第6話 教典とホタル


 転生から2週間が経過した。


「ユウリさまー、起きてくださーい!」

「わたしはレジスタンス……これは早朝に叩き起こす付き人への抗議活動なのです……」


 ユウリはかけ布団を決して離そうとしない。


「馬鹿なことおっしゃらず、さあっ! はやく、起きてくださいー!」

「いやです」

 

 ルーナは思う。

 ダメだ。今日も頑固だ。と。

 

「メェエ」


 フランが朝の挨拶まわりにやってきた。


「あ、ちょうといいところに、来ました、フランケンシュタイン!」


 ルーナは最終兵器として、フランをがしっと鷲掴みすると、ユウリの顔のあたりに置く。

 すると、かけ布団を掴んでいた彼女の手の力が弱まり、フランを捕まえて布団のなかへ引きずり込んでしまった。

 まるで、蛇の巣穴に獲物が引きずり込まれるような絵面だ。


「ふっふふ、かかりましたね、チャンス!」

 

 ルーナは思いきり、かけ布団を取っ払う。

 そして、ベッドのうえで極楽の顔つきで、フランを全力モフりする主人の姿を見つけた。


「もふもふ、もふawmd@#!"pdw〜!」


(もふもふ、朝からふわっふわ最高〜!)


 もふもふの前では、まるで聖女でなくなる主人にルーナはやや呆れた顔になった。


「レジスタンス活動はどうしたんですか?」

「あ…………んっん、わたしはレジスタンスです。付き人の暴挙は許せません!」

「とりあえず、フランを置いてから話していただけますか、ユウリさま。そんなキリッとされてもモフったままだと威厳ないです」

「これもレジスタンス活動の一環です。断固拒否します」


 どうにも締まらないレジスタンスだった。


「メェエ!」

「わわわっ!?」


 と思いきや、突如としてフランがジャンプしてルーナの顔に『たいあたり』をかました。

 いきなりの事にルーナは避けれず、コロコロ転がって壁に頭をぶつける。


 その衝撃で崩れ出す本棚。分厚いハードカバーの本がルーナをビシバシ直撃して埋めてしまった。

 最後に重木の本棚自体がルーナを潰すことで、すべてはおさまった。


 大惨事である。


「ルーナぁあああ?!」


 ユウリは思わず悲鳴をあげる。


 フランはのんびりとお座りしている。

 殺人の自覚はなさそうだ。


 ユウリは絶対に死んだと思いながら、何とか本棚の下からルーナを探した。

 

「だ、大丈夫です、ユウリさま!」

「ルーナ!」


 本棚のしたから、ルーナが這いずって出てくる。


(生きてた!)


 すこし汚れてしまってるが、彼女はどこも怪我をしてるようすはなかった。

 もっと言えばアザひとつ出来ていない。


 これはユウリの掛けた祝福の効果だ。

 本来はイジメに傷ついて欲しくない願いが具現化したものだが、どうやら物理的にも彼女の強度はあがってしまっていたようだ。


 その後、ふたりは物音に飛んできたアウラ神父を安心させ、ともに本棚を片付けた。


 ちなみに、フランは死ぬほど怒られ、お仕置きに死ぬほどモフられてしまった。、



──────────────────────────────



 候補生たちには規則正しい生活がある。

 早朝に起床、その後の朝食が終われば、朝のお祈りがあり、日々の修行がはじまる。


 奇跡に関する学びは午前に集中していた。

 日程により、午後も勉強する事もある。


 午前のこれらの修行は、その多くが信仰魔法行使のために役割を果たしている。

 聖女候補生たちはシュレック教典で覚えた章と節を、信仰のチカラを高めるための詠唱式として使い、奇跡の現界をなすことが最終目標だ。

 

 自然とシュレック教典の文字列は、信仰魔法と深く結びつき持つことになり、壁と床、天井にあらかじめ専用の聖文字か刻まれた『聖刻広間』での教典音読のでは、奇跡の出現が、足音を聞かせるほど近くなる、


 ただいま、聖刻広間には複数人の候補生の詠唱により、聖なる光の粒がたくさん出現している。

 この青白い光の粒は、精霊と考えられており、一般に『ホタル』と呼ばれている。

 あたりのホタルが多いほど、聖なる力が高まっている証拠だ。


「生まれ生を得たのなら、それだけで貴方は貴方を誇り、死して生を置いたなら、それだけで貴方は貴方を尊ぶ──」


 聖刻広間にはまんべんなくホタルが飛んでいるが、なかでも特にホタルが群がってるのは、ユウリの近くだ。異常な数が、ユウリを取り囲むようにくるくる周りを飛んでいる。


 聖女候補生たちはユウリと、大量のホタルが気になって気になって集中できてない。


 ユウリクラスタの少女たちは尚更だ。


(ふふ、わたし思ったより勉強できるかも)


