SIDE:柳生十兵衛

「オイラ、柳生十兵衛!バトルが大好きな小学五年生!町田の皆、オイラとバトルしようぜ!!」


町田に立ち入るなりそう絶叫した柳生十兵衛は、その剣の二振りで町田の全住民の八割強を即死させた。



二発目の斬撃を何者かに受け止められると、十兵衛は途端にその場への興味を失い、おもむろにその場に座り込んで弁当を食べ始めた。

「オッホ、オイラの大好きなオムライスじゃねーか、母ちゃん、わかってる~~!」

彼の剣を辛うじて止めた男は剣が折れたのか一目散に走り去っていったが、十兵衛は食べる事に夢中で気にも留めなかった。


ここで読者諸兄に申し添えておくと、本作における柳生十兵衛のビジュアル・イメージは、現代日本における最大公約数としての柳生十兵衛概念(女体化されているものは除外されたい)を想定頂いて概ね外れはない。


つまり、小学生ではない。


それはさておき、十兵衛は弁当を食べ終わると(ちなみに、これは実際にはオムライスではなかった。それが実際には何だったのか詳述するのは読者の正気のために差し控える)立ち上がり、鼻をひくひくと鳴らして嗅ぎまわった。生き残りの匂いを嗅いでいるのだ。


実際には、犬並みの嗅覚を持っていたとしても辺りの凄まじい死臭と血の匂いの中でそれを嗅ぎ分けるのは不可能だったし、十兵衛の嗅覚は人間並みだった。適当に歩き回って、近くにいる人間を皆殺しにしているだけだ。ただし十兵衛だけは、それを鼻によるものと信じていた。


