第11話 再会 後編

 チトフは牛に餌をやり、一息ついた。動物達を眺める。

 動物も、恋をするのだろうか? 

 チトフには、彼らが恋というよりも本能に突き動かされているようにしか見えなかった。

 ひょっとして恋も本能なのだろうか。男と女がいて、それはお互いに引き合うようにできていて。

 好きになってしまうと、人はダメになる。僕なんかを好きになってくれて、本当にありがたいのだけれど。嬉しいのも確かなのだけれど。

 僕じゃなくても良かったんだ。たまたま、側にいるだけで男と女は恋に落ちる。それだけだ。それだけのことさ。

 二人の胸中を察すると、息が苦しくなる。僕が悪いんだ。

 

 春になり、北から荷を抱えた者がぞろぞろと現れたと報告があり、チトフは早速そちらに向かった。開拓地のごく近くで野営を張っている。

「こんなところに何の用だ」

「塩の町が攻めてきたので逃げてきたんだ」

 その男は冶金の邑で見かけたように思った。チトフの目の色が変わる。

「メーレは……白髪の、邑長は無事か?」

 男も我に返ったように勢いよく立ち上がった。

「なんだお前、チトフか! ……邑長は戦死したらしい。メーレは判らない。俺も必死で逃げてきたからな。この通り家族を守るので精一杯だった。奴らは突如現れたかと思うと、訳が判らぬうちに殺到し攻め寄せたんだ。我らもよく闘ったがあっという間に前線を破られ、潰走せざるを得なかった」

「なぜ襲われたのだろう?」

「なんでも、町を治めていた者が殺され、ひどく横暴な者がそのまま指導者になったそうだ。しかしいきなりこんなに強硬な行動に出るとは思わなんだ。しかもどうしたことか、彼らは金属の武器を使用していた。一体いつの間に冶金の術を習得したのだろう」

 チトフは暗澹たる気持ちになった。

 僕のせいだ。

 誰の顔も見たくなくて呆然と、逃げるように、トキアミの家にもヘレイがいる自分の家にも戻らず厩舎で一晩を明かした。

 その後、誰に聞いてもメーレの安否は知れなかった。

 チトフは難民を受け入れることにした。すると人が人を呼び間もなく開拓地は冶金の邑の人々で溢れた。新しい家を建て、両民族の仲立ちをし、またもチトフは奔走した。幸いだったのはずっと増産に努めていたため、このような事態でも食料には事欠かなかったことだ。以前の集落では皆、饑餓状態にあり食料不足に関しては心的外傷トラウマと言ってよく開拓以来全員が勤勉に働いていたのである。

 一段落つくとチトフは北へ偵察に行こうと決心した。するとヘレイが付いていくと言って聞かない。こういう所が自分の短所なのだなと自覚しつつも、結局人に強く言えないチトフは随行を許した。


 途中、畜産の邑に寄り旧誼を暖めるとすぐまた北に向かった。ヘレイは畜産の邑では羊の放牧によく出ていたので地理に明るく、良き道案内だった。

「これじゃ、あたしがいなくても大丈夫みたいね」

 ヘレイは苦笑した。畜産の邑から北に向かって、大きな道が延びていた。雪に覆われてはいたがはっきりと判った。チトフは道の雪を払ってみた。わだちを見ると、おそらく畜産の邑まで交易の馬車は往来しているのだろう。真新しい轍はないようなので冬には馬車は来ていないのだろう。


 チトフは夜陰に紛れ、岩陰から侵入すると冶金の邑に奇妙な物を見つけた。

 これは……馬車?