 周りの気も知らずに、集中してるユウリは気分良くページをめくっていた。


 その度にホタルが増えていく。

 

 まわりの聖女候補生たちは、ユウリの速読にもギョッとするばかり。

 ホタルだけじゃない。驚愕するべきは音読の速さだ。女神の加護で高速詠唱を身につけているせいで、とてつもない早さなのだ。


 ぶつくさと形良い口で呟いているので、たしかに音読しているとはわかる。

 わかるのだが、何がなんでもページをペラペラ開いて読み走り、すべてが速過ぎる。


「ユウリさん」

「──はい?」


 ユウリは教典に落としていた視線をあげる。ホタルが一斉にどこかへ散って行った。


 アウラ神父は続ける。


「この教典はシュレック教の神聖なる書物です。一節一節に大事な意味がこめられています。そして、それは私たち人間とモフモン、女神との確かな繋がりなのです」

「はい、心得ていますとも、アウラ神父」

「章ごとに暗記をし、段階的に覚えるよう伝えたのは覚えていますね。あなたが読んでいるのは、すでに第三章の後半ですよ?」


 そう言われて、教典を見下ろす。

 

(第四章の初めまで覚えたんだけどな…)


 ユウリにとっては、今読んでいるところもすでに暗記した箇所の復習のつもりだった。

 というのも彼女は根っからの真面目屋なので、いつでも教典を持ち歩き、隙あらば目を通してるのだ。

 高校受験での失敗で、英単語帳を持ち歩きした習慣が思い出され、生かされていた。


 アウラ神父の視線にうながされ、他の聖女候補生たちが固唾を飲んで見守るなか、ユウリはシュレック教典を暗唱することになった。読めるものなら、読んでみろとのこと。


(ふふ、アウラ神父、疑っていますね?)


 ユウリは好戦的な目で受けて立つ。


 パタンっと閉じて、瞳も閉じた。


 候補生たちはみな、自然と小声の音読をやめて、ユウリの試練を見守る姿勢になった。


「  星から削った星の文字 

          羊が運んだ神の文字

 意志が選んだ人の文字 

       森から淀む獣の文字

  大地に骨を打ち

      空に神を観て

          海を開闢せん

    豊穣は誉れ、堕落の穢れ───」


 昨晩の雨漏れが、水滴の響きを聖刻広間にもたらす。緊張した空気に、ユウリの深海の調べが反響する。ホタルが再び姿を現しはじめた。空間内の聖なる魔力が密度を増す。


 ユウリの音読は独特だった。

 ゆらゆら揺れる、異なアクセント。


 心ここにあらずとも言うような、不思議な声の抑揚に皆、打ち震える。


 ただ、実際は禁断症状と戦っていただけだが……。


(くっ、こんな、ときに発作がっ、くっ、くっ、もふもふ、幻覚が見える……っ、フランケンシュタインのもふもふ、白い、てくてく歩いて、3倍もっふ、おっふ、ふわぁ!)


 もふもふに精神支配された人間の末路だ。


 左手で右手の震えをおさえ、頭のおかしい人だと思われないように、意識をしっかり保つため、彼女はアクセントを強調していた。


 その結果、奇跡的にも、音読に合わせ、ホタルたちが飛び方を変えたりしたので、ユウリの神秘性は何倍にも増幅されていたのだ。


 キラキラ輝く内側で、魔力を高めながらユウリの海の調べのような詠唱は続く。


 聖女候補生たちの多くは、あまりの教典音読の素晴らしさに涙を流す者まで現れたはじめる始末だ。


 やがて、ユウリは禁断症状に耐え、楽しげな心持ちで第一章の暗唱を乗り越えた。


(はは、モッフが飛んでる……わたしも、もふもふになって、飛んでる……ひひ)


 ユウリの心の声は誰にも聞こえない。


 たちが悪いことに、豊かな感受は聖なる力と結びついて、あたりに影響を与えていた。

 

