エピローグ

1.妖魔夜行絵巻①

 しっかりと光を遮るカーテンが引かれて薄暗い部屋の中、私はぼんやりと光るディスプレイの光を頼りに使い慣れた古いノートパソコンのキーボードを一心不乱に叩いていた。ガチャガチャという音を立てながら、酷使してすり切れてしまったキートップを当然のように正確に打ち続ける。

 相変わらず私は夢みたいな幻想の物語をいつものノートパソコンで紡いでいた。やっぱり幻想小説は書いていて楽しいし、筆の乗りもいい。

「……んー!」

 朝から取りかかっていた小説のきりの良い所までを書き上げた私は、ようやくノートパソコンから顔を上げて大きく伸びをした。もうすぐ昼時になるのだろうか。少しお腹が空いた気がした。

(何か用意しないと……)


♪ピッポピッポピッパポーピッポパッピポー、

  ピッピポッパピッポパーピッポパッピポー♪


 そう思うのとほぼ時を同じくして、ノートパソコンの横に置かれていた携帯電話から軽快な電子音が発される。着信のようだ。

 少し驚いたけれども、その新しく設定した専用の着信音で相手が誰であるのかを察した私は、すうはあと深呼吸をしてから携帯を開いて受信ボタンを押した。

「もしもし……」

『あ、御陵先生ですか!? 稀墨社きぼくしゃの織田です! いつもお世話になってます!』

 私が遠慮がちに応答すると、その声をかき消すくらいの元気な声でそう確かめられて、一瞬気圧される。悪気はないのだろうけれど、この人は少し元気が過ぎる。

「は、はい。織田さん……何か御用……ですか?」

 織田おだまことさんは黒野さんの後任の担当編集者さんだ。私と同い年の若手で、元気で仕事熱心な人なのだけれど、私は少しだけ彼の元気さが苦手でもあった。

『先日発売された「黄昏たそがれ」の件なんですけれどね! そりゃあ主催でありホラー小説界の貴公子との呼び名も高い髑髏小路どくろこうじ先生と比べては少し見劣りしてしまうんですが、御陵先生の小説もかなりの反響が寄せられてるんですよ! 登場人物は、御陵先生自身と怪奇画家として人気のある草壁画伯! あたかも二人が現実で遭遇した体験をそのまま小説に起こしたようなリアルかつファンタジックなホラー表現で物語が綴られていて、現実と虚構の境目が曖昧になるような体験が出来ると評判なんです! 草壁画伯の描いたしょうけらに襲われる少女の挿絵も気合いが入ってますしね!』

 マシンガンのようにまくし立てる織田さんの声に、私は苦笑いをする。

 梅雨が明け、本格的な夏がやってくる頃、髑髏小路どくろこうじ敦志あつし先生主催のホラーアンソロジー「黄昏たそがれ」は発売された。そこに私はあの数日間の体験を元にした小説を書いて出したのだ。勿論、細かいディテールはぼかしたり変えたりしたけれど。鞍馬さんの描いたあの封印の絵も挿絵として使わせて貰った。元々、鞍馬さんもアンソロジーに寄稿する予定だったのだし、丁度良いと思ったのだ。

『いやあ、この夏、話題になりますよ! この「妖魔夜行絵巻」は! あ、でもなんで物語の主人公の御陵先生は男として書かれているんですかね!? 確かに御陵先生は今までファンの前には一度も顔を出してない上に名前が男っぽいし、男性作家と思われてるフシがありますけどね! でもこれを期に訂正すれば良かったじゃないですか!?』

「え? そ、それは……」

 そこを突っ込まれて、私は少し焦る。

 そうだ、物語上の「御陵彬」は男性として書かせて貰った。だって、異性として書けば、読者は鞍馬さんと私の間に物語上のとはいえ、多少のロマンスを期待するのではないかと思ったから。それはちょっと……いや、かなり居心地が悪いし、鞍馬さんにも申し訳がない。

(だって、私は……)

 丁度その時、コンコンと今私のいる部屋の扉がノックされた。

「……っ! あ、あの! ちょっと用事が出来たので、私、失礼しますっ!」

『えっ、御陵センセ――!?』

 更に激しく焦った私は、織田さんに口先だけ取り繕ってそう言うと、相手に見えてもいない頭をぺこぺこと下げながらぶつりと通話を切った。そして、ぐったりと机に肘をついて組んだ手に頭を預ける。疲れた。

「御陵先生? こんなに部屋暗くして何やってるんだ?」

 でも、そんな私の気疲れに拍車をかけるように、ぱちんと音がして部屋が明るくなる。部屋の灯りを付けられたのだと気付いて眩しさに目を眇めた。私は目に入る全てが今までの生活で見ていたものとは全く異なることに、少しげんなりとしながら勝手に扉を開けて入ってきた人を見る。

「……鞍馬さん」

 私のアパートではあり得なかったその両開きの重厚なドアから入ってきたのは鞍馬さんだった。私はもの凄くふかふかでなかなか落ち着かないソファに座りながら、じとーっとした湿った目で彼を見る。

「な、なんだよ。ここは談話室で、共用スペースのはずだろ!?」

「そうですね」

 私はなるべく彼を責めるような声音にならないようにしてそう言ってから、はあとため息をついて辺りを見回した。

 察しがついているかもしれないけれど、ここは鞍馬さんのお家の一室だ。黒野さんと対峙したあの日、私が目を覚ましたのと同じ部屋。では、何故私がこの部屋で小説を書いているのか。それには一応、理由があるのだった。

 私が鞍馬さんの病室を訪れたあの日、私は鞍馬さんに封印の絵と今回のしょうけらとの対決の経験を使って小説を書きたいのだと打ち明けた。最初は驚いていた鞍馬さんだったけれど、小説で黒野さんのことには触れないことと、もう一つの交換条件のもとにそれを許してくれた。

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