ルフォートの興起

第8話 時は少し、遡る。

 塩の邑は朝から騒然としていた。

 チトフ去る! 一報は瞬く間に町を駆け巡った。

「あの人は、帰ってきます」

 イイムはその日のうちに図書館の司書を辞し、チトフと過ごした家に引きこもった。


 ある日、イイムの家に無遠慮に上がり込む人影があった。

「どなた?」

「ルフォートだ」

 ルフォートという名には聞き覚えがあった。漁の達人で今は、探検船を建造しては海に漕ぎ出し、難破を繰り返しているとか。

「お前に訊きたいことがある」

 ぶっきらぼうな男だった。

「町の連中がどこの馬の骨ともしれぬ旅人がいなくなったとか騒ぎ出して捜索隊まで出ている。一介の旅人にそこまでする必要があるのか?」

「チトフのことですか?」

「……チトフ」

「あなたが長老の依頼で海について教えた男性ですよ」

「ああ! そんなこともあったな」

「チトフは……」イイムは言葉を詰まらせた。「この町に、冶金、牧畜、馬車、紡織、火熾し……数え上げればきりがありません、様々な技術をもたらしたのです」

「ふーん」

 イイムはルフォートの表情をつぶさに見ていた。

「もちろん、あなたも傑物に違いないでしょう。あなたが生み出した漁の技術は革新でした。貴方のお陰で、わたしたちの食生活は格段に豊かになったのです」

「ふん……」

 イイムはルフォートが調子に乗った様子がないことを残念に思った。

「お前、あの男……チトフの恋人らしいな」

 イイムは答えなかった。

「お前、俺の情婦になれ」

 イイムは目を見張った。

「わたしは……チトフだけです」

「忘れさせてやるよ」

「……触らないで」

 イイムは身を引くとうつむいて背中を向けた。そして。 

「ご無体をなさると御自分の身を案じる事になりますよ」

 ルフォートの目の前から消えた。

 ルフォートの、ずっと干涸らびて闇に沈んでいた芯に、ちりちりと音を立てて仄赤い火が点いた。と同時に自分の胸にそんなものが眠っていたことを意外に思った。

 ルフォートは黙ってイイムの家を出た。

 火照った体に風がやけに冷たく感じた。

 あの女は俺を脅迫した。

 ルフォートの息が荒くなり、口からひゅうひゅうと音が漏れた。ふつふつと、胸の奥が煮えたぎる。沸き上がる。

 まあいい。

 後悔するのはお前の方だ。

  

 夜が明けた。

 それと同時に連れだって人々は町の中心部に向かう。

 まだ建立されて間もない寺院では、今朝も神官の説教が行われている。

 中に入らずに屯している男達がいた。この町の住人は皆一様に真っ白な肌をしていたがこの男達は肌が赤っぽくやけに日焼けしており、引き締まった体つきをしていた。一人が中をのぞいて言う。

「聞いてみろよ。また言ってることが違う」

 ルフォートは鼻で笑った。

「いいんだよ。あれはあれで。あれで気が休まるなら幸せなものだろう」

「神への冒涜にならないだろうか」

「こんないい加減な奴らが神官なんて聞いて呆れる。問題ない。神さんだって俺達を支持してくれるはずさ」

 ルフォートがそう言うと、男達は大義を見出したように少し、安堵した。

 ルフォート達は信者に紛れ、寺院に入った。説教が熱を帯びる。ルフォートはひやりとした視線を投げかけたかと思うと身に纏ったボロ布をはためかせて何気なく奥の通路に入り、無数の足跡が残る岩の階段を上っていった。

「……いない」

 下見したときに絶えず控えていた神官たちも今は皆、出払っていた。薄暗い僧院を悠然とルフォート一行は進んだ。回廊にはやけに耳に障る鼾が木霊している。やがて見つけた部屋に入っていった。

