第十話 柳生十兵衛がやって来る

(これまでのあらすじ:柳生ベイダーとウォーモンガーたみ子は柳生十兵衛に敗れた。十兵衛は西、神奈川へと走る。マサも西、十兵衛へと走る)


柳生ベイダーは命を賭して、自分の作戦を信じて柳生十兵衛に向かってくれた。ウォーモンガーたみ子はあれほど不甲斐ないところを見せた己のために、あの邪悪生物にたった一人で対峙してくれた。


マサの胸中に、彼らの戦いを無駄にできないという想いがこみ上げる。これまでの人生の中で初めて、外から与えられた義務感ではなく、心からそう思えた。


轟轟丸との殺し合いを経て、自分の中で確かに何かが変わった。


そして、黒冥党、龍司の顔が浮かぶ。


「兄さん、皆さん、今更ですみません…、俺…皆さんの仇、やっぱ討ちたいッス…!」

マサは泣いていた。泣きながら走っていた。


十兵衛も走る。先ほどまでの軽く流すような走り方ではない。マサに追いつかせぬための明確な悪意を持った速度だ。


全力で追うマサだが、その距離は一向に縮まらない。

そこに二つの影が迫る!

マサの頭上から、二人組の浪人笠の剣士が斬りかかる。

「我ら名前を月風連!」

「百手のマサ、その首もらい受ける!」

マサは足を止めずに地面スレスレに体をかがめたドリフト走法で、振り下ろされる剣を躱す。

月風連!柳生新陰流をマスターし、狂人血清によって身体能力をブーストした剣士!

その戦闘能力は、一人一人が「柳生新陰流をマスターし、狂人血清によって身体能力をブーストした剣士」の10倍に匹敵する!


しかし!


「貴様たち!今の俺に挑むということは、両断される覚悟はあるな!」

二人は相当な凄腕であったが、迷いを捨てた今のマサならば遅れは取らない。

数回の切り結びの後、二人をあっけなく斬り捨てる。


さほどの足止めにはなっていない。しかし。

影。影。影。

辺りに乱立する崩壊ビル瓦礫の上に、次々と浪人傘姿の男たちが現れる。


「「「狂える柳の名の下に、我ら名前を月風連!

 我らの刃に士魂宿らず、屍のみを糧となす!」」」


一糸乱れぬ叫びと共に四方八方から現れる月風連の男たち。

その数50、いや、100、150、200…


マサは刀を握った。迂回して躱すか?すり抜けるか?

むざむざそれを許してくれる腕ではなかろう。この数の凄腕たちを全て斬り、あの速度の十兵衛に追いつき、そして討ち倒す。己に可能だろうか。

マサは気づき、笑った。こうしている間にも自分の脚は全く動きを緩めていない。


前の己なら、立ち止まっていただろう。だがもはやそうではない。

何も悩むことはない。ただこの道を真っすぐに走り、全て斬り抜けるのみだ!


「良い覚悟!百手のマサ!我ら月風連の首、存分に持っていけい!」

「お代の程は、貴様の首一つで十分!」

月風連の男たちが跳ぶ。瓦礫を飛び石の如くに渡りながら、マサへと向かい野火の如く進む。


その勢いを、横からの矢が削いだ。

「何奴!」

その問いは、適切ではなかった。

その矢を放った者が誰か?そこに意味はなかった。


そこにあったのは軍勢だった。

侍がいた、忍者がいた。

不審者がいた、怪人がいた。

死にぞこないがいた、そして死人もいた。

町田の各地に開かれたポータルから、この惨禍を生き残った街の無法者たちが戦場に次々となだれ込んでくる。


「ほれ!者ども!十兵衛は絶対無理でも、奴の側近をマグレでぶち殺せば、それだけで大功名なるぞ!皆の衆、怯むな!町田の存亡ここにあり!コスパ最高の一戦ぞ!」

二兆億利休が檄を飛ばし、町田残党軍団を鼓舞する。その禿頭には痛々しいほどに血管が浮かび上がり、皮膚からは血混じりの脂汗が流れる。


「儂にも…これぐらいの見せ場は用意してもらわねばな…!」

全身に辛うじて残るサイコ・パワーをふり絞りながら、利休がポータルの数をさらに増す。

肌に浮かぶ血管の一本が千切れ、血のシャワーが噴き出す!しかし利休はポータル展開を止めない!命がけの増援である!


