第3話 付き人ルーナ
少女と老婆は食堂に向かっている。
ユウリの腕のなかには小モッフ。
名前はフランケンシュタイン。かわいい。
(食べたくなる可愛さ、これは口づけ不可避だね)
「ちゅちゅちゅ」
「メェエ♪」
モッフ毛に顔を埋め、極上モフりわ堪能。
ちなみに、ユウリは定期的にモフらないと、禁断症状を起こす体質だ。
発汗、手の震え、強迫観念、幻覚、頭痛……モッフリストの悲しい性であった。
「ふう」
「メェエ」
ユウリは一時的にモフ味を摂取しおえ、顔をあげた。過剰摂取は逆に中毒を起こすリスクがあるので、注意が必要だ。
(にしても、わたし本当に異世界にきちゃったんだね)
手入れの行き届いた年季の入った廊下。
壁にかかる絵画にはドラゴンと騎士。
東京の安アパートに住んでいては、決して見ることのなかった世界の様相だ。
(新しい世界のことを知っていかないとだ)
「マハトレさん、ここは何をする場所なんですか?」
「ここはシュレック教会のもつ、孤児院の1つですよ」
「教会……孤児院ですか」
(ファンタジーっぽい)
「孤児院では身寄りのない子供を引き取り、聖職者の候補生として育てます。女子は聖女候補生。男子は神官候補生として育てられ、みなが女神の教えと信仰魔法を学ぶのです」
マハトレは人差し指をたてて、丁寧にユウリに説明した。
(つまり、わたしは聖女候補生として育てられるわけね)
ユウリには聖女というものが、一体どんな事をする人間なのかいまいちイメージがついていない。
聖女になれば、自分が幸せになれるだろうか。ユウリは自分の第二の人生をどう使うが考える。
(わたしが本当にしたいこと、見つけないとね)
マハトレは、難しい顔をしているユウリの、サラサラの黒髪をそっと撫でた。指の間を気持ちよくぬけていく柔らかい髪の毛の感触が、老婆の愛護心をいたく満足させる。
「さあ、ここが食堂ですよ」
ユウリとマハトレが入室すると、そこにはたくさんの子どもがいた。
可愛いらしい女子しかいないので、聖女候補生が集まっているのだろうと推測する。
皆、ユウリの容姿に目を見張っていた。
本人は気がついていないが、ユウリのさらさらした黒長髪と、海を内包した鮮やかな青瞳は、この世界における最上の美と評されるほどに、美しく尊いものであったからだ。
端的に言って、女神と似ていた。
マハトレはユウリの小さな双肩に、シワだらけの皮の厚い手をおいて、彼女を聖女候補生たちに紹介する。
「ここでともに聖女の修行を積むことになったユウリです。皆さん、良くしてあげるのですよ」
ユウリは緊張を感じさせないまぶしい笑顔で「よろしくお願いします」と気品よくお辞儀をする。
(あれ? わたしこんな上品な事できたっけ)
洗練された動きに自分で戸惑った。
ユウリは、まだ気がついていない。
自分の小さな体には、女神の加護が増し増しで、てんこ盛りされてることなど──。
「それでは、ユウリ、出来ることから始めましょうか」
「はい、わかりました!」
マハトレはユウリの背中を押して、近くの流し台で野菜を洗う聖女候補生のもとへ案内した。
その子をみて、ユウリはこれまた可愛い子だなと、満足そうに鼻を鳴らす。
中身におっさんが入っている訳ではない。
銀色の髪と黄金の瞳が綺麗な美少女だった。濡れた手を拭いて、ごくりと生唾を飲み込んでいる。
緊張しており表情は硬い。
「あなたは確か、主人のいない、付き人でしたね」
「は、はは、ファイ……っ!」
少女は銀色の髪を揺らし、直立して気をつけをした。
マハトレが頭を抱えて記憶をさぐる。すぐに諦めたように「名前は?」とたずねる、
「る、る、ルーナです!」
「ああ、そうでした。では、ルーナ、これからあなたをユウリの付き人に任命します」
「ひぃいー!?」
「あとでアウラ神父には私から伝えておきますから。全霊を賭して主人につかえなさい」
「は、はひぃぃ! あわわ、なんと……っ、ああ、あ、ありがとうございますっ!」
ルーナはわちゃわちゃしながら、ガバッと勢いよく頭を下げた。可愛い生き物だ。
シルクのように輝くショートカットの銀髪が、パラパラとほぐれ垂れる。
聖女たちには世話係 兼 護衛者、すなわち『付き人』が身辺を固め、生活を手助けするのが世の常だ。
付き人は幼い頃から聖女自身とともに育てられ、お互いに信頼と絆を積みあげていく。
マハトレはあとのことをルーナにまかせて、部屋を出て行く。
「あ、あの、よよ、よろしくお願いします……! ユウリさまっ!」
ルーナは高揚した顔で敬礼する。
ユウリは薄く笑い、ルーナの手をとって握った。
(こんな可愛い子がお世話してくれるなんて、ここは天国かっ!)