 不快な鼾にルフォートは顔をしかめた。

「おい、長老、起きろ」

 ルフォートが寝台を蹴飛ばした。上に高鼾の発信源がいた。長老の両脇に寝ていた肌も露わな女二人が目を覚まし悲鳴を上げた。そして、男もゆっくりと瞼を上げた。

「何だお前らは……。おい、守護者はどこにおる。何をしている」

 ルフォート達が着ていたボロ布を脱ぐとその下から武器が現れた。それを目に入れると、長老の目はあちこちへと彷徨った。と、突然バルコニーへと駆け出す。

 やがてほくそ笑みながら、戻ってきた。

「隙を見せたな。ルフォート、お前は育ちも良く教育を受けたのに漁師になどなり、最近は魚も捕らず海で遊んでばかりいると聞く。この旌旗を見よ」

「ああ、参ったな。これは大変だ」

 ルフォートの口から低い棒読みが漏れた。

「おい、ルフォート。まずいぞ、あの旌旗は……」

「そう、天地総攬だ」

 長老は旗を勢いよく振り上げた。

「平伏せ!」

 効果覿面、男達は否応なくその場に伏せた。

 いや、一人、ルフォートだけは瞬き一つせず泰然と長老を見下ろしていた。

「……何をしておる」

 長老は、肩で息をしていた。顔がこわばっている。平伏した男達はガタガタと震えていた。

「長老の孫にイイムという女がいるだろう。あの女が強情でね、あんたから言ってくれないか? この粗忽者の女になるようにさ」

「承知した。……必ずゥ、貴殿の意向に沿うように伝えよう」

 ルフォートは口角を上げ満足げに頷く。そして。

「お前の顔はに雄弁」

 ルフォートはシスはらわたという銘の曲剣を一閃した。青銅の塊が長老の頭に食い込む。

「グ……が」

 長老は斃れた。女達の悲鳴が上がり、その足音が遠ざかっていく。

「お前等、誰に向かって這いつくばってんだ」

 ルフォートは忍び笑いを漏らした。と、廊下から押し殺したような気配を感じ取った。

「群れで来たか」

 ルフォートは物を投げつけられにくい曲がり角の壁際に位置を取った。

「目上の言うことを唯々諾々と聞くためにてめえは生をけたのか?」

 さっそく出くわした一人目を、斬り殺しながらルフォートはつぶやく。

 突如僧院は怒号に包まれた。礼拝堂から信者が飛び出し、入れ違いに衛兵がなだれ込む。

 来る者きたる者瞬く間に床に伏し僧院は血の臭いに満ちた。

 ルフォートはゆらり、ひらり、シスの切っ先を相手に向け手首を返しながら踊るように小馬鹿にするようにくねらせる。一見、いつ食いついてもその腕を切り落とせそうに思えた。しかしそれはルフォートの撒く巧妙な餌だった。

 どこかで見たことのある景色だ。ルフォートの前に立った者は、そう感じた。


 釣りだ。

 ルフォートが竿を振るい、イラクサの繊維を撚り合わせた糸を垂らすと競うように魚がルフォートの手に上がった。

 自分は、魚だ。

 これからルフォートに釣り上げられて、捕食される、一匹の魚だ。 

 じきにルフォートに挑もうとする者はいなくなった。僧院を出る者も後を絶たなかった。残った者は遠巻きになって臍を噛む。

 ルフォートも一度、退いた。

 長老の居室を探り、見事に仕立てられ真っ赤に染色された革の服を見つけるとルフォートは悠々と着替えた。バルコニーに出る。

 ルフォートは足元で無様に事切れている長老に目を留めた。その手から旗を奪い取る。その光沢のある布地をさらりと撫でた。

「ふん。亜麻リネンか、道理で丈夫な訳だな。どこで手に入れたものやら」

 そして漁師仲間に告げる。

「そこで見張りに立っていろ」

「ルフォートにはなぜこの旗が効かなかったんだ?」

 ルフォートは己の正当性と長老の存在意義とを比較しながら屍を無表情に眺めていた。長老はルフォートを快く思っていなかったことは確かだった。事あるごとに難癖をつけ、航海の妨害をした。「貴様らはひたすら魚採りをしていればいい」と、人夫を雇わせなかった。

