柳生ベイダーに言葉はいらない

多摩市。隠れ里。夕方。


子供たちが駆け回って遊んでいる。それは一見穏やかな光景だが、良く見るとある子供には腕が無く、ある子供には足が無く、ある子供には片目が無い。五体満足の方が稀だ。


「みんな、ご飯の時間よ」

穏やかな声が子供たちの笑い声を遮る。

「カナ姉ー今日のご飯何ー」

「わたしニンジンいらないー」

「太郎丸がねーカナ姉の作ってくれたご飯が一番おいしいってー」

「い、言ってねえし!」


カナと呼ばれた女は年の頃二十三、四。野暮ったさの残る顔立ちであるが、額の中心で別れた黒髪、そして生来の穏やかさを映すその表情により、奇妙な上品さを纏った女であった。


彼女と子供たちは笑いながら、里の共同食堂に進んでいく。

その時、村の外周を囲む林、その一角に影が動いた。

猪だろうか、いや、あれは…

「カナ姉、アレ・・・」

「みんな、ここにいて。追いかけてきちゃダメよ。危ないと思ったら、すぐに走って集会場に行って大人を呼んできて。わかった?」


カナは子供たちと離れ、林に向かう。

「カ…ハッ…!」

咳き込むような、苦し気な音が林の陰から聞こえた。

枝葉を払い、カナは息を呑んだ。

そこで見たのは、焼けただれた顔の男だった。

「カ…ハ…カハッ」

男はつぶれた喉から掠れた音を立てると、そのまま倒れこんで意識を失った。



男が目を覚ますと、そこは古びた木造の小屋だった。控えめに言っても立派とは言い難いが、良く手入れされている。

「コー…ホー…」

息苦しさが消えていた。喉に手を伸ばすと固い感触がある。装着型の呼吸器が取り付けられていた。寝床から出て、洗面所に向かう。鏡を見る。顔には包帯が巻かれていた。丁寧な巻き方だった。


「目を覚まされましたか」

振り返るとそこには女・・・カナがそこにいた。

「コー…ホー…ゴッ、ゴホッ」

「無理して話そうとなさらないでください」

咳き込む男の肩に手を当てる。

「喉も顔も焼かれていました。おそらくもう、話すことは叶わぬでしょう。よほど恐ろしい目に遭われたのですね」

カナの顔が曇る。


「ここは多摩の隠れ里。地図には乗っておりませぬが、町田に隣する隠れ村です。柳生の世で生きられぬ者たちが落ち延びた里。あなたが何者かはわかりませぬが…この村なら、寝食くらいは叶うでしょう」