 変わった形の馬車が連なり、停められていた。どこか遠くから、馬の嘶きも聞こえる。

 チトフの意識が遠くなった。

 つまり、僕が馬車を作らなければ冶金の邑が襲われることはなかった……。

 いや待て、僕が作らなくても他の誰かが造り上げたに違いない。チトフは馬車にもたれかかった。これは現実逃避だろうか。

 少なくとも僕が今回の襲撃を助長した。そのことに間違いないだろう。

 血の臭いが鼻をつく。ああ、メーレ! チトフは邑長の家に向かった。

「止まれ!」

 我に返ると東の空は薄明かりにほんのり染まっていた。巡邏が駆け寄る。

「何者だ?」

「僕は……」どうする? どう答えればいい!? 松明が鼻先に突きつけられる。

「お前……チトフじゃないか!」

「……ああ」

 僕はまだ混乱していた。

「どこに行っていたんだ? 神隠しに遭ったという話を聞いたが……」

 チトフは黙っていた。

 ある意味、チトフは塩の町において偉人と言ってよかった。チトフのもたらした技術は今も町に活かされ、または様々に応用され運用されていた。

「……なぜ君がここにいるんだ?」

「知らないのか? この邑は我々が占領した」

「なぜそんなことをした?」

「こいつらは金属器一つの対価にありえない程大量の塩を要求していたんだ。卑劣な奴らさ。しかし今、我々も金属器を造れるようになった。もうこいつらに用はない」

 僕の、せいだ。

「……メーレという女を知らないか? この邑に住んでいたんだが」

「知らんなあ。もっとも、名前を知っている者など一人もいないがね」

 チトフは邑の南口に行ってみた。夥しい轍の跡が延々と道路を刻んでいる。この道路と馬車の相乗効果で怒濤の進軍は成ったのだろう。チトフはむせ返る血の臭いに気分が悪くなり、まだ陽も昇らぬうちに邑を出た。

 僕は咎人だ。

「何だか大変だね」

 と、邑が襲われたこと以外何にも知らないヘレイは他人ひと事のようにチトフにしがみついた。ヘレイは如何にチトフの心を自分に向けさせるか以外に関心がなかった。


 畜産の邑に戻ると、そこでもまた問題が発生していた。塩の町の兵が貢ぎ物を要求していると言うのだ。

「断れば、戦いは避けられない」

「かと言って言うことを聞いていれば図に乗り何を要求されるか知れたものではない」

 チトフは言った。

「彼らは馬車を戦に用い、恐るべき速度でここまで来るでしょう。余裕があれば我々も製造できるでしょうが今は時間がありません。とりあえず、できるだけ返答を曖昧にして時間稼ぎをし防衛力を高めましょう。私達も協力します」

「チトフの言うとおりだと思うわ」

 ヘレイはチトフの側を離れなかった。

 休む間もなくチトフは南下し、開拓地へと帰路を急いだ。


 杞憂していたような争いは起こらず、和気藹々と二つの民族が融け合い、むつみ、共同生活を送っていた。

「塩の町がここより南にある畜産の邑を脅迫している。おそらく戦争になる。もし邑が敗れるようなことがあれば次に狙われるのはここかも知れない。彼らと一致団結し撃退したい。みんな協力して欲しい」

 もしカンドゥクがいれば……と思わざるを得なかった。彼であれば皆を意のままに統率するだろうに。

「誰か指揮を執る者がいなければならない」

「あなたしかいないでしょう」

 チトフはようやく覚悟を決めた。震える声で戦士を募り、指示をした。予備の武器を多数携行し、畜産の邑に舞い戻る。百を超えるほど見知らぬ者を入れるのには邑としても難渋したが、背に腹は代えられず畜産の邑は男達に溢れた。

 畜産の邑から冶金の邑に至る道を歩きつぶさに見て回り、対策を練った。同時に男達に弓の訓練を施した。不適格な者は前衛に転向させる。弓矢は足りなくなったが、邑人の協力を仰ぎ生産に努め事なきを得た。

