。
老婆が入ってくる。
深いシワが入っていて、見ただけで厳しそうな印象を受ける。中世美術品のなかでこんな格好を見た、とユウリは干し草運んでそう、と勝手な印象をいだく。
「春の日差しが気持ち良いからって、道端で寝てしまうなんて呑気な子ですね。見つけたのが私で良かったです。この村がどんなに長閑だからって、無用心もほどほどにするんですよ」
目の前の老婆が、自分をひろった命の恩人だと知るユウリ。ペコリと頭を下げてお礼する。
(日本じゃない……わたしに適した世界って女神さまはおっしゃってたけど……)
「お名前はなんと言うのです?」
「相原……じゃなくて、ただのユウリです」
「ユウリ、良い名前ですね。では、お父さまとお母さまは?」
「えーと……そこは記憶が曖昧でして、思い出せないです。すみません」
「そうなのですか。それじゃ、その聖女の印のことも覚えていないのですか?」
「聖女の印?」
ベッド脇を見る。
銀羊を象った綺麗なネックレスがあった。
「聖女の印を持つ者は、いずれかのシュレック教会の神殿で、聖女と認められたということ。ネックレスの名前欄には、何も刻まれていませんでしたが、これはあなたの物ですか?」
「……いいえ、多分、違うと思います」
真面目なユウリは正直に答えた。自分がどうして印を持っているのか考える。
たどり着いた答えは十中八九、かの女神のプレゼントという事におさまった。
(女神さまはどうして?)
老婆に話を聞いてみる。すると、どうやら聖女の印を持っていると、シュレック教会から様々な特典を受けられるらしいと知った。
聖女になるのはとても大変だが、その分、高い身分が保証されているらしい。
(ここが異世界だとしたら、女神さまが公認チートを? いや、でも正直に生きなさいって言ってたし、どちらかと言うと金と銀のオノ的な人格試しだった?)
ユウリはなまじ知識があるので、いろいろ勘ぐっていた。
──ガチャ
「メェエ」
「ん、この声は……?」
愛らしい声で鳴く小動物。
老婆とユウリのもとへ、扉を開けてやってくる。白きもふもふの化身であった。
微笑ましい笑顔をうかべる老婆は、その小動物をひょいっと持ちあげて「どうぞ」と、ベッドのうえに乗せてあげた。
小動物は「メェエ」とお礼を言う。
ユウリはハッと息を呑んだ。
(ヒツジだ! ん、でも、このヒツジどこかで……。ッ! うっ…ぅ、まずいっ、頭痛が、おふ、もふっ、もっふぉ、くっ!)
乗っかってきたヒツジの、愛くるしいもふもふを見た瞬間、発作が始まった。
ユウリは重度のモッフリストだ。
あまり長時間モフらないと、正気を失うやっかいな持病である。
ユウリは目の前の小さなヒツジを手にとり、顔面を押しつけ、勢いよく吸い込んだ。
鼻息は荒く、あんまり少女にして欲しくないネチャッとした笑みを浮かべてる。怖い。
(なにこのもふもふっ、白い毛が押しても押しても押し返してくるよ! もふ毛のなかにもふ毛だぁー! たまらない!)
至福の時だった。
モフ味とは世界。モフ味とは宇宙。
全人類未踏の地へ導くいてくれる。
それがモフ味だ。
人間はモフ味には決して抗えない。
これは覆せない摂理なのである。
「はぅ、すんすん、幸せ、最高っ!」
「メェエ〜♡」
ヒツジはとても嬉しそうだ。
「んっん、おほん。ユウリさん、よろしいですかね」
「……ぁ」
まっすぐと見つめてくる視線に気がつき、ユウリはヒツジを顔面に押し当てたまま、目元だけだして、老婆を見る。
険しい顔の老婆。
元から厳しそうなのに、今は3割増しで厳つさが増加してる。
「フランケンシュタインは、あなた事を気に入っているようですね。モッフはシュレック教における神の使いです。モッフに好かれることは、とてもありがたい事なのですよ」
「へえ、この世界じゃヒツジをモッフで呼ぶんですか」
「この世界?」
「あ、なんでもないです」
思わず口がすべり、フランケンシュタインに顔をうずめてごまかす。
(もふもふ気持ちい。にしても、わたしのモフゥーレはどこ? この子がモフゥーレ? そうなの? 顔は似てる気がする……でも、全然大きさ違うんだよね……うーん、ヒツジの違いってむずかしい)
「ユウリさん、その行為は控えた方がよろしいでしょう。モッフは神聖な生き物ですから、どんなバチがあたるか分かりませんよ」
「は、はい…すみません」
「メェエ」
ユウリは顔を真っ赤に染めて、恥ずかしさを紛らわすように、小さなモッフをベッドに置いて撫でる。手触りも最高だった。
(ねえ、君がモフゥーレ?)