「ウォォォ楽して美味しいところを取っておこぼれでチヤホヤされるぞ!行けー!百手のマサ!雑魚は俺たちに任せろ!ウワーッ死んだ!」

月風連に向かって突撃した荒武者の一人が即殺される!このような有象無象に倒される柳生の精鋭ではない、しかし…


ネクロマンサー・ジョニィが十兵衛に斬られた数千数万の死体と共に進軍してくる。


「ガガー・ピー…目標:地球上の全有機生命体の排除…ガピー…日和見プログラム:有効化…目標変更…月風連の排除…ガピー」

ドクトル・デスマッドの支配を逃れた野生化デスボット群が味方の被害も構わずミサイルを発射した。


不倶戴天の敵たる黒天狗党と紫鸚哥衆は今や遂に同盟を組んだ。


「十ちゃん斬りたい殺したい! はい!柳生に関して自信があるある!剣法剣法一気剣法一気剣法!」

最新作のコールと共に、追い剥ぎホスト団二号店トップの愛斗が疾風ドンペリ突きで月風連の心臓を貫く。


この大騒ぎから離れた廃ビルの屋上。

スナイパー吹き矢でマサを狙う月風連の一人が、空中から高密度レーザーで撃ちぬかれた。ヴァルチャー・スクアッド最後の生き残り、ヨルンは、そのまま廃ビルの間を高速で飛び回りながら月風連を次々と屠っていく。

道路を一直線に十兵衛に向かう剣士が何者なのか彼にはわからなかったが、それでも今倒すべき敵と、今守るべき味方は明確だった。

「研究データを持ち帰り…撤収します。その最適の手段がこれです、隊長…!」


有象無象の急ごしらえの軍である。だがそれでも今や町田は一つになってマサを後押ししていた。

「行け、百手のマサ!相棒の俺に後ろは任せろ!」

「十兵衛を逃がすな!一番弟子のオイラが応援するぜ!」

「こいつらは某に任せろ、義兄弟の縁じゃ、気にするな、我が弟よ!」


「マジで誰っスか、皆さんたち…でも…心底有難マジアザっス…!」

今やマサは月風連の攻撃に脅かされることなく、一心不乱に十兵衛を追っていた。


だが。

その距離が、縮まらない。


「十兵衛のやつ…異常な速さじゃ!二足の脚で到達できる速度では物理的にありえぬ!」

遠方より戦場を一望する利休が慄く。


十兵衛の左右の腰に据えられた武利裏暗刀、そしてもう一刀の未だ抜かれぬ刀の二刀の魔剣。

それぞれの太刀は完全に接地し、十兵衛が走るに合わせて、意志あるが如くに地面を蹴る。

二刀を疑似脚と化して、十兵衛は今や、人の身にありながら四足獣の脚力を有していた。

正気の人間であれば、その冒涜的な走法を一目見ただけで発狂を免れぬであろう。

これが柳生新陰流門外不出の秘伝、柳生十兵衛・ケンタウロスフォームである!


「時間がないぞ!このままではマサが追いつくよりも前に、奴が町田を出てしまう!」


マサの全力の走りでも、距離はますます開いていく。

マサの足の勢いが、遂に落ちる。

まだだ、まだ走れるはずだ!マサは再び加速するが、十兵衛との距離は無慈悲に開いていくばかりだ。

「ここまで…ここまで来て…!」

マサの口から弱音が零れかけたその時。


彼の後ろから、バイクのホーンが鳴った。




そこには一台の族車が、伝説的バイク・Z2が、悪夢堂轟轟丸の愛車があった。 




「轟…ちゃん…」

乗り手なきまま、そこにやってきたバイクを見て、マサはただ呟いた。

シートに跨る。ずっとこのバイクに乗っていたように、しっくりとマサの身体に馴染んだ。


エンジンが音を上げる。

ありがとう。ありがとう、俺の友達。

「行くぜ、轟ちゃん」

マサを乗せたZ2は、猛烈な勢いで走り出した。


◆◆


後ろを振り向いた十兵衛には、今の状況が理解できなかった。


自分で倒すほどでもない相手だから、月風連に任せた。

さっさとこんな町は出ていきたいから、ケンタウロス・フォームで駆けた。

それだけの話の筈だった。


月風連は今や、何処からともなくやってきたカス共の群れに押され始めている。

そして、あの男はいつの間にかバイクに乗って、すぐ後ろまで近づいてきている。


どうしてこの街はこんなにも、オイラの思い通りにならない。

どうしてアイツらの思い通りにばかりなろうとしている。


ケンタウロスの四足で走りながら、自由な上半身を闇雲に振り回し、八つ当たりのように町田の街並みを切り刻んでいく。(事実それは八つ当たりであった)