「あれが柳生十兵衛か」

「あれは…狂人というより、異常者ではないか」

「油断するな。この国で最強の剣士の一人だ」

そんな十兵衛の様子を、遠く離れた所から見る男たちがいた。


彼らは、十兵衛の町田来訪を知って一太刀浴びせようと殺到した(そして真っ二つになった)市民たちとは異なり、慎重に距離を置いて十兵衛を観察していた。

「それにしても愚かな連中だ」

「あの男がここを訪れて、まず大量殺戮をするなど容易に予測できるだろうに、理解できんね」

死体の山を見て、男たちが笑う。

「笑うな、お前たち。それがこの国のやり方ということだ」

頭目格と思しき、大柄な男がいさめた。その目つきは険しく、顔の下半分は濃い熊髭に、上半分は数々の傷痕に覆われている。

その声は断固とした意思を表していたが、声に荒々しさはなく、むしろ穏やかな口調だった。


「イエス・サー!」

それまで笑っていた男たちは、途端に襟を正した。

簡単には人に従わぬ荒くれ者の集まりだったが、頭目の男は彼らからの絶対的な敬意を獲得していた。


男たちの服装は一様に埃っぽくすり切れたフライト・ジャケット。この国の技術ではない、なんらかの銃器を両手に構えている。黒い金属製の巨大なバックパックが目立つ。


「しばらくこの距離を維持し、奴の行動様式と戦闘能力を確認する。現地住民と無用な戦闘は起こすな。理解したか」

彼らの言葉はこの国の言葉ではなく、その肌は白い。


「俺たちの目的は二つだ。柳生一族の能力を確認すること、奴の持つ「英霊頑刀」と呼ばれるエピック・アーティファクトを奪取すること」

男たちは頷く。先ほどの軽薄さは消えていた。

「いつもの通り命がけの作戦だが、お前たちを一人も死なせる気はない。いつもの通りな」

頭目の男、エルンストはそう告げ、円陣に立つ男たちに手を差し出した。

ほかの男たちも皆、そこに手を重ねていく。

「科学のために」

「科学のために」

彼らの手袋の甲にある、ハトの紋章をあしらえたエンブレムにはこう記されていた。


テスラ科学振興財団 ヴァルチャー・スクアッド


彼らは兵士ではない。

皆、科学者であった。


十数時間後。

エルンストともう一人の若者は瓦礫の中にうつぶせになり、双眼鏡で十兵衛を観測していた。

あれからというもの、十兵衛は無作為に辺りを歩き回り、気まぐれに殺戮を繰り返していた。時折、十兵衛の刀が辺り一面を大きく薙ぎ払うのが見える。

斬撃の軌道がこちらを向く度に、若者は体をビクッと震わせる。エルンストは微動だにしなかった。


「ヨルン、お前は博士号を取ったばかりだったな。こんな辺境のはぐれ者フィールドワークチームに志願したのは何故だ」

エルンストは若者、ヨルンに語り掛ける。その声に非難や自嘲の響きはない。ただ低く、静かな声だった。

「東アジアにおける好戦性有害生物群が専攻でした。柳生一族の生態を間近で観察できる機会は願ってもないですし…なにより…」

ヨルンは双眼鏡から目を外し、エルンストを見た。

「教授の元で働きたかったです」

へつらいではなかった。ヨルンは懐からすり切れた文庫本を取り出した。

『柳生を倒しにニッポンへ』

エルンストが過去に出版した本だった。表紙には若いエルンストの写真が映っている。その顔の傷痕は今よりずっと少なく、その眼に今の険しさと憂いの色は宿っていない。

「そうか」

エルンストは抑揚のない声でそう答えた。双眼鏡からは目を離さなかった。


「ヨルン、見ろ」

十兵衛に動きがあった。それまでうろうろと瓦礫の山を歩き回っていた十兵衛が座り込んでいる。

ヨルンが慌てて双眼鏡を構える。

「は、はい…!あれは…?十兵衛…何をしている…あれは…まるで…?」

その声には困惑と、嫌悪の響きがあった。

「人形遊びだな」

エルンストが淡々と答えた。


「子供の…死体で…ですか…」

ヨルンの頬から冷や汗が流れた。意識して抑えないと胃液が逆流しそうだった。

「この国の人間の思考様式は我々と根本的に異なる…が、柳生一族はそれとも異なる。その中でも柳生十兵衛、やつは更に異常だ。人と思うな、悪意ある災害そのものと思え」

エルンストは変わらず、感情のこもらない口調で答えた。

その冷静さに頼れるものを感じたヨルンは、エルンストの顔を見て凍り付いた。双眼鏡から微かに覗くエルンストの眼に浮かぶ、余りにも深い憎悪の色を見たのだ。


「チェッ!つまんねーの!」

十兵衛はすっかり退屈して石を蹴っていた。


折角の町田訪問だというのに、挨拶代わりにたくさん殺してからは、殆ど誰も話しかけてくれなかった。時折正気を失った浮浪者が何もわからずに近づくが、すぐに魔刀から発散される瘴気やガンマ線により、こちらが斬るまでもなく即死してしまう。

逃げ遅れて射程内に入った女子供や老人を、退屈まぎれに得意の超広範囲斬撃”雄呂血薙ぎ”で薙ぎ払いもするが、それで衝動が満たされる訳もない。

懐から「町田に行ったら一度は訪れたい!町田でおすすめの観光スポット20選」と記された巻物を取り出す。


これを見て定番1位の町田リス園に来たはいいものの、最後のリスもたった今踏み潰してしまったところだ。1位でこれなら、それ以下は推して知るべしだろう。虚無と死の街、町田…


「もっと楽しいことねーかなー…歯ごたえのあるヤツとバトルするとか…もっと100人200人まとめて真っ二つにするとか」


十兵衛は鼻を鳴らしながら、周囲を嗅ぎまわる。

「オッ?」

十兵衛の目の色が変わった。

「オッ?オッ?よくよく嗅いでみると、集団の匂いがするぞ?よし!遊びにいくぜ!」


繰り返しになるが、十兵衛の嗅覚は人間並みだ。ただの当てずっぽうである。

しかし、その勘は正しかった。

剣士の本能であろうか、それとも個としての異常性であろうか。


ともかくも、十兵衛は向かい始めた。

避難困難者や負傷者が寄り集まり、急場の難民キャンプと化している薬師池公園へと…!


