2.黄昏のいざない
「さっき電話で大切な話があると言っておいただろう。そのことだよ。……次回作のことなんだけれどね」
「あ……、はい!」
次回作、と聞いて私はその場で居住まいを正す。
私の小説はお世辞にも売れているとは言いがたくて、次回作を書かせてもらえるかどうかは常時綱渡りの状態だった。
だから今回、事前の電話で黒野さんから「大事な話がある」と聞かされた時から一定の覚悟はしていたのだ。
案の定、黒野さんは少し言いにくそうにしながら私を見ている。
ああ、これは確定だ。
私の脳裏に、黒野さんのお世話になりながらも必死に文章を書き、物語を紡ぎ続けた五年間が走馬灯のように駆け巡る。大変だったけれども、大好きな創作に打ち込めて幸せだった日々。それももう終わりなのだ。
「……単刀直入に言おうか」
「はい、ひと思いにお願いします」
黒野さんのことだから、優しく言ってくれるに違いない。それに引導を渡してくれるのが黒野さんなのならば、それはそれで本望でもあった。
黒野さんがその口を開く気配がした。
私は目を瞑って身構える。
「もしよかったら、次回作にホラー小説を書いてみる気はないかい?」
「…………はい?」
予想外の言葉に私は目を見開き、思い切り聞き返してしまった。
状況が解らなくて間抜けなくらいぽかんと口を開けて黒野さんを見つめる私。黒野さんはその私の反応を見てくつくつと低く笑っていたが、すぐに両手を挙げて小さく首を傾げ、私に謝ってみせる。
「悪い悪い。でも、からかってるわけじゃないんだ」
そして黒野さんはそのまま私の顔を覗き込んで目を細める。
「また悪い方にばかり考えていたんだろう。言っておくと、それは
「あの……でも私の小説はあんまり売れてなくて……」
「ああ、そうかもしれないね。確かに売れっ子作家とは言えないかもしれない。君の書く話は良く言えば優しくて、悪く言えば毒にも薬にもなりがたい」
「……う」
それは紛れもない事実だった。昔から色んな人に指摘されていたことで、自分でも把握していた。それでも黒野さんから直接指摘されるとまた違ったダメージがある。私は表情を歪めて俯くしかなかった。
「……こら、また悪い方に考えてるな?」
黒野さんはたしなめるようにそう言うけれども、私は顔を上げる元気もなかった。とてもじゃないけれど良い方には考えられそうにもない。
俯いたままの私を見て、黒野さんが口を
ああ、また黒野さんに迷惑を掛けてしまったんだな、と私は更に落ち込んで膝に乗せた手指をぎゅっと握り込む。
でもすぐに、黒野さんはまた首を傾げるようにして私の顔を覗き込んだ。ちらりと見えた表情は優しくて、私は思わず少しだけ視線を上げる。顔を上げた私を見て、黒野さんは穏やかに笑ってみせた。
「……確かに、優しさは弱点でもあるよ。でも、君のその優しい作風を慕ってくれる熱心な固定ファンもいることを忘れちゃいけない。俺が言いたかったのは、君にとってその優しさは武器でもあるんだということだよ」
「……武器」
「それに君だって、何もこのまま辞めたいわけじゃないだろう? もっと書きたい。認められたい。そんな願いが心の底にあるはずだ」
私は無意識に自分の胸に手を当てていた。
確かにそうだ。私はまだ書き足りていないし、もっと色んな人に自分の作品を見て貰いたかった。
「だったら君はこの提案に乗るべきだと思うよ」
黒野さんはそう言うと、口を付けられないまま冷めかけていたカフェオレをようやく一口だけ口にした。
私はその黒野さんに釣られるように自分のコーヒーを飲もうとして、そのグラスが空であることに気付く。そうだ。さっき喉の渇きに任せて飲み干してしまったのだ。
黒野さんはその私のグラスを見て苦笑い。
「ああ、すまないね。俺が待たせたせいだ。もう少し話もあるし、よかったらもう一杯飲むかい? 注文してくるから、少し待っていてくれ」
「えっ、そんな。私、自分で――」
立ち上がる黒野さんを慌てて制止しようとした私だけれど、彼はその私を笑顔のまま、でも逆らわせない強引さを伴って押し止めた。
「どうせ経費で落ちるんだから、遠慮はしなくていいよ。何が飲みたい?」
そう言われてしまえば、どう断っていいのかわからなくなってしまう。結局、私が折れて席に座り直すことになった。
「……すみません。じゃあ、ホットコーヒーをお願いします」
「了解。少し待っていてくれ」
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