あの男の乗ったバイクは少しずつ、だが確実に距離を詰めてきている。

このままでは町田を出る前に追いつかれる。


やつを斬ること、それ自体は楽しいだろう。

しかし、オイラと戦いたいというあいつの願いは絶対に叶えたくない。

自分にあと一歩でたどり着けず、無念と恥に塗れて腹を切るあいつを、県境の向こうから嗤って見てやりたかった。


境川に架かるあの橋が県境である。今にも神奈川に出られるというのに。

橋はもう彼の目に見えていた。



十兵衛の懐のヤギュニウム結晶が、彼の邪悪な思念に共鳴して蠢く。


読者諸兄は既にご存知の通り、世界にただ六つのみ存在するヤギュニウム結晶。

二兆億利休が柳生宗矩から奪い取った”空間”を司るヤギュニウム。

宗矩自身の額に埋め込まれた”狂気”を司るヤギュニウム。

そして十兵衛が持つのは、”時間”を司るヤギュニウムであった。

(残る三つ、“暴力”、”破壊”、そして”パワー”の所在についてはいずれ明かされるであろう)


町田滞在中の殺戮により、ヤギュニウムは存分に魂を食らっていた。歪んだ結晶の奥から、紫色の暗い光が輝く。本来はこのような場で使う代物ではない。だが、十兵衛にそのような躊躇はない。


数万の魂を食らってなお、僅かな効果しか産み出せないが、それで十分だった。

世界が鈍化する。大気が粘りを持つ。跳ね飛ばす埃がゆっくりと浮かび、その頂点で完全に静止した。


10歩。時間停止の際に十兵衛が走ったのはわずかそれだけであったが、この最終局面においては、それは致命的な距離となる。


十兵衛とマサとの間隔が突如、再び開く。

十兵衛も全力で駆け抜ける今、二人の相対速度はほぼ均衡、わずかにマサの方が早い。とはいえ、今開いた距離はもはや縮まらない!

県境、橋が近づく!あの橋を越え、対岸の足を一歩でも踏めばそこはもはや町田の外だ!


マサは歯噛みした。ここまで来て、あと一手足りないというのか。十兵衛はすぐそこにいるというのに。


町田の軍勢たちが一斉に脇差を取り出した。十兵衛が一歩でも町田を出たら即座に腹を切る。強さも信条もバラバラな男たちだった。弱者もいた、卑怯者もいた、すくたれ者もいた。しかしそれだけは、誰もが最後の一線として譲れぬ誇りだ。もちろんマサも例外ではなかった。


「マサーッ!!奴が神奈川に出るぞ…急げーッ!町田を出させるなー!」

マサのバイクは既にフルスロットルだが、しかし更に加速は続く!バイクに宿った轟轟丸の残留霊魂がエンジンを仏契ぶっちぎりオーバードライブさせているのだ!


しかし、届かない!