「コー…ホー…」

男は真っすぐ姿勢を伸ばすと、そのまま深々と一礼した。


それからしばらく、日々は穏やかに過ぎていった。


村の子供たちは男の容貌に怯えて遠巻きに見るのみであった。

村の大人衆もまた、口きかぬ胡乱なよそ者を心から歓迎したわけではなかった。


とはいえ、兎にも角にも、村は男を受け入れた。

男もまた村の雑用や力仕事に精を出し、少しずつではあるが村に居場所を作っていった。

カナはかいがいしく男の身の回りの世話をしていた。



事件が起きたのは、二月が経った頃だ。

平太という村の子供が、村はずれで狼に襲われた。狼は本来、人里に下りては来ぬものだが、その日は様相が違った。


大人たちが平太に向かって駆けていくが、遠かった。狼の牙が喉笛にさしかかる。

その時、凄まじい速度で大人衆の間を駆け抜け、農作業用の鎌で狼の首を一刀に切り落としたものがいた。その男だった。

「コーホー」

男の顔に巻かれた包帯が返り血に塗れ、赤く染まる。


平太はしばし固まっていたが、正気づくと泣きながら母親の元に走っていった。

男は事も無げに小屋に戻ると、包帯を変えて外に戻り、黙々と農作業を続けた。



「カナちゃん…そのう…あの男のことなんだがね…」

「あたしたちも考えたんだけど…あの男…村にいつまでも置いとく訳にはいかないんじゃないかね…」

「狼の首を落としたあの体捌きを見ただろ?ありゃ只の男じゃねえ…ひょっとすると…」


事件のしばらく後、村の大人衆から相談されたカナはかつてなく激昂した。

「それが子供を助けてもらった大人の言い草ですか!私たち自身、行き所なくここに流れてきたのに!」

「そりゃそうだが・・・」

「あれほど日々汗を流して働いているあの人を、根拠もなき疑いだけで追い出そうというのですか!」

「だってさあ…あのさ、カナちゃんの”力”でさ、素性だけでも教えてくれんかね…」


カナの顔がそれまで以上の怒りに染まった。

「私の”力”で知ったことは本人以外に決して漏らさぬ、それを私に誓わせたのは、他ならぬあなた方ではないのですか!!恥を知りなさい!」

カナの余りの剣幕に、大人衆も引き下がるしかなかった。



あばら家に替えの包帯を届けに来た彼女は、男が深く沈んでいるのに気づいた。

「コーホー」

「気になさらないでください。あなたはこの村にいていいのですよ」

「コーホー」

「構いません。あなたが心が綺麗な方というのは私がよく知っています」

カナは続けた。

「例えあなたが、柳生を追われた身だとしても」


知っていたのか。

驚く男の頭に、声が響いた。


≪これが私の秘密です…生まれた町を追われたのもこの声のせい≫

≪初めから…俺が柳生だと≫

≪ええ、知っていました…ごめんなさい…ですが、あなたの名前も知りません。ただ断片的に記憶のかけらが見え、心の声が聞こえるだけ。隠していて、申し訳ありません≫

≪そうか≫

男は頷いた。カナが自分を欺いていた、とは露程も思わない。伝えるべき時が来るのを待っていただけだろう。


≪言葉が通じるのは上等だな。喉が潰された男にとってはな≫

男の皮肉めいた口調に、敵意はなかった。カナは頬を緩めた。

カラスが鳴いた。気づくと外は夕暮れ時だった。

帰ろうとするカナを見送り、外に出た。


男があばら家から出ると、遊んでいた子供たちはサッと物陰に隠れ、こちらをチラチラと見る。


≪子供は正直だな 俺に近寄りもせぬ ずっとああだ≫

≪いいえ、逆です 子供たちはずっとあなたに近づきたがっているのです≫

≪何だと?≫

≪そうでなければ、子供たちはもっと遠くに逃げていきます 子供たちはずっと、あなたを影から見ているでしょう≫

男からの声は無かった。彼自身が、何を思えばいいのかわからなかったからだ。


≪貴方が子供たちとどう接していいかわからないから、子供たちも貴方に近寄るのを遠慮しているのですよ≫

男はまだ黙ったままだ。

カナは頭を下げ、その場を離れようとする。

≪待て≫

男が引き留めた。

≪俺が助けたあの小僧… 名はなんと言った?≫



その夜更け、男は自室に正座し一人、過去を振り返る。

柳生庄での血生臭い日々。

ただ一人"嫡男"の座を争うために兄弟同士で相食む毎日。

己自身の手で殺めた実の兄弟も十や二十では済まぬ。

皆、己同様に人とも呼べぬ人でなしたちであったが、それでも血を分けた兄弟であった。


「■■ィ…決勝はやっぱり、オイラとお前のバトルだな!熱血バトル、しようぜ!!」

十兵衛の屈託のない笑顔がおぞましかった。


かつて彼を苦しめた朝鮮妖術の邪法、ノッカラノウム。

それから蘇った兄は、ますます人から遠ざかった何かとなっていた。

十兵衛が柳生を継げば、世は更なる狂気と死につつまれるだろう。

さりとて己が勝っても父、柳生帝宗矩の狂気に呑まれぬ自信も無い。

それでもやらずばならなかった。


「参る」

勝敗は一瞬で決まった。十兵衛は己を斬らなかった。

「この勝負はオイラの勝ち!オイラの剣は、誰かを殺すための剣じゃないんだ!またいつか、熱血バトルしようぜ!■■ィ!」

「十兵衛…貴様…!」


屋敷に運ばれた男はまず顔を焼かれた。


柳生新剣の伝承者争いに敗れた者は剣を封じられ、名乗ることも許されぬ。その為ある者は拳を潰され、ある者は記憶を奪われた。(もっとも、そこまで生き延びているものはごく稀であった)