「各班、こちらアルファだ、状況を報告しろ」

エルンストが無線機に向けて語りかけると、すぐに返答が届く。

「アルファ、こちらベータ。指定のポイントにて十兵衛を観測中、異常なし」

「こちらチャーリー、ベータに同じ」

「デルタ、現地住民に接触されましたが、交渉により戦闘の回避に成功」

「エコー、異常無し」

他の4チームもエルンストとヨルンのように二人一組となって、町田の各地から十兵衛の動向を監視していた。


「了解だ。それでは各班、観測結果と所見について報告しろ。端的にな」

「十兵衛の斬撃は特殊な衝撃波を生成し、実際の刀身より大幅にその射程を増すようです。推定有効射程は約300m」

「ただし、精度は悪いものと考えられます。横に振り抜いて地上の敵を一掃することで、その欠点をカバーしている模様」

「斬撃は現在までに、生物、非生物含め、その軌道にある全てを切断しており、ビル等の建物や装甲車を丸ごと両断した例も珍しくありません。唯一の例外は、十兵衛の最初の二刀を食い止めた正体不明の人物です」

「それについて、現地住民から情報提供を受けました。本名不詳。通称”百手のマサ”と呼ばれる男で、十兵衛来訪までは町田でも無名の存在だったそうで、過去や能力については謎が多いです。現在は、ウォーモンガーたみ子と呼ばれるサイボーグと行動を共にしている様子。恐らくは十兵衛打倒に向けて、行動を開始したものと考えられます」


「十兵衛の周囲には毒性の大気、または強い放射線が発生しているものと考えられます。彼の付近に不注意にも近寄った非戦闘員や動物が、その直後急激に体調を悪化させ死亡する事例が複数観測されました。この距離からの観測では詳細は不明であり、十兵衛そのものからの毒性か、英霊頑刀、あるいはその他の刀からのものかの判断は困難です」

「奴に対して有効な攻撃を加えた者が存在しないため、十兵衛の防御力は現状では不明です。しかしながら、十兵衛は時折瓦礫などに足を躓かせて転倒しており、その際に出血を確認しました。負傷の回復速度からも、人類種と同程度の防御力だと期待されます。十兵衛の血液サンプルは回収済ですが、少量のため分析には専門設備が必要です」


各班から十兵衛に対する観測結果が続々と届く。この場で語られない各班の詳細な観察も含めれば、画期的な論文が書けるだけの内容だ。


「了解した。俺もお前たちの所見に対して異議はない。諸君らの観測に何ら不満は無いが、十兵衛の能力に未知の要素が多いのも事実だ。現在の我々の装備で柳生十兵衛を殺害、あるいは無力化し、英霊頑刀の奪取に踏み切るのはリスクが高い。プランBとしてこのまま監視を確認し、十兵衛と現地残存勢力の激突により双方が消耗したタイミングを待つ。あるいは現地勢力が十兵衛の殺害に成功した場合は、英霊頑刀の引き渡しについて交渉の余地も残されているかもしれん」


彼は隣に座るヨルンを一瞬見て、続けた。

「もう一つオプションがある。柳生十兵衛は現在、非戦闘員の避難所となっている薬師池公園に向けて進行を開始している。非戦闘員の虐殺が目的と推定される。あるいは、十兵衛を今、我々がその途上で迎撃し、彼らを保護するという選択肢もある。財団の規則では人道的措置よりも任務の方が優先されるが、最終的な決定権限はフィールドチーム・リーダー、つまり俺にある。お前たちの意見を聞きたい。俺が最後に決定する。リスクは先ほどお前たち自身が説明した通りだ」