「もうこれ以上は引き延ばせない。明日にでも決裂するだろう」

「そうか。……お疲れ様」

 入念に打ち合わせをすると薄晩に眠り、朝明けに起床すると使者を送った。

狼煙のろしが上がったぞッ!」

 報せが届くとチトフは即座に命を下した。

 チトフは丘を登った。弓兵をそこに整列させると丘を降り、道なりに槍と盾で武装した戦士を配備し、自らもそこに加わった。

 間もなく物々しい馬車の群れが雪を蹴散らし草を薙ぎ街道を猛進して来た。

「止まれーッ!」大音声だいおんじよう一喝、馬車の御者は手綱を引き、隊伍は乱れた。その声を聞くとチトフは急に丘を駆け上がった。そして目を凝らす。

 赤い布が見えた。やはり、間違いない。

「ルフォート!」チトフもあらん限りの声を上げた。岩山はよく音を反響させ声は明瞭に届いた。

「ああ……お前は……誰だっけ」

「君から製塩を習った者だ」

「いや……それは憶えているんだ。名前は?」

 ここで月下将が助け船を出した。

「あいつはチトフだ」

「そうだったそうだった」

 二人の再会は、かなりの距離を隔てて成った。

 塩の町の戦士達には少なからず動揺が走った。かつて、町に様々なものをもたらしたチトフがなぜか敵軍の真ん中に位置している。

「今、ルフォートはどんな立場なんだい?」

「どうしたことか町を統べる立場だ」

「そうか……。この騒ぎは君の意志なんだな……」

「お前も偉くなったものだな」

「そんなんじゃない。……君たちには歴史があったはずだ。敗戦の記憶もあるのになぜ不毛な行為に走るのだ?」

「残念ながら俺の歴史には敗戦の記録がないものでね。先日偉大な勝利の末、豊かな鉱物資源を手に入れた。これも俺の歴史書に書き加えられるだろう。そして今宵は美味なる動物どもに歯を立てるだろう」

「さて、今日も首尾良くいくだろうか?」

「それにしても驚いた。どうやら時間稼ぎを許してしまったようだな。不意打ちするつもりがこうも迅速に迎撃の準備をされてしまうとは」

「君達は馬車で冶金の邑を電撃的に蹂躙した。十分に予測できたことだよ」

「なぁ、……チトフ。俺だってお前と争いたくはない。ここは黙って降参してくれないか。悪いようにはしねえさ」

 ルフォートはチトフの名を口にする前に言い淀んだ。

「君こそ退がってくれ。なぜこんなことをするんだ」

「おそらく、いや間違いなく、うちの支配下に置かれた方が幸せになる。知っているだろう。どんなに俺等の暮らしが文化的で、豊かで、満ち足りているか」

 チトフはわずかに逡巡した。

「なら豊かさを分けて欲しい」

「ただではやれねえな」

「君達が寛大な統治をする保証はない」

「やれやれ、降伏したところで遅かれ早かれ反乱を起こすだろうな」

「残念だよ」

「実に残念だ」

 ルフォートは隊列を整え直す。

「一気に来るぞ!」

 チトフはそう叫ぶと崖を駆け下りる。鼓動が鳴り止まない。気が弱いのに必死に自分を鼓舞し、舌戦を交えた。顔がこわばる。

 チトフが戦場に選んだ場所は天嶮と言ってよかった。道の両側は高台になっており北側、つまり今ルフォートが布陣する冶金の邑へと至る道は急峻な崖になっている。

 月下将十二人はそれぞれ小隊を成した。一小隊は十二台の馬車を率いた。馬車は戦闘用に改良されており、戦車チャリオットと呼ぶべきかもしれない。

 戦車チャリオットは一台につき二頭の馬と一人の御者が動力源となり、後ろに投げ槍や竿状武器を持った戦士二人を乗せ攻撃する兵器だった。馬は繁殖と、近隣の邑から塩と交換に、もしくは略奪で数を揃えていた。車輪は板を重ねて造られておりひどく粗末で曲がるのに四苦八苦した。