その後に酸を飲まされ、喉を焼かれた。おそらく次は手足の腱を切られるだろう。

そうなれば脱出の目は完全に無くなる。見張りが油断している今が最後の好機であった。


落ち延びてどうなる。

迷いは消えなかったが、体は動いた。

顔を焼かれた男はその晩、柳生の里から消えた。


十兵衛を殺さねばならなかった。

十歩流れ。十歩先から剣先に込めた邪気のみで相手の胴を水平に薙ぎ斬る奥義。

前の立ち合いでは十兵衛に先手を取られ、使う機が得られなかった。

十兵衛はこれをさらに極めて、大量破壊剣理として新たな奥義”雄呂血薙ぎ”を編み出したという。虐殺の剣だ。

それとは違う剣を、己だけの剣を産み出さねばならなかった。



翌日、いつものように力仕事に精を出す男。

周りを見回すと、子供たちが家々の陰から男を見ていた。男は少し思案すると、懐から干し柿を取り出して、子供たちを手招きした。

「コーホー」


子供のうち最も背の高い男子、彼に狼から救われた平太は、おずおずと物陰から出ていくと、ゆっくりと近づいて、柿を受け取った。

平太の様子を見て、他の子供たちも続けて出てくる。

「コーホー」

「まあ」

たまたま通りがかったカナは声を上げた。


村に来て初めて、男が笑みを浮かべていたのを彼女は見た。



半年後。


畑を耕す男に、後ろから幼子が突進した。つんのめって倒れる男を見て、平太たちが笑う。

「コー!ホー!」

腕を振り上げて怒る男から、村のいたずら小僧たちが笑いながら逃げる。


「あの人もすっかり馴染んだねぇ、カナちゃん」

その様子を見てほほ笑むカナに、女房衆の一人が声をかけた。

「ええ、本当に…」

カナが答える。

「カナちゃん、例の手品でなんかやったのかい?」

「いいえ、私は何も…あの方が子供たちを惹きつけたのは、奥底の優しさを子供たちが見抜いただけのことです」

「アハハ、ゾッコンね!これ今日の昼飯!あの人に渡しといて!」

「ちょ、そんなんじゃ…ちょっと…!」

カナが抗議する時にはもう、女は握り飯を置いて立ち去っていった。


≪飯の時間か≫

男がやって来る。

子供たちは遊び疲れたのか、どこかに行ってしまった。

≪うん、美味い。いつも有難いな≫

≪それだけ働いているでしょう≫

≪否定はできんな…体力には自信がある。ん…今日の握り飯、多いな…あんたも食うか≫

(あの人め、余計なお節介を…!)カナはそれを心の奥底で思うに留めた。

≪残されるくらいなら…一緒に頂いてもよろしいですか≫

二人は黙々と握り飯を食べる。

心の声も上がらない。

沈黙が羞恥に変わり、顔がどんどん紅くなっていくのがカナ自身にもわかった。

なんとか話題を見つけなければ。

≪あの、平太たちはどこに—≫

≪アイツらか、俺をからかい飽きて、外森に遊びに行くとか言っていたが≫



「平ちゃん、どこまで行くの」

茂みをかき分けながら子供たちは森を往く。

深い森ではあるが、この村の子供たちにとって迷う場所ではない。

先頭を行くのは平太であった。

「あっちの森に…火傷に効く薬草があるから…兄ちゃんに届けてやるんだ…!」


子供たちは庭のように慣れた森を歩き続ける。

この辺りには人喰猪もヒトクイマイマイも出ない安全な道だった。

だからこそ、そこに見慣れぬ武士の影を見つけた時の子供たちの恐れは際立った。


「平ちゃん…あれ…」

「シッ」

仲間の口を抑えながら、平太は様子を伺った。

この村の大人ではない。荒々しく着古された派手な色彩の服は、彼が堅気の者ではないことを示している。まだこちらに気づいている様子はなかった。


「みんな…村に帰るぞ…気づかれちゃダメだ…静かに…」

子供たちは身を低くし、ギョロギョロと辺りを見回しながら歩く野武士の視界から隠れながらそろそろと進む。

ばき。

小枝が折れる音が響いた。

「…!」

平太が息を呑む。前を行く、一番年少の弟が小枝を踏んでしまった。

(気づかないでくれ…!)

