第52話 因縁

「――そこに、誰かいるのか?」


 大村おおむら誠吾せいごは、びくりと肩を震わせながらも、突然に聞こえてきた何者かの発した音に反応し、手持ちのライトの光と共に呼び掛ける。


 もし、そこにいるのが人ならざるものであったなら――などという考えが頭をよぎりはしたが、素通りして後で悔いることになるよりはとの思いと、そこにいるのが生きた人間――できることなら見知った顔であることを確認して安心したいという思いから、誠吾は行動を起こしていたのだった。


 誠吾はそこにいるであろう存在の返事を待つよりも早く、ライトを動かし、その場所を照らし出す。


 地面を這うように光の円が動き、鬱蒼と茂る雑草の様子が映されていく。


 そして、誠吾の手の動きが止まった時、その場には夜の闇に半ば溶け込みつつある、黒いスーツとよれよれの黄色いシャツ、そして帽子を身に着けた、長身の男――屋敷やしき大河たいがと、丸眼鏡とゆるいポニーテールが印象的な、チェック柄のシャツにパンツルックの可愛らしい女性――前原まえはら静穂しずほが、両者ともに目を細めながら、家屋の外壁に身を寄せるようにして立っていた。


「あなたがたは……屋敷さん、ですよね?」


 誠吾は絞り出すようにそう口にすると、どこか安心したように表情を緩めた。


 そこに、大河や静穂が禁足地へと無断で立ち入ったことに対する怒りであるとか呆れといった感情は感じ取れない。


 それもあってか、身を隠していた二人も、緊張の糸が途切れたように身体を脱力させ、誠吾の居る方へと歩みを進める。


「いかにも。大村さんこそ、こんな時間にどうしたんです?」


 なるべく警戒をさせないよう、大河は朗らかに尋ねる。


 対して誠吾は、一度口を開き答えようとするが、言葉を発する前に思考を巡らし、一旦言葉を飲み込んだ後に、神妙な顔をして改めて答えた。


「ちょっと、これを捧げにな」


 そう言って誠吾は脇に抱えた風呂敷の包みを大河たちにも見えるように、若干オーバー気味に持ち上げて見せる。


「それは……形状からして、着物か何かですか?」


 大河の言葉に、誠吾は静かにうなずく。


「……あぁ。屋敷さん、あなたはもう感づいているだろうから言うが、これは首塚に供えるはずだった織物だ。今までずっと来れずにいたが、さすがにもう限界だろうと思ってな……」


「それじゃあ――」


「言い伝えが正しければ、これで一旦は大丈夫なはずだ。だが、将来はわからん。もしかしたら、これを捧げても事態は収まらないかもしれない。その時は……申し訳ない」


 そう言って、誠吾は力なく、無理やり笑って見せる。


 大河には、その表情がこちらを元気づけようとしてのものではなく、誠吾自身が胸に抱いている不安を必死に誤魔化すためのものだということが、理解できた。


 そんなこともあって、大河はお礼の意味も込めて頭を下げようとするが、刹那視界の端に見たくはないものが映り込むのが見えてしまった。


「――うっ」


 反射的に大河の動きが固まり、顔がこわばる。


 ライトの光に照らされた空間のすぐ外側。


 誠吾の背後の暗がりに、その怪物はいつの間にか立っており、大河の方をじっと見続けていた。


 突然の大河の挙動の変化に、一番に気付いたのは静穂であった。


 静穂は皆との距離感など気にせず、今できる最大の音量で、注意を喚起した。


「大村さん、急いでください! 今、多分大河さんが狙われますっ!」


「へっ? でも、どこにも見えないぞ。それに、気配も何もしなかったぞ?」


 慌てた様子で周囲をきょろきょろと見回す誠吾。


 だが、その眼には怪物の姿は映っておらず、不審な挙動をするだけの存在になり果てている。


「ヤツの姿が見えるのは、対象になってる人間一人だけみたいなんだ」


「そ、そうなのか。ということは、屋敷さんには――」


「あぁ、見えてる。大村さんのすぐ後ろに、でっかい図体をした、醜くも畏れを抱かせる怪物がな……」


 そう口にしながらも、大河は一歩後ずさった。


 大河をのぞいた二人に対し、怪物が動き出したということを知らせるには、それだけで十分だった。


「本当に大丈夫なのか? 見えない怪物からいきなり襲われでもしたら、私は――」


 もはや気が気でないといった様子で、視線を泳がせる誠吾であったが、大河は視線こそ怪物の立っているであろう虚空を見据えながら、自らの考えを伝えていく。


「そこは大丈夫だ。さっきも言った通り、この怪物は殺める対象となる人間にしか見ることはできないし、他人の目のある場所では迫ってはくるけど、襲いはしないはず……目を離したら、その保証はないみたいだが」


「そ、そうなのかね?」


 懐疑的な様子の誠吾は、不安げに聞き返す。


 そこに、自らの方が年上であるという威厳や誇りは微塵も感じられない。


 しかし大河はそれを指摘することもなく、誠吾へと指示を送る。


「あぁ、だから大村さんは先に供養の方をしてやってくれ。こっちには静穂がいるから、だいぶ時間は稼げるはずだ」


「あ、あぁ……わかった。それじゃあ、それまで、耐えてくれよ」


 誠吾はそれだけ言い残すと、ライトを手に方向転換をして首塚のある方角へと駆けだそうとする。


 途端に視界が狭くなり、大河はそこで光源が誠吾の持つライトのみだということに思い至った。


「静穂、明かりをつけろ。そして俺が消えてしまわないよ見張ってくれ!」


「あっ、はい! わかりました!」


 返事をするなり、静穂は手際よくライトを取り出し、大河の周りを照らし始める。


「……よし、これで、時間は大丈夫なはず」


 静穂の手際よい所作に、大河も幾分落ち着きを取り戻しつつ、暗闇へと通じる一点を見つめる。


 恐らく、静穂が取り乱していないのは、彼女自身に怪物の姿が見えていないおかげであろう。


 それがわかっているからこそ、大河は自分が死ぬわけにはいかないという、強い意志を糧に、今にも叩き潰されてしまいそうなほどの近い距離にある、怪物の肢体に気を張って対抗する。


 今にも逃げ出してしまいたくなるような迫力と気色悪さ。


 しかし、逃げてしまったら最後、運が悪ければ闇に消える前に、静穂の注意の外で、怪物に捕らえられれてしまうこともありえる。


 そうなれば、大村誠吾の邪魔をしてしまうという結果にもなりかねないのだ。


 まさに、大河にとっての、人生最大の根競べといっても過言ではなかった。


 音も気配もまるで感じないのに、視界には怪物の荒々しい呼吸や猛々しい肉体、衣服に染みついたであろう血泥の臭いまで感じ取れてしまいそうな、錯覚を感じてしまいそうになる。


「早く、終わってくれ……」


 小声で本心を漏らしつつ、大河はじっと呼吸を止めて、こらえる。


 そして、その間、大村の身の安全と、供養の成功を心から祈り続けた。

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