第7話 真夜中のロマンチスト


 聖女候補生の多忙な日間スケジュールは、夜のお祈りによって締めくくられる。


 すべてを乗り越えた午後7:20以降は、消灯の時間まで、候補生たちは各々が自由な時間を過ごすことが許される。


 1日の終わり、アウラ神父は孤児院のなかを一通りチェックして、全ての部屋に鍵をかけてまわる。

 今日も不審なことはなく、全部の部屋まわり終えた。


「さて、そろそろ、日誌をまとめますか」

 

 神父室に戻る道中、小さな背中を見かける、

 

「ユウリさん、おやすみなさい」

「あ、アウラ神父! おやすみなさいです♪」

「おや、ずいぶん楽しそうですね」

「ふふ、そうですかね? それは、食堂のモップかけから解放されたからですね、嬉しいに決まってます、えっへん」


 ユウリは淀みなく答え、ぺこりと頭を下げて部屋へと戻っていった。

 アウラ神父は思う。ユウリという少女は、夜になるとウキウキしてると。それは、この2週間ずっとのこと。

 ならば、あの笑顔は、ほんとうに食堂のモップかけから解放された事が理由なのか…。


「まあ、いいですしょう。彼女のおかげで食堂は清浄な気で満たされています。それに、ユウリは将来有望な候補生ですからね」


 アウラ神父は、今朝、孤児院の様子を見に来たマハトレとの会話を思いだす。あのマハトレ上位神官が気にかける存在。そして、あの悪を知らない綺麗な青瞳、女神のような可憐さ……厳しいことで有名なアウラ神父でも、すこし甘くなるのは仕方なかった。


 ──その頃

 

 部屋に戻ったユウリは外套を着て、外出の準備をしていた。


「ユウリさま、本当にいくんですか……? 脱走はバッチリ規則違反だとわかっていらっしゃいますか?」


 ルーナが不安そうに何度も聞く。

 

「当たり前田のクラッカーですよ」

「あの…何をおっしゃてるのですか、ユウリさま?」

「気にしたら負けです。さあ、準備は完了です。わたしたちの冒険に出かけましょう」

「ゆ、ユウリさま……っ!」


 ユウリは部屋の窓を開けて、ぴょんっと外へ飛び出した。手には夕食の残りを、信仰魔法で祝福した聖なる布に包んである。


「残飯を包むために、信仰魔法を使うなんて絶対なにか間違ってると思いますって!」

「でも、すごく便利なんですよ? 腐らないでくださいって祈れば、保存食の完成なのですし」

「はあ……もう、ユウリさまは怖いもの知らずにも程があります……! もっと世間を怖がってください!」


(今のところ一番怖いのはイジメかなぁ…)


 被害妄想はまだ解けない。


「むっ、危ないです、ユウリさまっ!」


 キリッと顔を引き締めたルーナが、ユウリの前へ出る。彼女の視線の先には犬小屋があった。


「あれは孤児院の番犬……人呼んでミスター・ワンの小屋です……っ、ユウリさま、彼がいる限り、候補生は夜中を自由に歩くことはできません……!」


 ルーナは悔しそうな顔しながら、ユウリを部屋に連れ戻す口実ができてホッとする。


「さあ、帰りましょう、ユウリさま。やはり無謀な挑戦──」

「ミスター・ワン、お夜食もって来ましたよ」


 ユウリは犬小屋に近寄る。

 横を華麗に通り抜けられたルーナは、グワッと勢いよく振りかえった。


 ミスター・ワンが小屋からひょこっと顔を出して、たまらなく嬉しそうに尻尾をふって、ユウリに飛びついていくのが見えた。

 ユウリは満面の笑みで、ミスター・ワンの喉をかいて、頭を撫でてあげている。


「ガブン、ガブ、ガブンっ」

「あはは、くすぐったりですよ。こうなったらお返しでs…すんすん、すんすん!」

「ガブブン、ブンっ♪」


 嬉しさ爆発。

 ミスターの興奮で鳴き声が漏れ始める。


(まずっ)


 唇に指を立てて、ジェスチャーを送る。

 ミスター・ワンはとたんに静かになった。


 彼はガブーンと呼ばれる土属性のモフモンだ。孤児院の頼れる番犬として現役活躍中。侵入者や、候補生の夜中の外出などを抑止する役目がある。……本来は。


「よーしよしよし、良い子良い子ですよ」

「ガブブン、ガブブン、ガブン…っ」


 名誉ある孤児院の番犬は、完全にユウリの手腕に陥落し、餌付けされていた。


 これは女ユウリ自身がもつ天性の才能だ、

 日本では発揮されなかったカリスマが、異世界に来て爆発してる事を本人は知らない。


「私は撫でさせてもらうのに、1ヶ月かかったのですが……くぅ……流石はユウリさまです……っ!」


 ルーナは注意しなきゃと思いながら、ハンカチで涙をぬぐい、自分の主人の偉大さを噛み締めた。


「それじゃ、ミスター・ワン、また後で会いましょう」

「ガブガブン!」


 ユウリは犬小屋を離れる。

 ルーナもあとに続いた。

 少女たちが目指すのは裏庭と隣接してある森の奥だ。



 ──しばらく後



 夜の森のなか。

 ユウリはかつてを思い返す。

 修学旅行の夜だった。

 監督の先生たちが晩酌をはじめたのを見計らって、友達と宿を抜け出して、肝試しをしたことを。

 