平太は祈る。


少し待っても、背後から物音は聞こえない。

ほっとして振り返る。そこにはいなかった。

「見ィーーつけたァーーーーーー」

顔を前に戻すと、そこに野武士の顔があった。

「…!!」

恐怖で体がこわばりながらも、反射的に弟を突き飛ばした。

男は代わりに、平太を抱きかかえる。

「捕まえたァーーーーーー」


弟たちが逃げていく。

(ダメだみんな…真っすぐ村に行っちゃ、ダメだ…)

平太はそう思ったが、喉を締め上げられ叫ぶことはできなかった。



カナが身構えた時にはもう、男は物陰の刀に向かって走り出していた。


森の方から、子供たちが泣きながら逃げてくる。

「子供は素直で可愛ィなァーッ…道案内もこんなに上手だ…!」

子供たちの後に続いて、派手な装束に身を包んだ野武士が森の奥から現れる。

カナの口から、細い悲鳴が漏れた。

その太い腕が平太を締め上げている。


「田舎者どもォーッ、いらんことするとこのガキの首がもげるぞォー」

野武士の叫びを聞きつけて、村の人々が集まってくる。

「俺様は濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)…なァーに、素直に言うことを聞けば誰も殺さずに大人しく出て行ってやるぜ…まずは酒持ってこォーい、ありったけな…!」


物陰に身を隠した男は顔をしかめた。

濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)。聞いたことがある名だ。


腕は一流と言っても過言ではないが、生来の人品が下劣であり、必然、無法者に落ち着いたという。村々を襲い、その住民を遊び半分に根絶やしにする外道。討伐隊の組織も検討されたが、その一方で妙に賢しいところがあり、彼が襲うのは柳生朝の天領から外れた”はぐれ村”ばかりだったが故に、未だ討伐されることもなく放置されていた。


濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)の左腕は平太の胴を締め上げ、右腕に持つ刀がその首に当てられている。

「ハワワ…」

村人の一人が背を向けて逃げ出そうとする。

「何勝手に動いてんだァー…!」

銃声が鳴った。逃げた村人が背中を撃たれ、その場に倒れこむ。

濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)の背中から第三腕、金属製メタル・アームが伸び、拳銃で村人を撃ったのである。致命の部位は辛うじて外れている。


「いいかァー、田舎者どもォ―…俺の許可なく離れるな、近づくな。俺が撃ちやすいところにちゃァーんと棒立ちになってろよ…、オラ、そこのババア、お前は走れ、さっさと酒もって来ォーい…」


なんたることか!これでは平太を両腕で拘束しているにも関わらず、第三腕で自由に発砲可能ではないか!『両腕で人質を取ると第三者への攻撃が出来ない』という戦術的課題を完璧に解決する恐るべきソリューションである!


≪貴方の腕なら、奴を倒せませんか≫

物陰で気配を殺す男の頭に、カナの声が響く。

≪奴は凄腕だ。斬ることはできるが、戦いの中で平太を傷つけぬ保証はない≫

≪ならどうすれば…≫

≪機を待つしかないな。奴が隙を見せるまではこのまま待ち、死角から討つ≫

≪しかし、その間にも村の人が傷つけられていきます≫

≪命は取るまい…恐らくな≫


カナにはそれ以上告げなかったが、それはある程度確信のある読みだった。今のこの場の辛うじての均衡は、奴が一人殺せば崩れる。話に聞くとおりの外道であれば、その前に村人を怯えさせ、嬲り者とするのを楽しむ筈だった。

兄の顔が脳裏に浮かぶ。胸が悪くなった。


奴は男の存在にはまだ気づいていない。そこを狙って仕留めるべきだった。

「ンンー…田舎の臭えドブロクにしちゃ、呑める方だなァー…つまみが足りねえぞォー…」

濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)はベチャベチャと音を立てながら、干し肉や川魚の燻製を食い散らかす。男の体躯は巨大だが、それにしても異常な食欲で次から次へと手を付ける。貧しい村の貴重な備蓄食料であった。


敵が目を逸らした瞬間を狙い、男は物陰から物陰に音も無く移り、その距離を詰める。それは武道にはとんと疎いカナから見ても惚れ惚れとするような無駄のない体捌きであった。柳生一門といえど、あれほどの動きができる男はそういないのではないか、カナはなんとなくそう思った。


距離が離れ、心の声が届かなくなる。彼女の声が届くのは精々2、3メートルが限度だ。少しずつ男は濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)との距離を詰めていく。あと少しで、完全にその死角に回りこめる。そうすれば一気に距離を詰めて、奴の脊髄を刺し貫くことができる。


