第54話 夢想

「……ん、ここは? それに、この状況は?」


 流れゆく景色は、まるで抽象画のように曖昧で、今自分が存在するのが夢の中なのか、それとも現実世界なのか、大河たいが自身がそれを理解するまでに数秒程の時間を要した。


 できることなら夢であってほしい――そんな淡い期待を一瞬抱いた大河であったが、その願望は腹部に感じる鈍痛によって、脆くも打ち砕かれる。


「ぐっ……そうだった、確か俺は……」


 痛みをぐっとこらえつつも、大河は顔をゆがめる。


 その脳裏には、意識がぼやける寸前の、自身の記憶が明確に呼び起こされていた。


 暗闇の中、怪物の身体と周囲の草原、そして家屋の外壁を照らすライトの光。


 そんな世界の中、大河のすぐ近距離から威圧する、怪物の禍々しい威圧。


 それでもなお、気張り続ける最中に、不意に振り上げられた、あらぬ方向へと折れ曲がった左腕。


 突然のことに対する驚きと、ありえない角度から自らに迫ってくる腕の軌道に、大河は呆然とする以外に何もできない。


 そして、下方から突き上げてくるように胴体を貫く衝撃と、急激に遠のいていく意識。


 助手の静穂しずほに見張ってもらっていたはずだという、おごりがあったのかもしれない。


 そんな後悔を抱きながらも、大河の思考は徐々に明確になっていき、現在の状況を改めて認識する。


 まず、足が地に着いていない。


 宙に浮いているような感覚はあるが、それ以外のことはまるでわからなかった。


「くそっ、どういうことだ」


 さらには腹部の辺りに圧を感じ、腰回りにも何かが絡みついているような感覚がある。


 そこで、大河は自分が怪物に担がれている状態であるのだということを理解した。


 だとしても、一体誰にという疑問が浮かぶものだが、相手の見当は考えるまでもない。


 成人男性の中でも特に背の高い大河をこうして持ち上げられる人物など、この地にはまずいない。


 それに直前に目にしていた怪物は、それを楽に行えるだけの素質を十分に持っていた。


「怪物に運ばれているっていうのかよ」


 少しばかり目を離した瞬間に、益川ますかわに消えられたことがあったが、彼女もこのような感覚を抱いていたのだろうか。


 そんなことを思いながらも、大河は最後まであがこうと、自由の利かない身体ながら、手足をばたつかせて脱出を試みる。


 しかしながら、その程度ではかの怪物の拘束から抜け出るなどできるはずもなく、流れゆく抽象的な世界に、平衡感覚を狂わされながら、大河はついに脱出を諦め、この状況に対して考察を行い始めた。


「……仕方ない。今こうして生きているだけでも幸運なのかもしれないんだ。俺を殺めたいなら、どこかで俺を下ろすはず……そこで上手く逃げ出せれば、まだ生きながらえる可能性はあるはずだ。問題は、下ろされた瞬間に、上手く動き出せるかってことだが……」


 そこまで行動を考えるが、目まぐるしい視界の変動に、大河の目と脳は早くも限界を迎える。


 乗り物酔いにも似た感覚に、大河は急激に気分を害し、顔色も徐々にではあるが青ざめていく。


 食事をろくにとっていなかったことも大きかった。


 無論、何かを口にしていたとしても、すぐに戻してしまう可能性がある土地ではあるのだが、内側から込み上げる、嘔吐を伴う不快感と、大河は終始戦い続けるのだった。

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