(なんだか、わくわくして来ちゃったな)


「ルーナ、楽しいですね」

「はい! すっごく楽しいです、ユウリさま!」


(可愛い女の子とふたりで肝試しかぁ…おどろかしあって、じゃれあいたいなぁ…)


「ルーナ、ちょっと、つつき合うゲームしませ──」

「あぶないっ! 木の枝が落ちてます! ユウリさま、油断してはいけません! ささ、私から離れないようお願いします!」

「……わかっていますよ。ルーナは過保護なのてすから」


(大袈裟すぎだよ、むぅ)


 ユウリの周りを忙しくなく動き、全方位を警戒し続けるルーナ。近づくなら蚊でもはたき落とし「さささ」と口にだして動きまわる。

 ただ、あまりにも忙しく動きすぎて、やがて目が回ったらしく、ふらふらと地面に倒れこんだ。わりあいとアホであった。


(あぅ、もう、なんて可愛いことしてくれてんですか……っ、勘弁して、これ以上、好きにさせないで…っ)


 ユウリは胸にトキメキを感じて、倒れたルーナを抱きかかえる。細く、冷たい月明かりが頼りの、暗い森のなかは、想像容易にロマンチックだった。


 あれ、ちょっと、いい雰囲気? 

 ルーナは馬鹿な事を考えていた。


 目をパチクリさせて、夜風の吹き抜けていく主人の綺麗な黒髪が揺れるのを見つめる。

 そして、海の青瞳が自分だけを見つめてくれていることに、頬を染めて高揚した。


 ユウリは優しくルーナの銀色の髪をなでて、顔を近づける。ルーナは「いけないっ!」と思いながらも、ハッと息を呑んだ。

 

「あーん、食べてください。はい、ごっくん。よくできました」

「もにゅもにゅ、こ、これは?」

「状態異常:混乱を治す効果のある、新鮮なレンソソウです」


 ほうれん草ではない。


(やった、効果はバッチリっぽい)


 落ち着いてきたルーナ。

 ユウリはぎゅっと小さな拳を握る。


「けほけほっ、レンソソウ!? 孤児院では育てていない野菜のはずではありませんか?」

「ふふ、わたしを誰だと思ってるんですか」

「っ、そうでした、ユウリさまは将来有望な聖女候補生!」

「そうです、モフモンマスターを目指す者なのです。モフモンに効果ある野菜たちは、学んで、フィールドワークで採集してあたりまえですとも、えっへん」


 ルーナはポカンとした顔になり「フィールドワークですか?」と聞き返した。

 孤児院の授業にフィールドワークと呼べる科目はなく、唯一の例外がユウカリ博士とともにいく、モフモン観察くらいだ。


「今、フィールドワーク中ですよ」


 ユウリは言う、

 ニヤッと無邪気に微笑みをつくる主人。

 ルーナは言葉の意味をさとった。

 この主人、実は罰を受けていた1週間目も、罰の延長されて2週間目も、毎晩、フィールドワークという名の脱走をしていた。


 ルーナは変態だが、ユウリも奇行種だ。

 お互いにお互いの事を、残念な美少女と思い込んでいるふたりの主従の図は、滑稽なものがあった。


(まっ、わたしのはモフモンに会うためだから、仕方ないよね。正統性あるもんね)

 

 このユウリに、反省する気はない。


「むむ、あれはモフモンではないですか?」


 ユウリは森の奥へと進む。

 木の近くで座りこみ、草むらを見つめた。

 草むらから見つめる瞳がふたつ。

 ユウリはにこやかに笑って、手招きする。


「こっちへおいで、何もしませんよ」

「オニャ」


 可愛らしい鳴き声が聞こえた。

 声の主人は草むらの中から、フミフミ肉球の足音をさせながら出てくる。


 二足歩行の猫だった。体は紺色で、ふわふわの体毛に包まれている。瞳は緑。身長はしゃがんだユウリよりも小さい。わずか60cmほど。猫の小人というべき姿だ。

 特徴的なのはもふっとクルッと巻かれた尻尾。

 そして、2つ折りに畳まれた長いお耳だ。


「これはオニャニクスですね! ユウカリ博士の研究所で教えてもらったやつです!」

「……え?」


 ユウリは目をキラキラ輝かせる。

 ルーナは主人の聞き捨てならない言動にほうける。ユウカリ博士の研究所がなんだって?