「いいや!限界だ、出るね!…ありがとう!町田!大好きだよ!町田!バイバイ!」

十兵衛はぴょんと飛ぶと、両足で着地して、橋を渡り切った。


静寂。


「バイバ…イ?」

十兵衛は訝しんだ。静かすぎる。

腹を切った男たちの苦痛に呻く声も、怨嗟の泣き声も聞こえてこなかった。


脇差を持った男たちはあっけに取られたように立ちすくんでいた。腹を斬る者はどこにもいなかった。


「貴様ら…それでも武士の端くれか…?揃いも揃って、見下げた臆病者どもめ…」

腹を刺されて瀕死の月風連の一人が、息も絶え絶えにその様を罵った。

「お、俺たちにもわかんねえ…だけど…あそこは…!あの橋の向こうは…まだ”町田”なんだ!理屈に合わねえが、そんな気がする!町田に住んでる俺たちにはわかる!」

「なん…だと…?」


その時、町田全域に、そして橋の向こうの神奈川側からも、防災無線のサイレンが響いた。


『こちらは 町田 市役所 です 

本日 5月13日 先ほど 12時15分から 12時45分までの間に限り 神奈川県 相模原市 南区 森野 1丁目から5丁目は 町田市に 編入されています 

お問い合わせの方は 町田市役所 市民課まで お尋ねください』


それはマダム・ストラテジーヴァリウスの声だった。

彼女のホログラフが街中のいたるところに投影される。


『百手のマサ、聞こえますか。これは私の"賭け”です。”今”、"ここ"に、あなたと柳生十兵衛がいないのであれば、それは私の負け。しかし、そうでないなら。私の読みが正しかったなら、あなたとこの街の為の、最後の手助けができたはずです』


その美しい顔には、デジタル放射状の傷が痛々しく刻まれている。

神奈川県のごく一部をほんの僅かな時間だけ町田に編入する。その超例外的な異常行政事務手続きを強制実行するためのバックドア処理と引き換えに、神奈川県セーフガードシステムからのカウンターハッキングの毒が、彼女と内臓館のネットワーク全域を蝕んでいた。


放送はさらに続く。


『私の引いたレールはここまでよ。あとは貴方たちの手で切り開きなさい、この街の未来を!さらば!』


そこで音声は途切れ、ホログラフに映った彼女の体が崩れ落ちる。

同時に町田全域にある内臓館の支店が、そして本店が、その形を保てずに巨大な肉の塊に戻り崩壊した。


こうして、長年に渡りこの街を守り続けてきた町田市行政統合基盤有機生体システム”V.A.R.I.U.S”は、いつからか芽生えたその自我と共に、完全に消滅した。この街への愛情を抱いたままで。



そして、百手のマサは今、ここにいる。


十兵衛の頬を、バイク上からの追い越しざまの刀が斬った。

「轟ちゃん、ごめん!」

転倒スライドするバイクから飛び降り、十兵衛の前にマサは直立した。


十兵衛は震えていた。

マサはおぞましいものを感じた。だが怯えはなかった。

眼帯の狂剣士は俯き、何かを小声でつぶやいている。

「せっかく…楽しい町田訪問だったのに…お前が…お前のせいで最悪だ…全部台無しだ…お前が…お前さえいなければ…お前なんか…お前なんか…」


マサは怯まない。ただ、十兵衛に対して構える。


次の瞬間、二人を凄まじい歓声が囲んだ。

月風連を倒した町田の男たちが、

そしてこの騒ぎに呼び寄せられた神奈川の勇者たちが、彼らを囲んでいた。


「マサ!泣いても笑ってもコレが最後だ!」

「町田全部の命(タマ)、テメエに預けた!」

「町田の兄ちゃんよお!なんでも構わねえ!折角だからブッ熱い戦い見せやがれ!」

男たちは思い思いの声を二人にぶつける。


「十兵衛はもう逃げられねえぞ、殺っちまえ!マサ!」

「逃げ場はもうねえぞ、柳生!」


十兵衛の顔が怒りに歪んだ。

逃げる?逃げるだと?

この鬱陶しい相手を無視していただけなのに、この柳生十兵衛が逃げるだと!?

怒り任せの雄呂血薙ぎが群集を襲う。それでもなお、男たちの声は全く収まらない。



十兵衛はマサを見た。

コイツが、この男のせいで、全部台無しだ。

許さない、絶対許さない、オイラがやっつけてやる。

常軌を逸した感情の動きが十兵衛を満たす。


バラバラだった男たちの声は次第に揃っていく。

それは単純な叫びから、鬨の声へと変わっていく。


マサは十兵衛を見た。

十兵衛の片目は、彼への憎悪に燃えている。


ヤァ!ヤァ!ヤァ!


鬨の声が響く。


ヤァ!ヤァ!ヤァ!


「来いよ、十兵衛」

マサは手招きして言い放った。十兵衛の足が動く。


ヤァ!ヤァ!ヤァ!


奴がやって来る 

この道をまっすぐと 

ただ俺に向かって 


ヤァ!ヤァ!ヤァ!


柳生十兵衛がやって来る 

ヤァ!ヤァ!ヤァ!


(つづく)

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