「何、大したことじゃない」

 バルコニーに向かう。

「この旗には元々何の力もない。何の変哲もないただの旗だ。だが代々御伽噺おととぎばなしのように幼少期からこの旗には人を服従させる力があるという逸話を口伝え、人々は偉大な力があると信じ込んだ」

 ルフォートは眼下に集った人々に向け、右手を上げた。風を孕んでバタバタと大きな音を立てて旌旗が翻る。

 ルフォートは大きく息を吸い込むと、覚悟とともに叫んだ。

「この旌旗を見よ。そう、天地総攬である。神は俺を認めた。長老は死、今よりこの俺がこの町を治める。皆、即座に跪け」


 壮観だった。

 ルフォートに悪態をついていた神官も、陰で根も葉もない醜聞を吐き連ねていた衛兵も、皆、頭を垂れている。

「俺は……」胸に詰まるものがあって言葉が淀む。

「海の向こうに何があるか、知りたかった。幾度も、幾度も遠洋に出ては沖の岩礁に船底を削られ、大風に煽られ、飢えに乾き、あげく転覆した。大勢の戦友を喪った」

 つい、ひと思いに旗を折ってしまいたくなる衝動に駆られる。

「本意ではないが海は諦めようと思う。それでおかだ。この地続く限り、我々の支配下に置こうではないか」

 ざわつき始めた。顔を見合わせて、何やらひそひそ話をしている。

「近隣の邑々を制圧し、各地の産物を手に入れよう。我々のように毎日好きなだけ食べ、余暇を得られる民が他にあろうか? 他方では未だに毎日あくせくその日の食料を求め獣の如く蠢いている。驚くべきことに文字さえ知らないのだ。そのくせ我々からは交渉のたびに塩を寄越せ塩を寄越せとわめいている。金属の武器を鼻にかけて我々に高圧的な態度に出る邑もある。しかしそれも過去のことだ。我々は最強だ。哀れな蛮族を救おうではないか。俺の夢に賛同する者は今すぐ立ち上がり拳を振り上げよ」

 正直、不安だった。今、民衆の心を掌握しなければ今このときから常に闇に背中に怯えながら生きることになる。

 ルフォートは息を呑んだ。目を見張った。

 歓呼。

 花びらが開くように、次々と拳が突き上げられていった。

しかしルフォートは見つけた。物陰に潜む人々は微動だにせず、じっとルフォートを、いや天地総攬を見つめていた。みんなそうだ。自分など誰も見ていない。


 そのとき、ふっと人並みに紛れたものを、ルフォートは見逃さなかった。バルコニーから飛び降りると駆け出す。

 今朝嗅いだ匂いなら、憶えている。甘い残り香が、どこに向かえばいいか克明に教えてくれる。行く手を阻むように回り込む。

「お前の心強いご祖父様はくたばった。もう俺に怖いものなどないぜ」

「そのようね」

 イイムの目は冷ややかにルフォートを刺した。そんな態度もルフォートの想像していたものと違った。

「なあ、俺のところに来い。そうしないとお前の無事を保証しない」

「嫌です。それに私には……」

 イイムはそれっきり黙り込んだ。

「……まだ頼りにする権力を持った親族がいる、か」

 イイムはぴくりとも表情を変えなかった。どこともなく一点を見つめている。

「解ってないな。もう俺に怖いものなんてない。まァ……」ルフォートは思わせぶりな表情をして微笑むと、囁いた。「そういうことなら相分かった」

 突然ルフォートは踵を返し歩き出した。やがて気がついたように立ち止まると、

「ああ、そうだ。いつでも俺の所に来るといい。庇護してやる」

 と大股にイイムの前を歩み去った。

 イイムはいつまでも迷った。しかしイイムのなけなしの意地と、ある人間への思慕が降伏を許さなかった。

 きっとそれも見透かされていた。そしてそれが気に入らないのだ。自分より注目される人間がいることが許せないのだ。それだけが理由で、こんな事件を起こした。きっと、私に惚れた訳ではない。戯れなのだ。あの人の何かが欲しかっただけなのだ。何かを奪いたかっただけなのだ。

