君にこの胸の高鳴りを

氷川奨悟

 夜桜の下にて

矢崎優馬の体が震えていた。


まるで稲妻を直に喰らったかのような衝撃が、彼の頭に残っていた。


その時、初めての感覚に彼は怯まずにはいられなかった。


そんな事をお構いなしに七瀬ひかりの笑顔は益々、彼の心を締め付けた。


彼は思った。そうか。これが恋か。


ここ、東京、八王子市は幾つもの私立大学が連なる大学都市だ。


とりわけ、この地は自然に恵まれている。


矢崎優馬の大学では、春、夜にライトアップされるキャンパス内の夜桜の下で告白すると、恋人同士になるという伝説がある。


そうして学生たちはみな、そこで思いを曝け出し、青春という名の来るべき大人への階段を行儀よく上っていくのだ。


そんな中、彼はまだ、その階段を上れずにいる。


「おはよう!体調元気?」


そう言うのが彼にはやっとだった。


そんな時、決まって七瀬ひかりは、


「元気だよ。ありがとう」


と言う。


そして、いつもの笑顔でまた彼を困らせる。


でも、彼は知っていた。君には好きな人がいる。だが、それは僕ではない。


彼は頭ではわかっていた。


奇跡が起きない限り、


君が振り向いてくれるはずない。


君があいつに振り撒く笑顔は、僕とは全く別のものだから。と。


矢崎優馬は、運命とは、これほどなまでに残酷なものなのかと痛感していた。


しかし、彼は抗おうとした。


たとえ悪足搔きだと、往生際が悪いと蔑まれても、今後、結果が駄目でも、あの時告白しとけば良かったなんていう甘ったるい後悔だけはしたくない。と。


彼は今、この瞬間の一縷の望みに賭けようとした。


そして、もう、気付けば出会ったあの日から、桜の木と共に随分と時間と月日が経った。


この気持ちにケリを着けるまで、彼は何度も諦めようと思い聞かせることに専念した余りに、大事なことを見失っていた。


だって彼は、あの日のあの瞬間から、まるで時計の針が止まったかのように、


彼女を


彼女だけを


ずっと見ていたのだ。


矢崎優馬は思った。


出会った頃は、あどけなかったあの感情も、今では、確かな気持ちだと心から言える。


次は、僕が満開の花を咲かす番だ。


「どうしたの?」


卒業式後の夜、矢崎優馬は、キャンパス内の夜桜の下に袴姿の七瀬ひかりを呼び出した。


今日の桜は一段と輝いている。


彼は心の中で叫んだ。


さあ、いけ、この胸の高鳴りよ。


余すことなく、声となり、勇気となれ。

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君にこの胸の高鳴りを 氷川奨悟 @Daichu06

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