しばらく沈黙が続く。


「救助に向かいましょう」

最初の声は無線機からではなく、隣から上がった。ヨルンが真剣な目でこちらを見ていた。

「ベータ、新入りと同意見だ」

「こちらチャーリー、どうせならさっさと国に帰って論文を書きたい。今仕留めましょう」

「デルタ、この国の女は美人が多い。役得が期待できそうだ」

「エコー、異議なし」

ヨルンの答えからそれほど間を開けずに、他のチームからも返答が来る。


エルンストが再び口を開く。

「満場一致だな。それでは我々はこれより、柳生十兵衛の撃退と非戦闘員保護を主要目標に変更する。一度合流した後に再度散開し、十兵衛を包囲する。合流点はC3エリアの134,357ポイント。デルタ、お前たちのチームが一番公園に近い。十兵衛の接近に気づいていない可能性がある。避難するよう警告してから合流しろ」


言葉の後、エルンストは少し沈黙し、ジャケットの胸元からロケットペンダントを取り出し、開く。その中の古ぼけた写真にはまだ若いエルンストと、日本人と思しき女、そして赤ん坊の三人が映っていた。一瞬の感傷の後、すぐにそれを閉じ、胸に戻す。


左腕の端末を操作すると、背負っていたバックパックが展開し、金属製の巨大な翼とブースターがその姿を現した。バックパックの一部がヘルメットと酸素マスクに変形し、頭部を覆い隠す。


「いいか、十兵衛との距離を維持しつつ、常に三次元機動に徹しろ。高度を一定に保つな。射程は俺たちの方が長い。勝ち目は十分以上にある。ヴァルチャー・スクアッドの本領を見せてやれ。アルファ、アウト」


通信を切ると同時にその羽を大きく羽ばたかせ、エルンストは離陸した。

その直後にヨルンも、それに続く。


町田の各地から、エンジンの輝きと共に男たちが飛び立つ。



柳生十兵衛は歓喜した。


人の群れを見つけたと思ったらその道すがら、不意に戦闘が始まったからだ。そう、町田に来てから、一方的な殺しこそ時々は楽しんでいるが、戦闘らしい戦闘は考えてみればこれが初めてだった。


「距離を保て!射撃のタイミングを合わせろ!」

エルンスト同様に金属の翼を背負った男たちが、十兵衛を中心とした半球軌道を高速で飛行する。

「3,2,1,Fire!」

号令に合わせて、手に持ったライフルから、電磁レーザーが瞬間的に照射された。

クリティカルポイントを狙ったレーザーは、しかし十兵衛の肩や脚など非致命部位を貫くに留まる。


「外した!?」

「偶然だ、チャージ後にもう一度狙うぞ!」

数秒のチャージの後、ヘッドアップディスプレイ上の射撃ステータスが[READY]に変わる。

「行くぞ。弾道に隙間を作るな、再射撃!」

しかし、致命部位を狙って網の目のように計算されたレーザーを、十兵衛は異常な角度に身体を歪ませて回避する。

「馬鹿な、レーザーの弾道が読めているのか!?」

「怯むな!回避行動を取るなら、当たれば効くということだ!続けるぞ!」


十兵衛は初撃で受けた膝の傷をさすりながら上空の男たちを睨む。

「痛えなあー…チクショ!」

右腕を斜め上方に向けて振り抜き、剣の軌道の延長線上、半径数百メートル内にある全てが無差別に両断される。

しかし、その斬撃は飛行する男たちに届く前にその威力を弱め、消失した。

「あれ?届いてない…ていうか届いても当たってないか、これじゃ」

そのままあっけらかんと呟いた。


ヴァルチャー・スクアッドにとってそれは予想外のことではない。予め観測した十兵衛の攻撃半径から十分な距離を彼らは保っていた。その手に構える多目的ライフルのレーザーモードの有効射程は、その外側からの狙い撃ちをして余りある。