 純粋に傲慢。欲望に素直。非凡な人間であるだけにたちが悪い。

 イイムの瞳孔がすっと広がる。ルフォートのほうを向いて、息を呑み、逡巡する。拳を固く握りしめて、呆然と立ち尽くし、そして取り付く島もなく最後にはただルフォートの生まれ持った善性に、人間としての善性に、すがってがたがたと震えていた。


「篝火を」

 ルフォートがそう呟くだけで、民は動いた。誰もがルフォートの姿を認めると顔色を変え、声を潜める。

 至極いい気分だった。

 街路は松明の明かりが連なり、松脂の燃える癖の強い臭いに満ちた。ルフォートは振り向いた。けれど誰も後を追ってくる者はいない。

 であれば、仕方ない。ルフォートは目に入った家々に入っていった。必要なものを強奪するように借りて回る。


 炎に照らされて輝く家があった。北の花崗岩を運ばせて造らせた、この町随一と言える豪邸だ。

 ルフォートは我が家のように上がり込んだ。夕餉の支度も済んで食卓を囲んだ者一同、皆目を丸くした。

 ぎろりとめ回して。

「ご歓談のところ失敬する。御家族の皆様には日頃より格別のご高配を賜った記憶が全くないが、感謝に堪えない。先程、ご両親のご令嬢は貴殿らの処遇を俺に任せると強弁した。さてさて」

 ルフォートが手を叩くと剣と斧、棍棒を抱えた者が入ってきた。

「貴殿らの体に様々な傷を負って頂く。私は医学に興味があってね。人間の構造、損害に対する反応、その他諸々について知りたいと思うわけですよ」


 ルフォートは緩まなかった。日が落ちると美酒や美女に酔うこともあったが日が昇ると奔馬の如く駆けずり回った。

 鉱床への道を整え、鉱夫を早急に手配し鉱石の増産を図った。それと平行して優秀な者を登用し冶金工に任命し、武器の開発に当たらせた。次いで健康な男子を募りルフォート自ら集団訓練の任に当たった。ルフォート麾下の者を月下将と号し、特別な身分を与え、以外の者に禁酒を命じ、罪人は一切の容赦なく町中央に設置された絞首台で処刑され、さらし首になった。

