6.小さな違和感

「んー…………」

 有用な突破口を見つけることが出来ず、私はたわむれに抱き込んだ枕に顔を埋めてうなり声を上げる。しかしその時、意味の無い遊びをしていた私の耳に聞き慣れた電子音が飛び込んできた。


♪ピッポーパッポーピッポッパー、

  パッポーピッポーパッピッポー♪


「……っ!!」

 反射的にガバッと枕から顔を上げた。

 今時、と思われるかも知れないけれど、私は携帯電話としてフィーチャーフォンを使用している。普段からこの携帯に掛けてくる人なんてごく限られていて、だからこの着信が黒野さんからのものだということはすぐに解った。

 携帯はいつもの通り執筆用のちゃちな折りたたみ式机の上に置いてある。手を伸ばして携帯を取れば、すぐに通話をすることができるはずだ。手を伸ばしかけて、でも私はその着信に応答することに少しの迷いを感じていた。

 単純に、まだ原稿が一文字も出来ていないということを伝えるのは恥ずかしかったし、泣きつくような形になってしまいそうなのも気が引けた。

 黒野さんは何も私だけの担当というわけではない。他のたくさんの作家さんのことも考えなくてはならない人なのに、私ばかりに手間を掛けさせる訳には……。

 鬱屈うっくつとした感情が胸をふさぐ。携帯を取り上げる直前の中空で止まった手は無意識に引き戻されていった。

 だけど、その時ふと思い出したのは黒野さんが担当についてくれることになったときに言っていた言葉だった。黒野さんはにこやかな中にしっかりと芯を持って言っていた。

『世の中には色んな関係の作家と担当がいるけれど、俺は作家と二人三脚するつもりでガンガン関わっていくと思う。勿論、わずらわしいと思ったら俺を頼ることなんてしなくてもいいんだけど。でも、もしもこの先困ったり迷ったりすることがあったら、一緒に考えることくらいは出来ると思うから、気軽に相談して欲しい』

 あの言葉が信頼獲得のおためごかしではなく本気だということは私は十分に理解していた。だから私は、勇気を出して震える手で携帯を開いて通話ボタンを押して耳に押し当てる。

『……もしもし、御陵先生?』

 いつもの黒野さんの声が聞こえてくる。その声を聞いた瞬間に、私の胸を塞いでいた気持ちがぶわっと花を咲かせるように広がって昇華しょうかされていく。鼻の奥がつんとして泣きそうになるのを、すんっとすすりあげてこらえた。

『えっ、御陵先生泣いてる!? 何があったんだ!?』

「ごめんなさい。わたし、小さいときはとても恐がりだったはずなのに、今は『怖い』っていう感情が上手く感じられないんです……」

 黒野さんはとても驚いた様子だったけれど、すんすんと啜りあげながらそんな告白をする私をなだめるように優しい声をかけ続けてくれた。しばらくは説明にならない感情的な言葉をまき散らしていただけな気がする。だけど黒野さんの声に誘導されて、私は次第に順序立てて現状を説明出来るようになっていった。

 それを聞いてやっと大体の事情を察したのだと思う。黒野さんは少し言いよどむような間を取ってから、こんな提案をしてくれた。

『……もしも良かったら、なんだけどね。先生と同じように黄昏たそがれに寄稿することになっている画家が御陵先生に一度会ってみたいと以前から言っているんだ。草壁くさかべ鞍馬くらまっていう画家の名前を聞いたことは――まぁ、ないよね……』

 その名前には聞き覚えがない。私は正直に首を横に振って答えた。

「聞いたことない、です……」

『ホラーや怪奇の類いの絵ばかりを描くことでその界隈かいわいではちょっと有名な画家なんだ。一度彼に会って、作品を見せて貰ったり話をしたりしてみたらどうだろうか。きっと何かのヒントが得られると思うんだ』

「………………」

 その提案に、私はしばし考える。

 確かに、小説と絵画、ジャンルは違えどホラーを専門にしている創作家さんに話を聞くのはいい刺激になりそうではある。だけど、まだ何も書けていないどころか何の考えもまとまっていない状態では相手の方に失礼にならないだろうか。

 こちらが躊躇ちゅうちょしているのを感じたのだろうか。黒野さんは私の緊張をほぐすようにほんの少しだけ笑った。

『はは、そんなに緊張しないでもいいよ。確かに鞍馬はちょっと変わった創作性の持ち主だけど、俺の昔からの友人だし、悪い奴じゃない。さっきも言った通り向こうも先生に会ってみたいと思ってるみたいだから、紹介されると思って気楽に構えて会ってやってくれないかな?』

 黒野さんにそう言われてしまえば、私に断ることなど出来なくなる。

「は、はい……」

 反射的に頷いてしまってから、黒野さんにしては強引で性急な話の運びにちょっとした違和感を覚えた。だけど、今更撤回する度胸はない。

『それじゃあ日取りは――』

 まるで全てがお膳立てされていたかのようにトントン拍子で進む話に、私は携帯の前で大変なことになってしまったと焦るばかりだった。

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