しかしその時、飲み食いに飽きた濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)が叫んだ。

「フゥー…飯の次は…殺し…いや、女だァー…!そこの女!おい!お前だァー」

カナに目を付けた。村人たちは彼女が死角に入るように、自分の体を目隠しとしていたが、濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)の勘の前には無駄な努力だった。


カナが一歩前に踏み出す。

(私に構わずそのまま進んで)

彼女の毅然とした表情はそう告げていた。

「ンンー…グフフ…クソ田舎の割には…中々良い体つきではないか」

濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)の下卑た目線がカナを舐め廻すように眺める。


「じっくりと、楽しませてもらおうかなァー…!お前たちクソ百姓が俺のためにできることなど、このくらいしかないのだからなァー…!おい、女、まず服を脱げ、全部だ。百姓どもォー、お前たちにもおこぼれをやるぞォー!目を逸らしたりすることは許さんぞ、グッグッグ」

カナは一瞬だけ躊躇って、着物の肩に手をかけた。


ぎしり。

地面を踏みしめる強い足音が響いた。ケノービが振り向く。


男が剣を構えて立っていた。


(どうして…!)

カナの抗議の視線に、男自身答えはなかった。カナを囮にしてでも、奴に近づくべきだった。柳生にいたころの己だったら間違いなくそうしていただろう。


「なんだァー…てめェー…こそこそ隠れてやがったか、気に入らねえなァー」

「コー…ホー…」

「田舎百姓って風格じゃねえなァー…待てよ、その包帯、新陰流の構え…」

ケノービの顔に下卑た笑みが浮かぶ。

「貴様、ひょっとして逃げた柳生の次男坊かァー!俺もツキが回ってきたぜッ!その首を手土産にすりゃ奉行くらいの地位は固い!野武士も飽きてきたところだ!権力者になって堂々と弱者を虐げて楽しみたい!」


男が飛び出たのは無策という訳ではない。奴迄の距離は20メートル弱。男の射程内である。

この村に来てからも人知れず磨き続けてきた奥義”爆縮流れ”は奴に届きうるだろう。

だが、その精度にはまだ難があった。

このままでは、勢いづいた刀は奴もろともに抱えられた平太を斬りかねない。


濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)が発砲する。男は微かに体を動かしてそれを避ける。新陰流独特の歩法にして回避術”柳”である。

「つまらねぇマネしてんじゃねえ!テメエは近づくな、遠ざかるな、避けもするな!脚に根生やして素直に撃たれやがれ!次避けやがったらこのガキの目を潰す!」


濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)の口調から緩みは消えている。

男が凄まじい達人であることを彼は理解していた。人質が無ければ、恐らくは分の悪い戦いとなるだろう。だが、彼は人質を失うことなく傷つける術には長けていた。死なぬようにいたぶり続けるのは得意中の得意だ。

長引けばこの小僧は無残に傷つき、相手が根負けすればそこを撃つのみ。

男もそれを理解していた。汗が流れる。


平太が一瞬でも、奴から離れてくれれば…!

「コー…ホー…!」

己の潰れた喉が恨めしかった。カナは遥か遠くにいる。彼女の”力”は頼れない。


一瞬、目を閉じる。心を澄ませる。

平太と目が合った。

≪伏せろ!≫

強く念じた。

その瞬間、平太がケノービの腕に噛みつき、滑りこむように伏せる。


ケノービが反射的に男に向かって発砲する。

同時に、男はその場で刀を突いた。その剣先からは闘気など伸びず、ケノービには勿論届かない。

その剣はただ、男とケノービまでの間の大気そのものを貫いた。

直線状の真空状態が二人の間に急激に生まれ、爆発的に周辺の大気が収縮していく。

それと合わせて凄まじい力で右足を踏み込み、半ば跳ぶように踏み込んだ。

収縮する大気と、押し出す大地の力が合わさり、男は銃弾を掠めながら20メートルの距離を瞬時、一足に踏み込む!


それはケノービのように、十兵衛のように、安全な位置から相手を殺そうという技ではない。

己の身そのものを瞬時に死地へと送り出す技、”爆縮流れ”!

