5.恐怖の白紙原稿
消された電気の灯り。掻き合わせるように閉じられたカーテンの僅かな隙間から薄らと差し込む太陽の光だけが、部屋をほんのりと照らしていた。
「――…………」
私はといえば、その薄暗い部屋の隅に置かれた簡素なパイプベッドの上に座り込んでぼんやりとしていた。だけど、すぐに両手を軽く広げて身を任せるように背中からベッドに倒れ込む。ぼす、と薄いマットレスと敷き布団が私の体を受け止める鈍い音がした。
ここはあの喫茶店のある駅前から徒歩約二十分。複雑に絡み合う葉脈のような住宅街の細い道をぐねぐねと歩いた先にある、とあるアパートの一室。
築三十年超。二階建て。6畳1K。壁は薄く、まともなインターネット回線もひかれていない。平成初期……いや、ヘタをすると昭和のレトロな匂いをそのまま残したような、正真正銘のおんぼろアパートだ。その分家賃は破格に安い。
私はその二階、202号室に住んでいた。
薄暗く狭い部屋。ベッドの中でころんと寝返りを打ち、そして首をいくらか捻って柱にかけられた時計を見上げた。朝の十時半。さすがにもう眠気はない。そのかわりに黒野さんに原稿をチェックされている時とはまた別種の、じわりと
あの日、ホラーアンソロジーへの寄稿の話を持ちかけられてから今日で既に半月が経っていた。
そのアンソロジー「
初めは寄稿に向けて精力的に動き出した私。図書館で関連の書籍を当たってみたり、見かけたホラー小説を手当たり次第に読んでみたりもした。
しかし、どうもその結果は
その
「……どうしてかな」
元々、私はかなりの恐がりだったはずだ。田舎の実家は古くて大きな日本家屋で、ふとした暗がりに何かが潜み息づくような雰囲気のある家だった。幼い頃の私はその暗がりにどこか怯えながら日々を過ごしていた。だからその頃の私は「人が何を怖いと感じるのか」もよく知っていたはずなのだ。
けれども、いつしか私は恐怖を感じることを避けるのが上手くなりすぎてしまった。その結果、恐怖を感じる回路が退化してしまったかのようだった。
それは大人になったということなのかも知れない。しかしホラー小説を書く上で一番重要なのはいかにして恐怖を伝えるかだろう。私が思うに、自分が本気で怖いと思って書かなければ、小手先の表現力でこね回して書いたとしても、恐怖は伝わっていかないのではないだろうか。
ならば、暗がりを恐れていた幼い頃の私にはともかく、今の私にはホラー小説を書くことは難しいのでは?
そんなことをぐるぐると考えていたら、パソコンにテキストファイルを作っただけで一文字も書けないまま半月が過ぎてしまっていた。
「……どうしよう」
またベッドの上でごろんと寝返りをうって、ぽつりと呟いた。
時計の下に掛けたカレンダーに目を向ける。書き込める余白が広く部屋のどこから見ても見やすい大きなカレンダーだ。アンソロジーの発行は夏なのでまだ少しの
締切が近づいてくるのも大概ストレスではあったが、それよりも何も書くことができない自分の存在に苛立ちが募る。小説を書くためだけに生きているようなものなのに、それができないというのは自身が人間である必要性さえ消し飛んでしまうような重大なアイデンティティーの喪失だと感じた。
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