「異常な斬撃だな」

「だが、ここまでは届かん、事前の観測通りだ!距離を詰めさせるな!」


ヴァルチャー・スクアッドが再度の攻撃態勢に入ろうとしたとき、十兵衛が再び構えた。

「もう一回…よっと!」

再度の斬撃。上空を飛ぶ彼らにはその剣は届かない。

だが、斬撃で根元から切断された廃ビルが崩落し、周囲に粉塵を撒き上げる。


「まずい、粉塵だ!」

「レーザーが拡散するぞ、威力を保てん」

「奴はレーザーへの対処法を知っているのか、それとも偶然か?」

無線が乱れ飛ぶ。

「粉塵が収まるまで射撃中止だ!向こうの攻撃も届かん!」

エルンストが素早く指示する。

「エコー!お前たちの赤外線スコープで奴を追え。粉塵に紛れて脱出させるな」

「ガッチャ!」

エコーチームの片割れが、固有装備の赤外線スコープを有効化させ、十兵衛を追う。

煙幕の中に、黄白色に光るシルエットが映る。

「十兵衛の輪郭を確認!動いていません…何を…?」

十兵衛の腕に光点が光った。そう思った瞬間、赤外線スコープごと、その頭部は弾け飛んだ。


「何だと!?」

相棒の死に動揺した声が響く。

「動きを止めるな!ランダムに動き続けろ!」

「粉塵の中から…やつもレーザーを持って…ガッ!」

今度は、別の隊員の胸が貫かれた。


「違います…!あれは奴の”突き”です!ヤツの”斬撃”ではなく、”刺突”が飛んできています!」

ヨルンの泣きそうな声が、無線チャンネルに響いた。


「突きだと…精度も射程も斬撃とは比較に…ガッ」

「奴はどうやってこちらを見て…グァッ」

「グェ」

「ギッ」

急速後退するヴァルチャー・スクアッドの隊員達が次々と、噴煙の中からの長距離刺突で撃墜されていく。


「この距離でも墜とされるのか!?」

「射程の底が知れん…!高度を取っても無意味だ!建物を影にしろ!」

生き残った部隊の面々は高度を下げ、廃高層ビルの影に隠れる。

「どこまで意味があるかわからんが…」

エルンストは歯噛みした。十兵衛が未知の遠距離攻撃を有するリスクは織り込んでいたが、ここまでの射程と精度とは。


粉塵が晴れていく。

「フーッ!突きで剣気飛ばすなんて初めてやってみたけど、案外イケるもんだな!ひい、ふう、みい、たくさん…オッ!当てずっぽうだけど結構当たってるじゃん!流石オイラだぜ!」

十兵衛の大声が周囲に響く。それはハッタリによる威嚇ではない。ただの素朴な感情の発露であり、度を越した大声も十兵衛の素だ。


硬質の轟音が響く。奴の刺突が仲間の更に一人を、建物ごと貫いた音だ。

エルンストは大きく息を吐いた。

今や射程の優位は完全に逆転した。十兵衛が再びビル切断で粉塵に隠れれば、むしろこちらが一方的に”狙突”を受けるだけだ。手詰まりだった。

こうした結果になるリスクは全員が承知して、そして下した決断だ。

後悔は無かった。分の悪い賭けに出て、そして負けただけだ。


それでも、十兵衛の足止めとしては十分すぎるほどの時間を稼いだ。

奴が数千人の避難民を虐殺する様子を指をくわえて見ているより余程マシだった。


それはテスラ科学振興財団本体が重視する科学者倫理とは全く別の心の在り方だ。

邪魔者は殺し、屍肉を漁って研究材料を得る。”命”と”死”に最前線で触れ続けてきたフィールドチーム、ヴァルチャー(禿鷹)の矜持だった。


だが、ヨルンを連れて来たことだけは心を咎めた。

エルンストは、離れたビルの陰にうずくまるヨルンの姿を見た。

ここからでもわかるほどに震えていた。


まだそこまで腹が据わっていなかったか。

非難や軽蔑ではなく、単なる事実として彼はヨルンをそう評価した。資質も熱意もある。やがては良い研究者となるだろう。だが、まだ若すぎ、経験が足りなすぎた。連れて来た己の失敗だった。


