第12話 そして神話は生まれ

 これを潮にチトフは石板に和平を申し入れる文書をしたためルフォートに送った。

 すっかり疲弊し人的資源を喪い意気消沈していたルフォートはこれを容れた。緊張が解け、人々は春を謳歌した。


 チトフが畜産の邑に残していったライ麦は今も栽培されており、耕作面積を増やしていた。

「これみんな畑?」

 畑の広さにチトフは唸った。

 農民は答えた。

「いや違うんだ。どうも麦を育てた畑は土の精霊の力を弱めてしまうみたいでね。同じ畑に麦を植えると育ちが悪いんだよ。だから一度麦を植えた畑は使わないようにして新しい畑を作っているんだ」

「なるほど、土の精霊も疲弊するんだろうね」

「今日は好きなだけ食べていってくれ」

 麦粥と様々な肉料理が振る舞われた。動物の乳が加えられた麦は甘く、勝利の後ゆえ笑顔が絶えなかった。

 今回の戦でチトフも指導者として幾ばくかの自信と人々の信頼を得た。戦士達は意気揚々と開拓地に凱旋した。畜産の邑でチトフは恩賞として豚と犬を所望し、それぞれ三十匹ほどを連れ帰った。トキアミと森に連れて行くと豚は団栗などを探して食べた。犬は弦楽器を爪弾くと体を揺らして聞き入り、角笛を吹くと和して歌い、子供達の良い遊び相手になった。

 女ばかりだった開拓地も男手が増え、力仕事での労働力が増した。畜産の邑と協力し道路を開削し、畜産の邑と友好関係を築き交易が始まった。川の側を開墾して畑をつくり、春になると畜産の邑で分けて貰ったライ麦の種蒔きをして、水を引いた。

 チトフは気が緩んだのか熱が出た。集落を出てから一日たりとも気の安まるときなく働いてきた。さすがに疲れが出てトキアミとヘレイの隣で家に籠もって数日、病を養っていた。


「チトフ。とんでもない者が現れた」

「どうした?」

「それが……馬の背に乗りその心を自由自在に操っているんだ」

「見てみよう」

 チトフが現場に到着すると確かに馬に乗った者達が開拓地の男達と武器を片手に睨み合いの真っ最中だった。

「どちらの言葉も通じないんだ」

「それは困ったな」

 チトフは粘り強く交渉に当たった。食事を振る舞い、住居を貸し与え、耳を欹てて彼らの用いる言葉を聞き言語の習得に努めた。彼らは確かに馬を意のままに操った。馬と会話している様子はなく、馬の腹を蹴るだけで馬は操れる様だった。


 話を聞いていくとどうやら開拓地より南東に町があるらしい。冶金の邑の人々はチトフを慕って続々と開拓地に流入した。また、先の戦の降人も大量に受け入れ、この者達にもチトフを知るものが多かったため比較的順調になずみ、開拓地は飛躍的に規模を大きくした。

 人口が増えるとチトフの想像していなかったものが生まれた。


「木に木目があり、切り易い方向が解るように石にも石目があるんだ」

「石目?」

 そして彼は石のあちこちを叩いた。乾いた音が響く。

「ほう、そうか。ではここが弱いんだな。これでどうだ」

 と、石に声をかけている。

「叩く方向によって音が変わる。どの角度から削ると、どれ位削れるかを予測できる」

 彼は鑿を持たない日はないほど、毎日石に向かった。ああもう僕はこの分野には関わらない方がいいな。そう、思わされた。彼は石の端材を干し煉瓦に混ぜ、壁の強度を高めた。また別の者は双柄犂プラウと言う器具を創り、馬や牛に曳かせ農地を効率的に耕した。更に他にも。いつの間にか人々は指導したチトフを追い越し新しいものを創造した。そして、開拓地は労働を分業制に移行していった。塩町にならって警備兵を任命し治安維持に当たらせた。祭祀を司る神官に狩りの成功と豊穣、民の健康と英霊カンドゥクの鎮魂を禱らせた。


 チトフは石板に便りを書き、塩町に使いを出した。程なくして返事が返って来た。

「残念ながらお前のいい人じゃない。ルフォートだ。イイムは病死した。お前の所為だよ。チトフ。悪いことは言わない。そんな僻地なんて棄ててこっちに戻ってこい。今なら水に流してやる。さもなくばお前等は一人残らず斃れるだろう」

 イイムが、死んだ? 