 遠目に見ていたユウリオタクの候補生ホシは、大満足の表情で寝落ちしている。薄緑髪をバサッと広げての堂々たる寝落ちだった

 他のユウリクラスタのメンバーも同様に「良いもの見れました…」と悔いのない顔で気絶していく。


 これは無意識に発動していた、共感共鳴の信仰魔法により、ユウリの幸せな気分がみんなの感覚とリンクした結果だ。皆が寝たのはそれだけの多幸感に包まれたからである。

 なお、幸福の源泉が禁断症状で見ている幻覚だとは、知らぬが花というやつだろう。


「はぁ……やっと、終わった…」

「お疲れ様でした、ユウリさん」


 ユウリの頭のうえの、小さな小さな、天使の輪のような魔法陣がゆっくりと紐解かれて消えた。光る塵となって魔力が還っていく。


 アウラ神父はかつもくして、魔法陣の消失を見届け、胸のまえで厳かに羊印をきる。


「どうでしたか、アウラ神父」

「よく覚えられていますね。よかったら第二章も聞きたいところですが、これ以上は、ほかの皆が耐えられないでしょう」


 目がとらんとして、聖女候補生たちは今にも寝そうだ。

 かくゆうアウラ神父も、もう一節でも、ユウリの詠唱を聞かされたら、膝を折ってしまいそうだった。「くっ、読め…ッッ!」とか言っちゃいそうだった。くっよめ。


「こほん…では、明日は第二章の暗唱、よろしくお願いしますよ、ユウリさん」

「…はい、アウラ神父」


(やばぃ、モフ味欠乏、限界だよ……)


 ユウリは虚な眼差してお辞儀する。


 頭のなかはともかく、気品あふれる仕草一つ一つは、すべてが完璧である。

 アウラ神父は「これはすごい聖女になる」と内心で思いながら、一方で、彼女の残念すぎる一面を嘆いた。


「メェエ」

「──ッ!」


 どこからともなく現れたフランケンシュタイン。孤児院のなかを自由に散歩中だ。


 瞬間、それまでこの世の尊さの極みに至っていたユウリの目つきが変わった。


 それは人間ではない。

 ケモナー侍の眼だった。

 

(もふもふ、もふもふ、もふもふ……ッ!)


 猛烈な衝動がユウリを襲う。

 それは空腹の獣が、目の前に肉をたらされるのに等しい激しさだ。


(くっ、くっ…うっ、だめ、無理、クッ、カワイイ……ッ!)


 ケモナー侍はフランを鷲掴む。


「はぁ、はぁ…はあ、いただきます…ズズゥゥ…もふもふっ! すんすん、くんくん、スゥはっ……スゥはっ、スゥは!」

「メェエ〜」


 ユウリはモフッた。

 果てしなくモフッた。

 フランからモフ味を大量に吸引し、大満足な表情だ。禁断症状が緩和される。


 小さなモッフのフランは、ユウリとのスキンシップに大変嬉しそうであった。

 みずからふわっふわの白いお腹を差し出して、ユウリに吸われにいく。


(自ら差し出すとは殊勝な態度。気に入った!)


 ケモナー侍のスイッチがまた入る。

 隙あらばモフる。


「流石はユウリさんですこと、ああして体を張ってまで、拾われたモフモンの幸せに尽くすとは……!」

「うぅ…これが聖女になる器を持つ候補生の振る舞いなのですね」

「わたくしたち、ユウリさんからたくさん学ぶ事があるみたいですわ」


 聖女候補生たちが一部始終を目撃し、決意を瞳に宿す。ユウリのようになろう、と。


 幸いな事に、まだ誰にも、ユウリが毛並みに発情する変態であることはバレていない──アウラ神父をのぞいては。


「はあ……女神モフッテモさま、何事も完璧なんてないということでしょうか」


 アウラ神父は、残念優等生なユウリの、今後に山積する課題に、ため息を漏らした。


「むふふ、フランはお日様の香りがしますね、日向ぼっこして来たのですか〜?」

「メェエ♡」

「そうですかそうですか。やっぱり、フランはお腹が好きなんですね」


 いつの間にか、モフモンと会話できるようになってたユウリ。


(お日様フランはたまらないなぁ。この幸せに包まられて深い眠りに落れたらなぁ。必殺・モフ催眠とかね…あーあ…この香りがずっと続かないかなぁ〜)


 ささやかな祈りだった。

 だが、素直な気持ちでもあった。


 奇跡の行使によって、潤沢な魔力に満たされていた聖刻広間は、女神の加護をもつユウリの願いを叶えんと動きだす。


 聖なる精霊ホタルたちがふわふわとフランの周りを飛び交い、舞い始める。


「メェエ〜」

「──」

「メェエ♪」

「──」


 やがて、ホタルとフランは楽しげにお話をして、ユウリの聖なる奇跡をほどこされることを彼は快諾するのであった。

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