「隊長…すみません…僕があんなことを言ったせいで…」

ヨルンの震える声が、無線越しに聞こえる。

「全員で意見を出し、俺が決めたことだ」

「でも…」

「全員腹は同じだった。お前は最初に言い出しただけだ。責任を感じるのは傲慢だ」

ヨルンと目が合った。


「お前は行け。逃げ遅れている連中の避難を助けて、研究データを財団に持ち帰れ」

「た、隊長たちは?」

「俺たちは奴の気を逸らし、最後の抵抗に出る。おそらくは全員死ぬ」

「死ぬって…そんな…」

「フィールド・チームはそういうものだ。俺も助けられてここにいる。命令を復唱しろ」

「ひ、非戦闘員の避難を支援し…研究データを持って撤退します…!」

ヨルンの涙声を聞いて、エルンストは安心した。

絶望した中にも芯が残っている。運よく生き残れば、いっぱしの研究者になるだろう。

「行け」


エルンストと残った隊員が各所のビル影から同時に飛び出す。

十兵衛は再び粉塵に隠れようとはしない。こちらをナメていた。

ヨルンは十兵衛の死角となる低空を高速で駆け抜けていくが、見守る余裕は無かった。エグゾウィングの性能限界を超える乱反射軌道で十兵衛の周りを旋回し、十兵衛をレーザー射撃し続ける。


限界を超える高速軌道で意識が曖昧となる。

腹を貫かれてようやく、もう自分しか残っていないことにエルンストは気づいた。


垂直落下しながら、懐から一本の偃月刀を取り出した。

「こんなものに頼るとは、科学者の風上にも置けんな」

そう呟くと、歪なアラビア文字が書かれたその偃月刀を自分の傷に深々と突き刺した。


引き抜かれたその傷口から血は流れず、替わりに瘡蓋かさぶたがそこから溢れ出す。

「オッ、オッ…オ?」

十兵衛は訝しんだ。


あの落下しているヤツから溢れる血?いや、かさぶた?アイツそのものよりもずっと大きくないか?


エルンストが瓦礫の山に落下すると、十兵衛はそろそろと近づいていく。


瓦礫の山が根元から崩れ始める。

「ワ、ワ、ワ!!!」

十兵衛は慌ててその場を離れた。


瓦礫を跳ね飛ばしながら、小山の様な瘡蓋が盛り上がる。

“それ”からは人の手を模した、ぬるりとした無数の触手が生える。

瘡蓋本体、触手を問わず、その表面には大量の眼球が、あるいは二つ三つと結合して現れる。


「タナマナシヤマユタハ…」

意味をなさない呟きが瘡蓋の何処かにあろう口から漏れ、既にその神秘を使い果たした偃月刀が、跳ね飛ばされた先の地面で砕けた。


砕けたその偃月刀こそ、結界鎖国暴風を超えて魔列島・日本の調査に赴くテスラ科学財団の部隊に、本来は対立組織である『ミスカトニック研究学園都市』、その史学科から支援提供された神話級アーティファクトであった。

その刀身に刻まれた忌まわしき賛美の詩が、エルンストの肉と骨を触媒に、宇宙的な神格の欠片を地上に顕現させた。


悍ましき神の肉片を前にして、十兵衛は二刀を構え、歯をむき出しにして笑った。

「ク、ク、クゥ〜〜ッッッッ!!こーいうのを待ってたんだぜ!さあ、オイラとバトルしようぜ!!」


瘡蓋の山は、全身をズルズルと引きずり意外なほどに早く十兵衛に近づいていく。

生白い腕の如き触手が彼に伸びる。十兵衛はそれを瞬断する。


斬り落とされた触手が触れた地面が溶ける。

それだけではない、瘡蓋から伸びる触手が触れたあらゆるもの、人の死骸、コンクリートから金属に至るあらゆるものが即座にぐずぐずと腐り落ちる。腐液には瞬時に妖蛆が湧き、その蛆もまた即座に腐り果てる。