 イイムは何の病気も患っていなかった、はず。

 何もかも放り出して塩町に行きたい衝動に駆られた。心が流離した胸に何か重たい物が入り込み、居座り、巣くってチトフを呑み込む。 

 これはルフォートの罠だろうか。


 年々、気温が下がっているように感じられた。この冬も大雪だった。チトフはまた体調を崩した。トキアミやヘレイと身を寄せ合い、春の訪れを待っていた。

 そんなある日、唐突にトキアミは呟いた。

「赤ちゃんができたみたい」

 雪氷の中に、花が咲いたように思った。怏々として楽しまなかったチトフに、小さな火が灯る。活力を取り戻し、久しぶりに開拓地の様子を見て回った。

「ねえチトフ。あたしも赤ちゃんできたんだよ?」

「えっ……」

 嘘だった。でも悔しくて、ヘレイは嘘をついた。そしてトキアミを呪い続けた。

 だがしかし。その後本当にヘレイの体に変化が起きた。

 ヘレイは大地母神に感謝した。


 じきに岩塩を求め南東から馬に乗った商人が訪れるようになった。チトフは交易所を建て、彼らと協力して地図を作った。

 嘆息した。途方もないほど大地は延びている。

 商人は言った。

「ちょっとその盾を見せて下さいな」

「ええ、どうぞ」

 チトフは盾を差し出した。

「これは銅ですな。この近辺に銅鉱石が採れる所があるのですかな?」

「銅、というのですか? 鉱石なら採れる所があります」

「余りにも美しかったので金と見紛うほどでした」

「金とは?」

「銅に黄色や山吹色を加えたような柔らかい金属です。稀少で価値が高いのです」

 ということは冶金の邑や弓の邑、そして開拓地近郊で採れる金属は銅なのだろう。銅はありふれた金属なのだろうか。

「ではこれは何という金属です?」

 先の戦で塩町の戦士達が使っていた武器を見せた。

「銀……いや、錫のようですな。銅と混ぜて融かすと硬くなり、大変便利だと聞いています」

「ほう……」

 しかし錫は塩の町でしか見たことがない。今となってはルフォートに交易を申し込むのは至難の業だろう。

 そのとき、チトフの胸に光の花が芽吹いた。

「探検の準備をしよう。雪が融けたら出発だ」

 


 おかしかった。あの女の腹は日を増すごとに膨らんでいった。

 チトフの、赤ちゃん。

 私だって体に変化があった。生理が止まった。胸が張った。悪阻つわりもあった。お腹を赤ちゃんが蹴った。

 ところが突然、私の赤ちゃんがどこかに行ってしまった。

 あの女だ。トキアミだ。あいつが呪術を使って赤ちゃんを攫ったに違いない。悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい!

 チトフは、あたしよりもあの女の家に多く通っている。

 きっとあたしよりも、あの女が好きだ。

 

 チトフと気心の知れた同郷の男三名は、探検に出発した。

「途中で一度集落に寄りたいのだが」

「あれから随分経つ。彼らはどうしているだろうか」

 山に分け入り、坂道を上っていく。道中で野獣の襲撃に遭ったが難なく撃退した。

「この辺は見覚えがあるな」

 数々のトラウマがチトフの胸にこみ上げた。集落は、往時の劣等感を否が応でも思い起こさせる。 

「やっぱり後にしないか?」

 唐突にチトフは切り出した。皆も同意した。誰も口には出さなかったが、生まれた土地を捨て新天地で快適な生活をしている、残していった者達への負い目を感じていた。

 チトフは記憶を手繰り寄せる。カンドゥクが集落に持ち帰った、あのまばゆい光輝。

 野宿をしながら捜索は続いた。チトフも自身の記憶に懐疑的になりかけ、撤退を考え始めたときだった。

「見つかったぞ!」

 歓喜の声が湧いた。

「精錬せずとも美しいものだ」

「手で掘り出せそうな程だ」

 岩に埋まり、それは黄昏の太陽のような光を放っていた。

「これが、金なのかな」

 つるはしを振り下ろすと、簡単に金は傷ついた。金を手に取るとずしりと重かった。掘った金を採り袋に入れ、意気揚々と帰途についた。

 心にじわじわとひびが入る。チトフは迷った。

 はげ山だったはずなのに、急速に木々の密度を濃くしていた。春になっているはずなのに暗い松の森は冷え冷えとしておりなかなか寝付けない。

 

