第47話 再会

 時計のない生活というものは、時間の流れがゆっくりに感じられ、まるで時そのものが止まってしまったかのような錯覚をしてしまうことも多々ある。


 それが自然豊かな田舎町であるなら、なおさらだ。


 ただ、そんな大らかな地方において、一番に時の流れを感じるのは、やはり宵に入るこの時間帯といえるだろう。


 周囲から明るさが徐々に失われていき、空の青色がより色濃く、暗みを帯びて、いつしか星々が瞬いている――そんな変化を、趣深く感じ取れるだけの心の余裕を今の大河たいがは持ち合わせてはいなかった。


 その理由はもちろん、かの異形の怪物から、自らの生命を守る必要があるからという、至極単純で明快なものであった。


「くそっ、早く夜になりやがれ!」


 大河は空を仰いでは、背後を気にかけ、そして足元や前方を注意するといった、忙しない所作を繰り返しながら、その時を待っていた。


 それは決して、怪物に早く眠りについてほしいだとかいう願望によるものなどではなく、大河自身が怪物は暗闇の中においては襲ってこれないということを、確信していたからであった。


 実のところ、大河自身も視界が暗闇に染まりつつあったことから、背後から追ってきているであろう怪物の姿を視認できていない。


 それでも、どの程度まで暗くなれば安全なのか、確証がなかったため、こうして絶えず逃げ続けるという行動に走っていたのである。


 そんな状況であったのだから、視界の端にであっても、光を放つ物体があったのなら、目についてしまうのは自然なことだ。


「どうして、こんなところに?」


 大河の記憶では、本日この地に訪れた人物は自分以外にはいない。


 過去数日までその範囲を広げてみても、大学生のグループに女性警察官と、対象は絞られ、その全員が命を落としているはずなので、そのうちの誰かであるということはありえない。


 となると、その光源の先にいるのは、大河がまだ出会っていない第三者であるという可能性が限りなく高い。


「とりあえず、人手は多い方がいいか」


 コンタクトを試みたところで、相手が応じてくれるかはわからない。


 しかし、だからといってこのままではじり貧になるは目に見えているし、怪物の追跡から逃れるためには、誰でもいいので協力者が欲しかった。


「……いや、行こう」


 そのまま駆け足に光源へ向かおうとした大河であったが、怪物の存在を思い出し、一度足を止める。


 もし、このまま向かった場合、仮に協力者を得られたとしても、その場に怪物が現れてしまっては、たまったものではない。


 理論上では、怪物の姿が見えるのは、現在の対象者になっているであろう大河一人だけということになる。


 当然、怪物が現れたなら大河は逃げる羽目になるのは明らかだ。


 そうなると、大河自身は、その人物にとってただの奇人としか映らないわけで、言い分を信じてもらうためにも、赤端あかはた村の伝承と怪物の存在から説明しなければならないという問題を大いに孕んでいた。


「まぁ、何はともあれ、声をかけてみないことには始まらねぇな」


 大河は暗闇の中、唯一の希望ともとれる光へと向かい、一歩ずつ歩みを進めていく。


 すでに、怪物の気配はどこにもなかった。


 元から気配も物音もないバケモノであったが、不思議と今の大河には、この暗さでは背後から襲われるだなどという心配はないという、自信があった。


 そしてもうすぐ光の正体がわかるという位置まで近づいた時、瞬時に周囲が暗闇に染め上げられた。


 それが、単にライトを消しただけだと気付いたのは、それから数秒後のことであった。


 一体何があったのかと、大河が戸惑い、様子をうかがっていると、バタンという何かが開き、そして閉まる音が響く。


 どうやら車から誰かが下りてきたらしい。


 耳から入ってくる情報では、その程度しかわからなかった大河であったが、それでもここまでやってきた人間がいること、そしてライトを消して怪物のリスクを減らしてくれたことを内心で感謝する。


 だが、そんな若干安堵をしている大河に対し、その人物は親しげに声をかけた。


「もしかして、大河さん?」


 つい最近もどこかで耳にしたような、澄み渡っていながらも芯のある、女性の声。


 大河はそれを耳にして、驚きの顔を浮かべ、目を凝らす。


「その声……もしかして――」


「やっぱり、その声。大河さんですね」


 安心したような、それでいてどこか嬉しそうな声に、大河も思わず緊張で強張った顔を緩める。


 しかしながら、すぐに顔を引き締めると、大河は数回咳ばらいをした後、強めの口調で、現場に車で乗り付けた助手を問いただした。


「どうして来たんだ! 俺は待ってろって言ったはずだろうが!」


「そんなこと言ったって、来ちゃったものはしょうがないじゃないですか。それより、早く乗ってください。帰りましょう! 探す手間が省けてよかったですよ、本当に」


 そう言って、暗闇の中、乗車を促す探偵助手――前原まえはら静穂しずほであったが、大河はそれを拒む。


「いや、無理だ……このまま帰ることはできない。帰ったところで、あの怪物が追ってくるのは目に見えてる。だから――」


「私だけでも逃げろってのは言いうだけ無駄ですよ。もうここまで来ちゃいましたし。それに、大河さんがいなくなったら誰がお給料をくれるんですか」


 はっきりとは見えないが、静穂が眼鏡をくいっと持ち上げて位置を直した様子が見えた気がして、大河は口元をほころばせる。


 ただ、それを悟られたくないという思いがあったのか、大河はくるりと声の主に背を向けて空を見上げた。


 真っ黒な木の葉の額縁の中に見える、一層深い夜空は相変わらず月は見えず、黒い絵の具を塗りつぶしたかのように重々しい印象を受ける。


「見たくねぇものが見えるかもしれねぇぞ? それにお前を守れる保証もない。まぁ、もう手遅れではあるんだけどな……」


「大河さん……」


 ぼんやりとした気配でしかわからなかったが、静穂の前に立つ大河は、どこか優し気で、切なそうな雰囲気を醸していた。


 その空気にあてられてか、静穂も掛ける言葉をためらってしまう。


「……行くぞ。もう、解決するしか方法がなくなっちまったしな」


 ぶっきらぼうで、不器用な、それでも優しさを含んだ大河の言葉。


 その意図にいちはやく気付いた静穂は、昂る感情を抑えつつも、大河の側へと駆けよる。


「はい、行きましょう」


「お前、何でそんな嬉しそうなんだよ」


「大河さんの方こそ、いつもより優しくないですか?」


「……安心しただけだよ。車のライトがついたままだったら、襲われてたかもしれないからな」


「そうだったんですか。まぁ、こっちは顔を見られたら困るなぁっていう理由だったんですけど」


「そんなことだと思ったよ……でも、まぁサンキュウな」


「それじゃあ残業代つけときますね」


「……勝手にしろ」


 長い孤独の時間から解放されたせいか、大河も静穂も、言葉を絶やすことなく、互いに軽口をたたいていく。


 その姿は、漆黒の空間においては確認することはできなかったが、その場には確実に、二人の深い絆が見て取ることができたのであった。

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