「ゲーッ、バッチいぜ!」

十兵衛は飛びのいて距離を置く。


「それならさっさと…決めちまうか!」

大きく上に振りかぶって、斬撃を飛ばす。瘡蓋の山は簡単に垂直方向に両断された。

「イヨシ!あっけなすぎてつまんねえぜ・・・オオッ!?」


両断された瘡蓋の間に、更に瘡蓋がこぼれる。元の瘡蓋とこぼれた瘡蓋の境はすぐに失われ、痛ましき神は再びもとの姿に戻った。


十兵衛は、二度、三度とそれを繰り返すが効果はない。触手はすぐに生え変わり、瘡蓋はすぐに一つの山に戻る。


「ヌカルヘヴフツァトクバエルユルフヌエド…」

瘡蓋の山からは、冒涜的な言葉の羅列が続く。その言葉はあらゆる意味を持たず、それ故に耳にした者を発狂させる呪言であった。(十兵衛は既に発狂しているため無効)


「…遠くからチマチマってんじゃダメ、か。仕方ねえ…」

十兵衛は駆け出す。迫りくる無数の触手を二刀で切り裂きながら、十兵衛は走る。

瘡蓋の山が近づき、十兵衛は跳んだ。その頭頂(頭と呼べるなら)に着地した。十兵衛は、二刀を一度天に掲げると、一気に突き刺した。剣気によって伸びたそれではない、魔刀・英霊頑刀と邪刀・武利裏暗刀の刀身そのものを。


「プルヨアヅエウシアケタタゴアナエガウエ!!!!」

呪言に苦悶の色が混ざる。

刀身が差し込まれた傷口から、黒紫に輝く病んだ火花が溢れ出す。

英霊頑刀と武利裏暗刀、二つの魔刀に宿る邪悪なエネルギーが、旧き神の欠片に流れ込む!

魔刀と宇宙的恐怖、起源の異なる二つの邪悪な力がぶつかり合い、太陽が黒く欠ける。


十兵衛の全身を触手が這いずり、その皮膚が腐り落ちていく。

だが、十兵衛は刀を離さない。

「どお…でえ…!!コレがオイラの…スーパー武器だぜ!!」


火花の勢いが最後にひときわ激しくなり、止んだ。瘡蓋の山の内部から紫の光が溢れ、その身が大きく悶える。


十兵衛が頂上部から飛び降り、地面に着地する。

瘡蓋の山に背を向けたまま、ゆっくりと二刀を『十』の形に振り抜き大見得を切る。

その背後で、空まで伸びる大爆発が起きる。旧き神は再び、この次元から放逐された。


十兵衛は、触手によって腐った自分の肉を事もなげにそぎ落としてそれ以上の浸食を防ぐ。彼の全身はそのような傷と欠損によって埋めつくされていた。


少しの間満足げに自分の戦いの痕跡を眺めていた十兵衛は、すぐに元の目的を思い出し、公園に向けてゆっくりと歩き始めた。

瘡蓋の山がいた跡を十兵衛は歩く。そこに落ちていた小さなロケットペンダントが踏み潰されたが、彼は気づくこともなかった。



「なんだよ…これ…」

薬師池公園にたどり着いた十兵衛は呆然と呟いた。


そこには無数のテントがあり、焚火の跡があり、食器や雑貨が散らばっていた。

人は一人もいなかった。


十兵衛は鼻を嗅ぎまわり、生き残りの向かう先を追う。わからなかった。

十兵衛には関係ないことだが、石灰が撒かれ匂いが潰されていた。足跡も丁寧に消されていた。

何者かが手際よく、ここにいた獲物が逃げる手助けをしたに違いなかった。


「つまんねえつまんねえつまんねえ!!」

十兵衛はその場に仰向けになり、大きく駄々をこね始めた。



やがて起き上がると、十兵衛は歩き始めた。

「また次の相手を探そう、メソメソしててもしょうがねえぜ!」

彼はどこまでもポジティブな性格だった。


公園を離れ、暫く歩く。


物音が聞こえる。


瓦礫の影から、震える目がこちらを見ている。

子供の目だった。

まだ幼い。5,6歳ごろ、親とはぐれたのだろうか。


彼はゆっくりと、その幼子に向けて歩き始める。




「オイラ、柳生十兵衛!バトルが大好きな小学五年生!オイラとバトルしようぜ!!」

十兵衛は刀を引き抜いた。


(SIDE:柳生十兵衛 おわり)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る