 明くる日、表情を硬くしてチトフは決意した。

「集落に、行こう」

「お、おう……」

 風が強くなった。大粒の雨も加わってチトフを殴りつける。薄暮の微かな光が辛うじて足下を照らしている。

「もうすぐ集落だ。急げば宵には着くだろう」

 四人は道々に懐かしさを覚えながら駆けるように進んだ。

 相変わらず家々は粗末なものだった。かつてはこんな所に住んでいたのか。四人は愕然とした。

 人影は見えなかった。皆、雨風を避け洞窟に避難しているのだろうか。

「誰もいないぞ?」

「灯りが見えない」

「これはどうしたことか」

 チトフは洞窟に行ってみた。真っ暗で人の気配がない。外に出ると地面が鈍く光った。屈んでそれを確かめる。

「銅剣だ。ん!?」

 何か白いものが転がっている。

「骨だ。人間の……」

 頭骨が、その他の部位の骨が、野晒しになっている。

「こっちにもあった……」

「銅の武器が一緒に転がっている」

 どういうことだろう。死者は土に埋めて埋葬する。それが常識だった。『埋葬せぬと死者は生者を恨んで蘇り、亡者となって襲いかかってくる』と幾度も聞かされた。

「カンドゥクの呪いだ……。カンドゥクが、殺された恨みを……」

 はっとして男は口をつぐむ。チトフは黙っていた。

 稲光が一帯を照らし出す。地面は、白骨に溢れていた。そして白骨の傍らから光が照り返した。轟々と木々が唸った。大粒の雨が男達を穿つ。

「カンドゥクが泣いている」

「もう出よう。俺達も殺されるかも知れない」

 チトフは足下の様子を丹念に調べた。

「争いが起きたのかも知れない。食料事情が悪かったはずだから。もしかしたら、お互いを食べようとして……」

 暗くて男達は気付かなかったが、チトフの腕は無意識のうちに震えていた。

 二つの思いが沸き上がった。一つ目は己の指導力不足を嘆く気持ち。あのとき自分が説得できていれば、こんな事にはならなかったはずだ。二つ目は、自分に従わなかった人達の惨状を自業自得だと悦に入る気持ち。しかし後者を自覚するとぎょっとした。

 自己嫌悪がチトフの意識を曖昧にした。衝動が胸を突いた。突然絶叫した。

「カンドゥクの霊が憑いたのかも知れない」そんな囁きが聞こえた。

「大丈夫だ」

 朦朧としながらチトフは歩き出した。

「カンドゥクの墓を、暴く」

「それは危険すぎる」

「正気か?」

「……やはり何かおかしくなっているんじゃないか?」

「もっと上等な墓に葬ろう。葬礼も改めて行い、霊魂を慰めたい」

 チトフはカンドゥクの墓に向かった。

 木々はうねり、枝に切り裂かれた風が哭き喚き、狼の悲痛な咆哮も相俟っておどろおどろしい雰囲気に満ちた。


「あ」

「精霊の輪だ……」

 暗黒の空に緑の光が躍っていた。

 この光は現在の地球でも緯度六十五度~七十度地点、良く晴れた夜によく発生する。

 オーロラだ。

 当時、高緯度の地域に済む人々は、オーロラを見るにつけ、自然と神や精霊の存在を身近に感じた。

 四人は、オーロラの恐ろしい美しさに怯えた。光の帯が千変万化、消えてはたなびき、身をよじらせ、揺れる心を刺激する。 

「これは何を意味する啓示だろう」

「凶兆に違いない」

「もう我慢できない。俺は撤退する」

「俺もだ」

「俺も」

 チトフ一人が残された。

「カンドゥク。君はやはり間違っているよ。許してくれ。でも前に進むためにはこうする他になかったんだ。君がいなければ、僕は今ここにいなかった。本当に感謝している。でも、新しい道に進む時期だったんだよ……」

 感覚が希薄になる。

 髑髏が転がり、僕を見上げた。

 目を凝らすと墓石は傾いており、周囲の土は不自然にあちこちが窪んでいる。

 岩陰に誰かがいる。強烈な気配を感じた。カンドゥクだ。直感的にそう感じた。カンドゥクは既に墓を出ている!

 チトフは踵を返し走り出した。沢山の骨を踏み割ってチトフは集落を出た。

 本当にカンドゥクだったか? そもそも誰かいたのか? 見間違いではなかったか?

 泣き出しながら駆けた。

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