10.黒野戒十の計画

「黒野はそれから数年の間、俺たちの前から姿を消した。こちらから探したり、連絡を取ろうとしても全くの無駄だった。でも俺たちが半分諦めかけた頃、あいつはふいと俺たちの前に戻ってきたんだ。でも、戻ってきたあいつはどこか以前とは違っていた。不自然に明るく振る舞っているような雰囲気があった。絵は辞めたといって一切描かなかった。いつの間にか稀墨社きぼくしゃで編集者の仕事をしていた。加羅里のことは忘れたみたいに話題に出さなかったし、俺たちが加羅里の話題を出そうとすると上手く話題を入れ替えられてしまった。万次郎は優しいから、まだ完全に心の整理がついていないんだろうと言っていたけれど、俺は何となく気持ちが悪くて、後で黒野を問い詰めたんだ」

 そこまで吐き出すように言ってから、鞍馬さんはぐっと息を詰める。だけど、彼はすぐにけわしい表情で視線を上げて私を見ると、苦しそうな声を出した。

「そして知った。黒野が、加羅里と同じ創り手クリエイターの力を持った女の子を探し出そうとしていること。その命を加羅里と同じようにして奪い、その体を使って加羅里を蘇らせようというあいつの計画を……」

 その鞍馬さんの表情と声に、私は胸の奥がちりっと痛むのを感じた。命を狙われて恐ろしかった記憶がそうさせるのか、それとも黒野さんが最終的に私を殺すためだけに近づいてきたことが解って辛いのか……。私には解らない。

 その複雑な感情と痛みを誤魔化すために、私は震える声で鞍馬さんに問いかけた。

「そんなことが可能なんですか?」

 だけど、鞍馬さんが苦しそうに私に返した言葉は、予想外のものだった。

「……解らない」

「えっ!?」

「黒野はその計画について、俺に対してもほんの一部分しか教えなかった。だから、黒野の計画に確かな根拠があるのか、ないのかは俺にも解らないんだ。もしかしたら、加羅里を失った黒野の都合の良い妄想なのかも知れない。だけど、もしもそれが可能だとしても、俺はそんな禍々しくて犠牲を払うような方法で加羅里が蘇るなんて我慢できない。加羅里がそんなことを望んでいるとも思わない」

 鞍馬さんは、そうきっぱりと言い切ってみせた。その決意に満ちた鞍馬さんの態度と言葉。私はなんと声を掛けていいのか迷ってしまう。

 でも鞍馬さんはその私にふと真っ直ぐな優しい視線を投げかけてくれる。

「でも、黒野には俺もその計画に乗っていると思わせたんだ。俺はそれから必死に造り手メイカーとしての技術を身につけた。それは黒野に俺を信じさせるためでもあったし、もし黒野が創り手クリエイターの女の子を見つけてしまった時、その人を一番近くから守れるようにだった」

「鞍馬さん……」

 その言葉に私は少しだけ照れてしまう。でも、心がほっと温かくなるような気持ちだった。鞍馬さんはそんなにずっと前から、会ったこともない私を守るために努力をしていてくれたんだ。

「あとは、先生も知ってる通りだ。五年前、黒野は創り手クリエイターである先生を見出した。だけど、黒野は周到しゅうとうだった。先生の信用を確実に得るため、そして先生が加羅里が死んだ年齢と同じ年頃になるのを待つために『頼り甲斐のある担当編集者』を演じ続けていたんだ。でも、先生が加羅里とほぼ同じ年頃になった今年の初め頃から黒野の計画は再び動きだした。先生をわざと髑髏小路の企画していたホラーアンソロジーに誘い、ストレスと恐怖を与えた。そうして織り上げられた存在を、俺が封印の絵を中途半端に描いて先生に触れさせる。黒野はそういう計画を立てていた。悪趣味だけど、黒野と俺と、二人掛かりで先生を裏切ることで先生の絶望が増幅し、無念の死を遂げた加羅里の魂に馴染みやすい肉体になるとか言っていたな。俺はその計画を乗っ取る形で、先生を守ることにしたんだ。黒野を欺いて封印の絵を完成させてしまえば、当面の危機は去るはずだから」