「鉱石の採掘に難色を示している邑がある」

 月下将からそんな報告が上がった。

「生意気な連中だな」

「自分の邑からの距離が近いというのが彼らの言い分だ。自分の邑のものだと言って聞かないらしい。我々が採掘するまでは見向きもしなかったくせに」

「交渉など面倒だ」

 ルフォートは訓練を止め、そのまま兵を引き具して件の邑に向かった。

「攻め込め」

 無造作に、ルフォートは言い放った。

 もはや戦争ではなかった。虐殺。右往左往する人々を追いかけ回し、ただ、命を刈り取る、作業。

「家の中に女子供が籠もっている。どうしよう?」

 ルフォートははたと考え込んだ。

 そうして結論が出ないうちに月下将はどんどん家の中に踏み入って、邑人を皆殺しにしてしまった。

「少々、後味が悪いな」

 ルフォートは頭を掻いた。

 邑に保存されていた食料や生活用品、衣服を接収し、意気揚々と町に戻ってきた。


 瞬く間に冬が来た。塩の町は海に面しており比較的温暖だった。

 手応えを感じたルフォートは、近隣の邑をみんな掃討してしまおうと考えた。

 雪も弱まり、水も温み、雪崩が山を騒がす時期になると、ルフォートは兵を連れ出した。

「今回は縄を持参した。邑人に抵抗の意思がない時には手を上げるな。こいつで捕縛しろ。命に背いた者は即刻首を刎ねる」

 邑人は、戦士達を目にすると騒然とし、慌てて家の中に籠もった。 

「よし、いくぞ!」

 月下将の一人が勇んで兵に前に出るよう号令をかけた。

 ルフォートは唇を結んでどうしたものかと思案していた。

 要するに手柄や指揮権が欲しいのだろう。月下将の中にも序列があり、競争があった。

 自分より前に出る者がいるのは好ましいとは言えなかった。しかし、自分が出るまでもないと考えているかもしれない。もしくは何か策があるのかもしれない。更には色々と経験を積ませるのもいいだろう。と自分を納得させて、見守ることにした。

「突撃!」

 鬨の声を上げて戦士達が突入していくと、突如、家の中、家の陰、草陰、藪の中、あらゆる物陰から雲霞の如く邑人が現れた。

「動じるな! たたっ殺せ!」

 血みどろの乱戦になった。

 海の町の兵は精強であり、武具も優れていたが敵も然る者、敢然と挑みかかる。女も風上より砂を撒き、石を投げつける。敵に討たれる戦士も後を絶たず、ルフォートも慌てて参戦する羽目になった。

 さんざんに敵を打ちのめすと、ルフォートは叫んだ。

「もう、いいだろう。命は保証する。武器を捨てろ」

 邑人達はどうしたものかと顔を見合わせると石槍を投げ捨てた。

 何もかもが手探りだった。

「捕虜はどのように管理すればいいのだろう」

「足をもいで逃げ出せないようにすればいいのでは?」

「歩けないと働かせるのに不便では?」

 縄をかけられた邑人達は震えていた。泥だらけになった邑人の目だけがぎょろりとやたら白く光って揺れながら、小会議の様子を注視している。

「女は……女は! どうしようか?」

「好きにして構わん」

 手を叩く者が現れた。拍手と歓声は輪を成してルフォートを包んだ。

 負傷者の処置が済むと蓄えられていた食料を漁りに町を駆けずり回るが、どうしたことかなかなか見つからなかった。

 邑の外れでルフォートは一人、沈思していた。

 少なからず、犠牲者が出た。そのことを深く悔いているのだった。目にかけていた、勇敢な兵が帰らぬ人になってしまった。

 犠牲者を出さずに戦に勝つにはどうすればいいだろう?

「つまりだ。前に滅ぼした邑を見て、俺たちが邑を襲うという情報が伝わってしまった、準備がされていた、警戒されていた、と言うことだろう」

「さすがルフォート様、ご慧眼」

 ルフォートは捕虜を連れ、引き上げた。 

「そうだ。最近のイイムの様子はどうだ?」

「後見を失って食うに困ったのか最近、野良仕事を始めたようです。慣れない力仕事に四苦八苦して親方に怒鳴られていてばかりだとか」

「馬鹿な女だ」

 無感情に笑った。

「意地を張らず俺の懐に飛び込んでくればいいものを」

 町に帰ると、ルフォートは浴びるように酒を飲み、表情は晴れなかった。

 明くる日、ルフォートは訓練に新味を加えた。

「どうすれば一兵も損なうことなく、戦に勝てるだろう?」

 なかなか答えは出なかった。

「群れを作る動物がいるだろう、なぜそうするのかと言うと単独行動だと狙われやすくなるからだ。大抵の生き物は振り向かず背後を見ることができない。戦もそうだ。一人で二人を相手にすると不利になる。つまり突出することなく列をつくって戦に臨めばいい」

 感嘆の声が上がった。

「至言にございます」

「やはりこの人についてきてよかった」

「ルフォート様万歳!」

 

