3
アカは行き倒れた。耳元では、おいで、待っていると優しい声が届いているが、体はもう動かなかった。
ここで自分はもう死ぬのかと思い、見上げた空には、もうまもなく満月になる太った月が輝いていた。これまで以上に鮮明に、森の王子の顔立ちが思い出される。
整った目鼻立ち。白い肌。簡素な服を纏い、軽やかに歩く。
つっと涙が頬を伝い、アカは目を閉じる。
次に目を開いた時、そこはごわごわした干し草の寝床だった。
はっと体を起こすと、炊かれた薪の前で、女が一人、石を磨いていた。女が磨いている石を見て、アカは息を飲んだ。
それは深い緑色の石で、アカの持つ石と同じに見えた。
「ここには何人もの子供や娘が迷い込み、一晩泊まってゆく」
アカに食事を施しながら、女は言った。
「ここでどうするか考え、どちらに向かうか決めてゆく」
「どうするか」や「どちらに向かうか」の意味が、アカには分からなかった。
女は微笑むと、じっとアカを見つめた。アカの胸には緑の玉が下がっており、女は優しくそれを手に取った。
「荒野は無限で、どの方向に向かうのも自由。ただ、何が待つかは分からない。それを、自分で決めるということよ」
草の波は全てを覆い隠し、すぐ手前すら見えない。目隠しされているのと同じ。北に向かうも、南に向かうも自由。ただし、森に向かうなら、二度と現世には戻れない。
「おまえは森に呼ばれているのだね」
女は静かに言った。
ぱちぱちと火がはぜる。粗末な小屋は、風が吹く度、壁のどこかがかたかた鳴った。
おおー、おー、おー。
狼が遠吠えをする。今、小屋から一歩でも出たならば、命は危うかった。
**
森に呼ばれた子供や娘は、どんなに引き留めても、いずれ森に向かう。
今まで、忽然と消えた村の子供たちは、深く暗い森の奥から手招きをされたのか。
「魔物が巣食う森は、いつか人の手で焼き払わねばならぬ」
村人たちは、そう言い合う。森に憎悪を向け、せめて自分の家族は森に心を囚われないように気を付けた。
喉が潤い、腹も満たされ、体も綺麗に清拭したアカは、やわらかな寝間着にくるまり、目を閉じる。
じゃぶじゃぶと水音が聞こえてくる。ごしごしと洗う音も響いて来る。女が、アカの着物を清潔に清めてくれている。
燃える火に干せば一晩で乾くだろう。
満たされた姿で、アカは向かうべき場所に歩き出すのだ。
「昔から、わたしはここで、番をしてきた」
眠りかけるアカに、女は優しく囁いた。それは子守唄のように旋律を帯びていた。
「原野で無残に死ぬ者も、現世に戻り生き続ける者も。森に還る者も同じ。皆、わたしのところで休んで満たされ、そして旅立ってゆく」
さらさらと落ちる女の髪は懐かしい香りがする。
それは、アカを愛してくれた両親の腕の中の匂いや、アオと一緒に食べたおやつの香りのようだった。
「森の花嫁」
という言葉が耳に届いた時、アカはすとんと眠りに落ちた。闇に近い、濃い暗い緑の沼に沈むように。
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