 その背後からは徒歩かちの兵が追ってきた。雲霞の如く攻め上り、崖の背後に控えたチトフ達に襲いかかるかと思われた。

「待て。様子がおかしい。止まれ! 全軍停止!」

 後団に控えていたルフォートが叫ぶ。前方に広がる雪原が、不自然に踏み固められている。前日、チトフの命で仕掛けられた罠だ。踏み固められた雪は氷の板状になっていた。車輪が足を取られてつるつる滑る。近くの月下将に呼びかけようとしたがはて、誰一人として名前を知らない。哀れ、先団は不意に現れた宙を泳ぎ、敢えなく呑み込まれた。

としあなか!?」

 ルフォートは唇を血の滲むほど噛んだ。勢いは止まらず、次々と戦車チヤリオツトは巨大な穽に吸い込まれていった。

「迂回して進め!」

 ところが曲がろうにも車輪は小回りが利かない。止まろうにも後から後から戦車チヤリオツトの群れは押し寄せ、押し合いへし合いしながらあなに落ちていく。穽の中でもがき苦しむ者達に構わず、首尾良く回避できた戦車チャリオットは再び進軍を始めた。

「角度に気をつけろ」

「それっ。落とせ!」

 喊声かんせいと物音に気付き、見上げるとルフォートはこの世の出来事とは思えないものを目にした。崖の上から大岩や丸太が唸りを上げて転がり落ち、戦車チャリオットを薙ぎ倒す。たちまち、阿鼻叫喚の様相を呈した。

「攻めずともよい。守りに徹しろ!」

 チトフは今は退がって、崖の反対側、南側に槍と盾で武装した戦士を配置した。そこに討ち漏らした戦車チャリオットが寡兵ながら突き進む。上り坂になると戦車チャリオットの速度は落ちた。

「斉射!」

 高台に控えた兵が弓箭の嵐を放った。まばらではなく一度に飛来する矢は避けようもなく、馬が御者が台上の戦士が、次々と討たれた。反撃しようにも高台の弓兵に対し槍の投擲は遠投になるので容易ではなく、戦車チャリオットを降りて上体を反らし投げようとするところを狙われ、散々に射貫かれた。また、塩の町の武器は金属として脆く白兵戦でも有利に進んだ。

「かかれ!」

 雪原を犬が疾駆し、飛びかかる。まだ愛玩動物としての進化は見られず、オオカミから分化して間もないので体躯は大きく戦闘能力は十分に高い。

「お前らが先に行け」

「うちはほとんど討たれた、ここで待機する」

「あんな土民など一捻りにしてくれる」

 月下将が吠える。昔から一緒にやってきた漁師仲間を漏れなく月下将に登用したことを今になってルフォートは悔いた。指示を出そうにも名前すら知らない。窮地に立たされて初めて潜んでいた問題が露呈した。

 ルフォートの顔はみるみる蒼白になった。戦車チャリオットは体を成さず、追随する戦士達も今は矢の好餌に過ぎない。

「退却だ……」

 ルフォートはそう言うと惨敗に気を病んで車に揺られたまま伏してしまった。


 幸い、チトフは追ってこなかった。情けをかけたのかもしれない。と思うと屈辱が身に沁みてもう起き上がれそうにない。

 かつて彼の目にはチトフは常に凡庸に映った。

「あいつか? あいつの手筈なのか? いやそんな訳は……」

 敗北なんてありえない。

「……神さんを信じれば、俺も何か見えてくるかもしれない」

 寝そべったまま自嘲した。力なく哄笑した。

 大捷に畜産の邑は湧いた。結局、重傷者を数名出したものの一兵も損じることなくルフォートの軍勢は撃退された。

 

 みんな、君に教わったんだ。カンドゥク。

 小さい頃、みんなおなかいっぱい肉にありつけていた頃。みんなで野山で遊んだ。君は遊びの中で新しい仕掛けを創作した。けんかごっこでも君は優秀な指揮官だった。

 僕はそれを使い回しただけなんだ。

「ねえ、あなたは英雄よ。このままこの邑に末永く暮らしましょうよ」

 ヘレイは囁いた。チトフは苦笑いを浮かべた。ヘレイの方がよほど強敵だった。

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