 鞍馬さんが語り終えると同時に、私は体の中の熱を吐き出すように息を吐いた。

 私のあずかり知らないところでこんな計画が進んでいたなんて思いも寄らなかったし、私にそんな不思議な力があるというのも今でも信じられない気持ちの方が大きい。

 でも、全ては現実なのだろう。

 ため息をついた私の表情をどう受け止めたのだろうか。鞍馬さんは遠慮がちに私に頭を下げた。

「すまない。最終的には守るためだとはいえ、怖い目にあわせたな。絵を完成させる前に黒野に感付かれたことも、俺の落ち度だ……」

「………………」

 確かに、一つ間違えば命を落としていたかもしれないような体験は怖かった。でも、目の前の鞍馬さんをなじることは私には出来ない。だって、鞍馬さんがいなければそもそも私を守ってくれる人は誰も居なかったのだから。

 だから、私は頭を下げる鞍馬さんに首を横に振ってから、こちらも深く頭を下げた。

「いえ、鞍馬さんは私を助けてくれたんですもの。責める事なんてできません。それよりも……守って頂いて、本当にありがとうございました」

 お互いに頭を下げ合う私たち。

 私はなんとなくおかしくなって、頭を上げた途端にふふっと小さく笑ってしまう。鞍馬さんも釣られるように頭を上げて、憑き物が落ちたように年相応と言える幼い顔で笑った。不思議なことに、私はその鞍馬さんの笑顔に何故か「懐かしい」という感情を抱いた。昔、どこかで逢った人のような、そんな気にさせられたのだ。そんなはずはないのに。

 ひとしきり二人で笑い合った後、鞍馬さんは私を驚かせないようになのだろう、そっと優しく呟いた。

「……黒野はまた仕掛けてくると思う」

「は、はい……」

 そうだ、黒野さんは諦めたわけじゃない。次は必ずあるのだろう。

 だけど私が不安に感じる間もなく、鞍馬さんは私の頭に左手を乗せて優しく髪を撫でる。そしてどこまでも真っ直ぐな瞳で私を見た。

「でも、俺がいつでも、何度でも先生を守るから」

「……!」

 そう言う鞍馬さんの顔はとても綺麗で眩しく感じられた。とても真摯しんしにこんなことを言われて私は自然と頬が熱くなるのを感じた。

 それを隠すために、私はまた俯いてしまう。

 多分、鞍馬さんは私を巻き込んだことに負い目を感じていて、彼なりの償いをしようとしてくれているんだろう。あるいは幼なじみの黒野さんに人を殺して欲しくない一心なのかも知れない。

 だから、期待なんかしちゃいけない。鞍馬さんがこの先、私と共に歩んでくれるだなんて思ってはいけない。

 思ってはいけないのに……。

「……ありがとう、ございます」

 どうして鞍馬さんは私の感謝の言葉に、そんなに無邪気に安心したような嬉しそうな顔をするのだろうか。どうして、どうして……。

 ぼんやりと火照る頬を隠して俯き加減のままで、ぐるぐると思考の迷路に迷い込む私。

 そんな私を、鞍馬さんは何故か慈しむような優しい目で見ていた。

「それから、あの絵のことなんだけどな……」

「……!」

 暫くは私のぐるぐるに付き合って待っていてくれた鞍馬さんだけど、少し言い出しにくそうにしながらも私の思考を断ち切るように言葉を発する。その内容に、私ははっとして顔を上げた。

 ああ、そうだ。あの絵はどうなるんだろう。

「封印が完成すれば、基本的にその絵は無害だ。俺が退院し次第、責任を持ってすぐに完成させる。だから、安心するといい」

「無害……」

 私は味わうように、その言葉を口の中で転がす。

 そして、この数日の間ぼんやりと考えていた考えを鞍馬さんにぶつけてみた。

「……じゃあ、こういうことも出来たりしますか?」

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