ユウリ大歓喜。
やはり、中身におっさんが入っているのかもしれない。
(んっん、でも、聖女候補生としての威厳を失わないよう接していかないと。部下に舐められたら、上司は務まらないからね!)
「こほん、よろしくお願いしますね、ルーナ」
「はひぃ!? ルーナ?! 距離詰めすぎでは! 呼び捨てしてもらえるなんて、そんな私ごときが恐れ多いです…! 私のことは野菜の切れ端とお呼びください!」
「そんな呼び方しませんよ」
「っ、皆、そう呼ぶのに……」
「それイジメられてません?」
素直に心配になるユウリ。
(にしても、この子、可愛い…)
ルーナの表情がコロコロ変わるものだから、ユウリはついつい口からよだれを垂らしそうになる。
ユウリは可愛い女の子も大好物だ。
「あっ、いけない、んっん! ダメですからね。わたしは断固してルーナのことをルーナと呼ばせていただきます。異論は認めません」
「そ、そんなぁ……」
「さて、それじゃ、わたしは何をすればいいんですか、ルーナ」
「ハッ……そ、それでは、ユウリ…さま、まずは、このジャガガイモを洗ってくださいますか?」
ルーナはぷるぷる震える手で、うやうやしく差しだす。既にツルツルになるまで洗われた、ジャガイモらしき野菜だ。
(じゃがいも、だよね……)
ユウリは「ジャガイモの間違い?」と聞きかえす。
ルーナは「ぃ、いえいえ、ジャガガイモです…」と恐縮しまくりながら訂正。
「そうですか。ところで、これはもう綺麗ですけど……そっちの、まだ土がついてるやつを洗った方がいいんじゃ──」
「はぅ! ユウリさまに、こんなどろんこジャガガイモを洗ってもらうのは恐れ多いです……!」
「そう? それじゃ、ジャガガイモの皮を剥きますね。それくらいなら、わたしにも出来ますからね」
「だぁああ?! ユウリさま、ピーラーを使うなんて危ないですよ……! それは私がやります! 主人の命は私が守るのです!」
「ピーラー使うだけですよ…?」
「その油断が大敵なのです!」
「……そうね。それじゃ、包丁でジャガガイモを切っておきま──」
「あああーっ?! そんな危ないことしちゃダメですってばーっ! だだだ、大丈夫ですか?! け、怪我ありませんかッ、ユウリさまっ?!」
「……」
(何もできない……)
ルーナはユウリからピーラーも包丁も取り上げて、涙目で玉の柔肌に怪我をしていないか心配してくる。
高級なジュエリーを扱うがごとき、決して大切な主人に傷をつけまいとする手つきだ。
ユウリは何故、彼女がこれまで主人を持てなかったのか、はやくもその一端を垣間見たような気がした。
「怪我してないです。大丈夫ですよ、ルーナ。料理するのは……すこしだけ早かったかもですね。わたしはこっちで見学してます」
「はいっ! ユウリさまは、そちらで私の調理を見ていてくださいませ!」
ルーナは高揚した顔で鼻を鳴らして、主人に良いところ見せるべく、張り切りはじめる。しかし、それは悪夢の始まりだった。
軽快にピーラーを動かして、指をきり、包丁を振り回して、指をきり……刃の達人ルーナのいる流し台は、少々、赤くそまり過ぎてしまった。
ユウリは冷や汗をかきながら「だ、大丈夫ですか?」と近寄る。ルーナは涙目で「ぜぇじぇん、へいきでしゅ……!」と痛みを堪えた。まったく平気じゃない。
「ルーナさんは本当は優秀なんだけど、やる気がからまわりしちゃうタイプなんです」
背後から声がかけられる。振り返れば、大人の女性が立っていた。
黒い礼服を着ている。前世の相原友里と同じくらいの年齢、若く柔和な印象の婦人だ。
「こんにちは、ユウリさん、私の名前はアウラ。神父です。この孤児院の責任者で、かつ候補生たちを監督している者です。これからよろしくお願いしますね」
この世界では神父とは役職の名前であり、女性でも神父の肩書き名乗るもの。
彼女こそが本孤児院の候補生たちをまとめる直々の教官だ。
話を聞いて、自分を救ったマハトレは、神父よりも上の階位をもつ聖職者だったらしいと、ユウリは知った。
(おばあさん、やっぱ偉い人だったんだ)
「これからよろしくお願いします、アウラ神父」
「よろしくお願いしますね、ユウリさん」
アウラ神父は柔らかい笑みを浮かべる。
おっとりとしていて、本当に人を指導できるのか、と疑わしい印象だ。ユウリは教官と言っても、さして厳しくないのだな、と考える。
その考えは5秒で覆された。
「おや、皆さん、手が止まっているようですねぇ……? 晩餐にされたい人からさばきましょうか?」
「「「ひぃ、ごめんなさいッ!」」」
アウラ神父のドスの効いた問題発言に、聖女候補生たちは喉を引きつらせ、いっせいに料理の手を再開させる。
目の前の穏やかな婦人の目つきの変化に、ユウリは恐怖をいだき、ペコリとお辞儀して、音速でルーナのもとに戻った。見てはいけないものを見てしまった。
(心臓に悪い……SUN値削られた……頭痛してきた……はやく、モフ味を摂取しないと…正気を失っちゃうよ!)