相変わらず、自分のモフモンがどこに行ったのか気になるユウリ。
「はあ、にしても、どうしますかね」
老婆はため息をつく。
彼女はすこし思案し、思いいたった様子で、考えていた案を本人に告げることにしたようだ。
「いいでしょう。聖女の印、聖なるモッフ。その姿もですが……。私はあなたに特別なものを感じます」
のほほんとした雰囲気のユウリ。
吸い込まれそうな海の瞳に、マハトレは彼女の持つ得体の知れない、されど決して邪悪さは感じない清らかな未来を見る。
この子は何かが違う。
普通の10歳ではない。
マハトレの中で言葉にできない確信が芽生え始めていた。
「ユウリさん、こういうのは、どうでしょう。身寄りがないあなたは何かと不便でしょう。ですから、わたしが推薦者として、あなたに生活の場を与えます」
「というと?」
「ここで暮らすのです」
「っ、朝ごはんと夜ごはんは出ますか…?」
「もちろんですとも。お昼だって毎日食べられますよ」
「個室は!?」
「ちゃんと気にするのですね……この部屋より簡素ですが、与えられるでしょう」
「ペットは飼っていいですか?!」
「それは……難しいですね」
(ペットはダメか……いや、でも、普通に考えるんだ、わたし! 三食部屋付きだよ!?)
まずは条件確認。
ユウリは現実的である。
「やった! 最高…っ、では、はい、喜んで! ありがとうございますっ! おばあさん!」
「メェエ」
ユウリはベッドから降りて、フランケンシュタインを抱えたままペコリと頭を下げた。
(子供の体でどう生きて行こうか、困っちゃうところだったけど、これはラッキーだよね。女神さまがここに連れてきたってことは、これこそ女神の導き。ここでならわたしは自由に楽しく暮らせるはず……この人や女神さまが言っているモフモンが、いったい何なのか気になるけど…… まっ、あとあと調べてみればいっか)
「あ、そうでした、ところで、命の恩人さんのお名前は、なんと言うんですか?」
老婆はうっかりしていたと言った表情をして、柔らかい手つきで自身を指し示す。
「私の名前はマハトレ。聖女を引退して、各地で候補生たちを育てているんですよ」
マハトレは高位神官であり、これはシュレック教団のなかでも非常に高い役職である。
7つある神殿。その長を神官長と呼び、神官長に直接意見できるのが高位神官だ。
さらに元聖女というだけあって、マハトレの発言力は神殿の中でも特に強かった。
眉間にしわがよっているのは、彼女が置かれている立場が気苦労多いことの証明である。
そんな彼女が推薦者となる事など、この10年で一度もないことだった。異例の事態である。転生直後のユウリには知る由もないが。
(聖女。皇族みたいなもの……? あ、それすごい尊い身分なんじゃないかな……?!)
ユウリは真面目な性格だ。
目の前の優しげな老婆が高い身分なのだと知り、緊張で固まってしまった。
相席して気安く話していたおっさんが、実は天皇陛下だったドッキリを受けた気分であった。
「あぅ、はぅ、す、すみません……わたしごとき、軟弱者がベッドに寝たまま話をしていたなんて……」
「ふふ、可愛らしい子ですね。そうかしこまらなくていいですよ。この場には、あなたと私しかいないのですから」
マハトレは優しく微笑んだ。
彼女はベッド脇の聖女の印のネックレスを、ユウリの首にかけてあげる。銀色の印が窓から差しこむ陽にキラリと輝く。
「その印は肌身離さず持っておきなさい。あなたが聖女である証にはなりませんが、きっと、母なる女神モフッテモの加護を受けられるでしょう」
ネックレスを服の内側に大事にしまう。
まだ誰も気がついてないが、ユウリのネックレスは女神謹製──もってるだけで、魔力が増大する神がかった力を持っている。
世の中には、どんな手を使っても欲しがる者がいるほど貴重で価値のある装飾品だ。
肌身離さず持つのは賢いことだった。
「さあ、では、皆さんに挨拶をしましょう、ユウリさん」
「挨拶まわりですか。了解しました。ところでここにはどれくらい人が住んでいるのですか?」
「女子だけで100人は越えてる…でしょう」
「え…?」
(団地……?)
「皆が候補生です。日々、修行に明け暮れています」
「候補生? 修行……?」
「ここで暮らしていくということは、すなわち『候補生』になるの言うこと。制約が多い生活です。規律にも従っていただきますよ」
ユウリは「何それ聞いてない」という微妙な顔をする。
マハトレは怖気付いても愛らしい顔なユウリを、おかしく思い薄く微笑む。
「あらあら、言っていませんだしたか?」
マハトレは意地悪にそう言い、すぐに威厳ある顔になると「付いて来なさい」と歩きだした。
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