 

「オニャニャ、オニャ」

「よーし、よしよしっ、何もしませんからねえ〜」


 ユウリはしゃがんだまま、ゆっくりオニャニクスとの距離を詰めていく。


「体毛の色的に男の子のようですね」

「ユウリさま、わかるのですか?」

「ええ、もちろん。オニャニクスは男の子と女の子で、姿も性格も違うんですよ」


 ユウリは自慢げに解説しながら、オニャニクスに手を伸ばす。サファイアより輝くユウリの青瞳に、オニャニクスは目を奪われた。


 その隙を侍は見逃さない。

 彼女はオニャニクスの頭に手を乗せた。


(うっわぁ、なにこのもふもふ…つら。一瞬で尊さ5000兆点だよ、無理だって…)


 ユウリの手が震え始めた。

 呼吸が荒くなり、額から変な汗がでる。

 

 ユウリは「ぬへへ」と聖女候補生がしてはいけない笑みを浮かべながら、オニャニクスの両脇に手を差しこみ持ちあげた。

 

「オニャ」

「大丈夫です、大丈夫ですよ、なにもしませんから……ズズゥゥゥ!」

「オニャぁあ?!」


 オニャニクスの驚いた鳴き声。

 ケモナー侍による、モフ味のバーゲンセール市場:腹部への吸引行為はとまらない。


 ルーナは「ユウリさまあ! おやめくださいー!」と慌てて両者を引き剥がそうとする。

 だが、吸引力の変わらないユウリは、オニャニクスから離れない。


「はぁ…はぁ…最高っ…最高です…ッ、スンスン、くんくん、良いですよ、ちゅっちゅっ」


 口づけまでし始めた。

 それでも、オニャニクスは抵抗しない。


 むしろ、満更でもなさそうに、気持ちよさそうにしている。ルーナだけが主人の奇行を止めるため必死だ。

 

 なにこれ。

 おかしいのは私のほうですか?

 ルーナは現実を疑い始める。


 ユウリは一通り吸い終わり、撫でおわった後、頬を赤く染めて満足そうな顔で、オニャニクスをおろしてあげた。


(ごちそうさまでした)


 しっかりと手をあわせる。


「ありがとうございます、オニャニクス」

「オニャ♪」


 お礼も言える。

 禁断症状を抑えて、優等生のユウリが帰ってきたのだ。脱走中だが。


「さて、それでは、そろそろ帰りますか。今宵のフィールドワークはこれくらいです」

「賢明な判断です、ユウリさま! これ以上の夜更かしは明日に差し支えます!」


 ユウリ達は孤児院へ戻ることにした。


「オニャ、オニャっ!」


 背中を向けるふたりに、オニャニクスが語りかける。

 

「どうしたのでしょうか」


 ユウリはしゃがみ込んで、オニャニクスを見つめた。

 オニャニクスはキラキラした緑色の目で、ユウリの事を見ていた。

 そして、一言「オニャ」と言い残して草むらの向こうへ消えていってしまった。


 ユウリとルーナは顔を見合わせて、首をかしげる。


 やがて、草むらの向こうからオニャニクスが帰ってきた。手を後ろに回して、背中に何かを隠している。


「くせ者!」


 ルーナは目をガラッと変えて警戒した。

 ユウリは呆れた顔で付き人をとめる。


 オニャニクスは背中に隠していたものをだす。


 それは、ピンク色の綺麗なお花だった。

 器用に肉球でお花をはさんで、それをじっと見つめる。やがて覚悟が決まったように、意を決して、オニャニクスはピンクのお花をユウリに差し出した。


「オニャっ!」

「これは、まさか……!?」


 ルーナはオニャニクスのまさかの行動に目を白黒させる。主人がどう返答するのか、緊張した面持ちだ。

 お花を渡されたユウリは、少し驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな微笑みをつくった。


 草木の間からさしこむ月の光が、可憐なユウリにさらなる神秘性をくわえている。


「オニャぁ…!」


 オニャニクスはお花を差し出しながら、涙をながす。ユウリがあまりにも美しかったから。人とモフモンの垣根を越え、オニャニクスは完全に恋に落ちてしまっていた。


 実を言うと、このオニャニクスは2週間前にすでに、夜の森のなかでユウリを発見していた。

 この2週間なんとかユウリのまえに姿を現そうとはしていたが、なかなか勇気がでなかった。

 今夜はオニャニクスの一世一代の勝負なのである、


 全力全霊のオニャプロポーズ。

 ユウリの返答は──、

 

「オニャニクス、わたしと一緒に来てくれますか?」

「ッ、オニャっ、オニャ!」


 ユウリはお花を受けとり、微笑み、オニャニクスの頭を撫でてあげた。


「さあ、それじゃ帰りましょう」

「ユウリさま……野生のモフモンを手懐けてしまうなんて、なんという……っ」

「オニャ、オニャあ〜♪」


 ユウリはモフモンゲットを喜び、ルーナは主人のカリスマに涙する。オニャニクスは新しい絆と手を繋ぎ、嬉しそうにユウリの足におでこを擦りつけるのだった。

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