 彼らは奴隷と呼ばれた。

 私は、人間の醜悪さを目の当たりにした。立場の弱い者に対して、人がこんなに冷酷になれるのか。もし、自分がこの町以外で生まれて、彼らに襲撃されていたら。

 わかっている。そんな想像なんて誰もしない。

 そんな想像を、つい、してしまうのは。あの男の所為だ。

 今、私が置かれている状況が、彼らと似ているから。

 同情を禁じ得ないのだ。


 その光景は余りに惨たらしいものだった。

 苦しんで、死んだ。腫れ上がった体と、切り裂かれた皮膚と損壊した骨が、実家に躍っていた。引き出しを開けると、四肢があった。棚に顔の一部が並んでいた。

 恨みがましい目で、私を見ていた。

 すがりつくように。

 ――私が悪いのだろうか?

 あらゆるものを覚悟していたのだが、それから何の音沙汰もない。

 わかっている。あの男は私の激しい悔悟を強要している。

 でも、私にとってもはやそんなことはどうでもいいことだった。

 私は、ただ、命を繋ぐのだ。明日へ。明日へと。

 私の誇りだった学識も、この身に流れる血の青さも、今は何の意味も成さなかった。土民に交じって、土民の力に土の力に感嘆しながら、土に塗れ、土を貪る。

 そうして、夜毎満月を待ち侘びて、胸高鳴らせながら満月が巡るのを見守る。それが私にとっては至福の時なのだ。

 

 ルフォートはその日もバルコニーから、礼拝に来る信者達を眺めていた。傍には天下総攬が今日は力弱く萎れている。

 彼らには神が見えるのだろうか? 寝惚けた頭で考える。

 ルフォートも揺れない訳ではなかった。

 何せ、世界は不思議で満ちている。

 一度は、礼拝堂の撤去を考えた。

 それは嫉妬かもしれなかった。自分以外に信じるものなど要らない。誰もが自分だけを尊敬して、崇め畏まるべきだ。

 ただ、ここに通う人々の表情を眺めているうちにそんな気もどこかに失せた。彼らがここで心が満たされ精神の安寧を得るのなら、それはそれで構わない。結構なことじゃないか。 

「これを見て欲しい」

 ルフォートは二つの器を机に並べた。

「これが冶金の邑の器。で、これがうちの器だ。見ての通り色が違う。冶金の邑の方が赤っぽい。そして強度だ。残念ながらうちのものはすぐに痛んでしまう。そこでだ」

 ルフォートは一同の顔を見回した。

「冶金の邑を手に入れたい。そして彼らの持つ技能も」

 そしてそこに浮かんでくる表情を見ていた。

 古参の月下将が手を挙げた。

「大将、あのさ。冶金の邑はとてもでけえ。今までの邑とは違う。それに奴らも金属の武器を持っている。そしてそれはとても堅くて丈夫だ。手強い相手だ。よく考えた方がいい」

「俺もそう思う」また一人が同調する。

 何人かはそれを見ると息を押し殺すようにして黙り込んでしまった。

 ルフォートは全員の様子を眺めていたが、結局誰もがルフォートの一存を待っているのに気づいた。

「わかった。この話は保留にしよう。他に何か報告はないか」

「我々が邑々を襲撃しているという良くない噂が広まっているようです」

「噂ではないな。事実だ」

 一同は笑った。

 もう近隣の邑はあらかた壊滅させてしまった。しかし、『奴隷が欲しい』といった声はひっきりなしに聞こえてきた。奴隷は労働力としてだけではなく、民の不満を抑えるという副次的効果があった。彼らが持つ新しい文化、土壌、まだ見ぬ女達、そして何より勝利とともに沸き上がる充実感がルフォートの胸をくすぐった。