「ユウリ、ユウリさまぁ〜……!」
「あ、そうだ。ルーナの手、傷だらけだったのでした」
涙目で助けを求めてくるルーナ。
ユウリは「任せておきなさい」と頼りある顔つきで優しく手を添える。
(この手、何とかしてあげたいな)
優しい心の声を、天は聞き届けた。
ユウリの頭のなかに不思議な紋様のイメージが浮かびあがる。体のなかを清浄なる魔力が駆け巡った。彼女はそれが何なのか、見当がついていなかったが、その力が持つ可能性にはセンスで気がついていた。
ユウリの体のまわりに、キラキラした輝きが現れる。自然界に存在する精霊たちが活性化しているのだ。頭のうえに、天使の輪のようなちいさな魔法陣が展開された。複雑怪奇な紋様が刻まれた、青白い神秘的な輝きには、羊の象形文字が随所に見られる。
幻想的な神秘現象は、幸か不幸か、誰にも見られていなかったが、唯一、目の前の付き人だけは目撃していた。
「ぅ、ぅ、ユウ、リ、さま……?!」
ユウリは、ただひたすらにこの不思議な力にカタチを与えようとした。
彼女の使う奇跡のチカラ。
それは癒しの奇跡と呼ばれる、常人では見ることすら叶わない信仰魔法の片鱗だ。
(痛いの痛いの、とんでいけー!)
ユウリが祖母によくやってもらったおまじないを唱えると、ルーナの手に出来た切り傷に、煌めく光の粒が収束していった。
癒しの波動にじんわりポカポカ温かくなる手。ルーナは頬を赤く染めて、その気持ちよさに身を委ねる。
「傷が…っ、治っていきます……!」
ご主人の偉業にルーナの背筋に雷が走る。
聖女候補生を始めた初日。
しかも、最初の授業。
否、授業かも疑わしい昼食作り。
はやくも信仰魔法を成功させる。
イコール、稀代の天才魔法使い・ユウリ。
「ひゃああああ〜?!」
ルーナはほっぺたを押さえ、口を驚愕に開けて変な声をだした。
信仰魔法は本来、聖女クラスの一流の聖職者のみに許された奇跡の技。
どれほど才能があっても、習得までに最低でも1年はかかり、技を成熟させるには、数年にわたる勤勉な修行が必要だ。
シュレック教会の秘儀だ。
易々とマネはできない。はず。
「ふわぁ……おや、ルーナのお手手が綺麗に……ふふ、やっぱり可愛いんですから、傷なんてないほうがいいですよ♪」
「メェエ」
「あれ、フランケンシュタイン…いつの間に…帰ってきたんですか……わたし……なんか眠くなりましたよ…ちょうどモフ味を摂取したかったので、ナイスタイミングです」
「メェエ」
ユウリは疲れてしまったようで、フランケンシュタインを胸に抱きしめ、椅子に座った。そして、そのまま顔面に真っ白なモッフ毛を押しつけながら、眠り始める。
椅子に座って2秒の早業昼寝である。
「ぇ、ぇ、ぇ、どうしよぅ……!」
ルーナは尊すぎる瞬間を、他の誰かが目撃していないかキョロキョロあたりを見渡す。
良い物を見たあとは、動画や掲示板やSNSで感想を共有したくなるあれだ。
ルーナは行き場のない感動に打ち震え、恐れ多い気持ちになる。
とにかく何かして、差し上げたい。
そんな気持ちから薄い胸のまえで必死に羊印をきって「ああ、ユウリさま……っ!」と、眠りについた主人に祈りを捧げ始めた。
初日からユウリの崇拝度は、ぐんぐんとあがっていくのだった。
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