「コー!ホー!」


男の刀はそのまま、濃尾・ワン・ケノービ(濃尾一強いケノービ)の穢れた胴を両断した。

「ゲボッ…早すぎる…!それにお前ら…どうやってガキと攻撃のタイミングを合わせやがったァー…畜生…濃尾一強い俺様が…こんな田舎村で…納得い…か…ね…ェー…」

両断されたケノービの上半身は、中空で呪詛の恨み節を吐きながら息絶えた。


「兄ちゃん、兄ちゃん・・・・!」

平太が胸に飛びついてくる。

≪お前も…カナのように心が読めたのか≫

返事はなかった。

≪おい、返事をしろ≫

「…?」

 平太の顔には何の含みもなかった。


≪本当に、本当にありがとうございました…≫

カナが走り寄ってくる。

≪カナ、こいつは…≫

≪その子はただの子供です≫

カナが答えた。

≪だが、俺の心の声は確かに届いたぞ≫

男は怪訝な顔をする。


カナは答えた。

≪それはなんの”力”でもありません…人と人の、心が通じただけです≫

そして、男の手を取って、微笑んで続けた。

≪種も仕掛けもない、どこにでもあるありふれた奇跡ですよ≫



二日後。


「只者じゃねえとは思ってたが、柳生のお方だったとはねえ」

「アンタさえよけりゃ、ここにずっといてもいいんだよ」

「あんたが柳生だったって、この村にゃ今更気にする人なんかいねえよ」

「うちの旦那だって撃たれたけどちゃんと生きてたしさ」

「コーホー」 

男は掌で、村人たちの言葉を固辞する。


≪行くのですね≫

カナの声が頭に響く。

≪俺がここにいては、いつかまた村に危険が及ぼう。それに…≫

男の目が鋭くなった。

≪斬らねばならぬ男が一人いるのを忘れていた≫


「なんだか知らねえけど、たぶん旅先で危ない目にも遭うんだろ!?コレ、うちの家宝の兜だけどよ、俺なんかが持ってても仕方ねえ、アンタが使ってくれよ!」

「コーホー」

「コレ、ウチの家宝の籠手!」

「うちの胴鎧も!」

「コーホー」

「この髑髏面も使っとくれ、包帯姿よりゃ良いだろ」

「そりゃガラ悪すぎねえか」

「コーホー」

「こういうのはドス効いてるくらいでちょうどいいんだよ、ほらピッタリ」

「火傷は酷いけど顔の形がいいねえ、元は色男だろうに勿体ない」

「コーホー」

村人たちがそれぞれ秘蔵の具足を持ちより、半ば強引に男の身に纏わせていく。

「全身分揃っちゃいるけど、色も見た目もバラバラでなんか勿体無いねえ」

「こういう時は黒一色に塗っちまえば纏まるもんだよ」


黒鎧の戦士姿となった男の前に、最後に平太が駆け寄った。


「に、兄ちゃん…おいらは兄ちゃんにあげられるような立派なもんは何も無いけど…おいら…おいら…」

「コーホー…」

涙の溜まった平太の目をしばらく見つめると、男は兜を脱いで足元に置いた。

次の瞬間、刀の一閃が煌めき、兜の額に鋭い文字が刻まれた。


柳生 ベイダー


「おいらの…名前…」

「コーホー…!」


平太に頷くと、男は最後にカナの目を見た。

≪平太がくれた新しい名の代わりに、古き名はあなたの心に置いていこう。あなただけが覚えていてくれ≫

カナは男の目を見て微笑み、頷いた。

≪私の、私の名は、柳生―――≫



「ねえカナちゃん、最後だから一つだけ教えとくれよ」

女房衆の女が、もう見て取れないほど小さく遠ざかった男の背中を見ながら語り掛けた。

「あの人は私たちのこと、好きでいてくれたかしら」

カナは答えた。その眼からは涙が流れているが、同時に笑みがあった。


「それを知るのに…わたしの”力”は要りませんよ」



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



柳生一族で唯一、人を愛することを知った男がいた。

柳生一族で唯一、人と心を繋げた男がいた。

それ故に、柳生一族最悪の忌子と呼ばれた男がいた。

皆はこう呼んだ、柳生ベイダー。


未来…それは先の見えないハイウェイ。

だが、今はその先に希望の光が見える。

柳生の殺人剣士が生命の価値を学べるのなら、

我々もそれができるはずだ。


(柳生ベイダーに言葉はいらない 終わり)


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