 ただ近頃、難題も持ち上がってきた。距離だ。

 遠方の邑を襲うために様々な方面で骨を折った。物資、道案内、野営、戦士の長期間における確保。何日もかけて遠征すると疲労の色が濃くなり傷病者も増えた。

 そこで進言をする者があった。最近、智者と聞こえて月下将に登用された男だ。

「馬車を使ってみてはいかがでしょう。馬は力が強く、運搬に適しています」

「馬の数が足りないだろう」

「まだ野に遊ぶ馬がいると聞きます。後は、少しずつでも繁殖していくしかありますまい」

 ルフォートは満足げに頷いた。

「よし、交易用の馬をみんな駆り出し、今回は他の邑へ征くぞ」

 馬を食料輸送に用いると負担が激減し、行軍がすこぶる捗った。ルフォートは歓喜した。

「馬だ。あらゆる手段で馬をかき集めろ」

 その日から、あちこちの邑から交易と略奪で馬を手に入れていった。

 道程が悪くひどく揺れるため、大半の者は馬車に乗るのを嫌がったがルフォートは好んで馬車に乗った。

「気持ち悪くならないのですか?」

「嵐の海に漕ぎ出してみるがいい。こんなもの揺りかごのようなものだ。余りに心地よいのでうたた寝しそうになる」

 馬車は悪路に滅法弱いのが悩みどころだった。

 そこで奴隷が駆り出された。日照時間の長い夏の昼間、果てしなく続く荒野、山、泥土に奴隷達は終日、道路整備に当たった。余分な荷物になるので奴隷の食料はまったく考慮されなかった。過労で病に罹り、動きが鈍り、そして棒で打たれ、野営地の跡には大量の骨が野晒しで残された。皮肉なことに死者が出るとその肉は奴隷達の哀れなご馳走になった。

 また、たくさんの馬車も製造された。鉱石の採掘、その運搬、部品の組み立て。重労働ばかり奴隷は従事させられた。

 ついに全兵士を馬車に乗せる程に馬の数も増えた。

 長い長い下り坂で馬車を走らせると自分の体が風になったかと思われるほど速度が出た。ルフォートの乗る馬車には天地総攬が括り付けられ、折れんばかりにはためいていた。

 ルフォートは興奮して叫んだ。

 「よし。このまま邑に突っ込むぞ!」

 その声を聞いた者全員、口が開かぬ者はなかった。

 しかしまた誰一人として、声を出した者もいなかった。ルフォートの言葉は絶対的だった。異を唱えた者はのちにほぼ例外なく不遇をかこった。

 「馬車を降りたら密集しろ。決して突出するな」

 そう言って御者を退かせると自分で手綱を握り、馬車の群れは邑に突入していった。御者達は必死で馬を操ったが家に激突するわ馬車同士で衝突するわで大混乱になった。

 だが、それ以上に混乱したのは突然の闖入者を迎えた邑の方である。邑人は呆然と馬車の大群を見上げている。

「これは……交易……ですかな?」

「悪いなあ」

 ルフォートはばつが悪そうな顔をしながら突として曲剣を振るった。呆気にとられた首が無残に弾け飛んだ。

「かかれ! 一人も討ち漏らすなよ」

 子羊を目の前にした狼のように、ルフォートの兵は牙を剥いた。残忍に命を奪う。徹底的に力の差を見せる。己の無力さを実感させる。そのうち人の目から光が消える。絶望。……そう。

 心を折る。

 そうして抵抗を忘れた人々を捕らえ、捕虜にして町に連れ帰る。奴隷は町人の代わりに働き、町人は豊かな余暇を得、その対価として男子を兵士として提供し、兵を無傷で帰すルフォートは権力と賞賛を得る。そんな仕組みができあがった。

「大漁だったな」

 今回は未だかつてないほど大勢の捕虜を手に入れた。そして、あるひらめきも手にしていた。実りの多い戦にルフォートは自画自賛し、満面の笑みを浮かべた。

 そのとき、背後から馬車が急使を乗せ、飛ぶように駆けてきた。

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