第43話 暗闇を探して
呼吸を荒げながらも
それは、大河自身の体力の無さもさることながら、当人の許容範囲を超える運動を強いられたことも、大きな要因であった。
しかし、そうでもしなければ、あの鬼のような怪物から逃げ切ることなどできなかったというのも事実であった。
「……よし、まだ見えてるな」
しきりに背後を確認し、その異様な体躯を目に留めつつ、重い一歩を踏み出す。
油断すれば体重を支え切れず、そのまま転倒してしまいそうなところであるが、その後に訪れるであろう運命が頭をよぎり、崩れ落ちそうな膝に力がこもる。
「……いよいよまずいな」
朝から動きっぱなしの身体が悲鳴を上げ始めていることを自覚し、焦りの感情が増長していく。
無意識に視線が向かうのは、他でもない首塚であり、その前に積まれた赤黒い人間の山であった。
とてもではないが、その最上段に自分が乗ることになるなどとは、悪夢であっても勘弁願いたい。
しかし、相手は疲れというものが存在するかもわからない、異形の者。
恐らくではあるが、話など通じないだろうし、こちらが立ち止まったところで淡々と、機械的に、距離を詰めてくるであろうことは想像に難くない。
とにかく、今は捕まらないようにするのが最優先の事項だ。
「
ちらりと目線が大きな家屋へと向く。
「――無くて元々。あったらラッキーってとこだな」
大河は最後にもう一度、怪物の姿を見やり、相当な距離があることを確認した後、前を向いて、残る力を振り絞るように、家屋の中へと向けて駆け出す。
「どうかすぐ見つかってくれっ!」
鍵など掛かっていない玄関の戸を乱暴に開けると、大河は土足を気にすることなく、そのまま廊下を駆け抜ける。
どんどんという足音のみが屋内に響く中、大河は後方を振り返ることなく、一直線に一階最奥にある台所へとたどり着く。
台所は、昭和の家庭を思い浮かべるシンクや戸棚が並んでいたものの、荒廃という言葉がよく似合う、雑然とした空間であった。
ただ、生臭さなどは全然なく、埃とカビの臭いが若干強めに鼻腔を刺激してくるのが、若干不快に感じる程度だ。
「これなら、いけるか?」
視界の末端に勝手口を認めつつ、大河は目を凝らして床下へ通じる入口を探し始める。
そして、捜索開始から数十秒。
床上にはうっすらと塵が積もっていたにも関わらず、地下への通路は思いのほか簡単に発見することができた。
「よし、後は開くかどうかだが――」
ちょうど戸棚の下の辺りに見えた、正方形の枠組み。
膝をついて、その上の埃を手で掃き落とすと、その姿はより鮮明になり、縁の部分に手を掛けるだけの隙間があることがわかった。
鍵が掛かるタイプではないこともあり、大河はすぐさま指をかけ、一気にその蓋を持ち上げる。
一瞬、何かが引っかかったような感覚を腕に感じたが、力任せに引っ張ったところ、ミシミシと音を立てながらも、地下へ通じる入口はぽっかりと口を開いた。
ただ、その内側の様子は漆黒に染まり、入口付近が土壁で構成されているということがわかるのみで、どれだけの広さがあるのかなどはまったく把握できない。
その光景に、さすがの大河も息を呑み、入室をためらってしまう。
「……どうする? 生き残るためには、入るべきではあるのだろうが……」
じっと、暗闇を見据える大河。
その胸中には、このまま入ってしまって大丈夫なのだろうかという不安が強く渦巻いていた。
仮に、静穂の言葉が正しければ、何の問題もない。
だが、万が一、怪物が暗闇の中であっても迫ってきたのなら、この先に逃げ場は存在しない――すなわち、確実な死が待っていることになる。
そして、その怪物は間違いなく、すぐ近くまで迫ってきている。
気配も、物音も、息遣いも、自分以外の生物が存在しているという認識は一切感じ取れていない。
それでも、突然アイツは目の前に現れるのだ。
時間的猶予はほぼ無いに等しい。
「どうする……別のところに逃げるのも――」
最悪の事態を想定し、この場から別の地点まで逃げる構想を組み立てようと、大河は無意識に視線を勝手口へと向ける。
瞬間、視界に入る光の量が格段に減った。
「えっ?」
それは間違いなく、目の前に何かが立っており、外から差し込んでくる光を遮っていることの証明であった。
まるで壁のような筋肉質な肉体が眼前にそびえる。
その肉壁を登るかのように大河は視線を這わせていく。
もちろん、その先にあったのは、不気味で、痛々しい、歪なパーツで構成された人間らしき顔と、古めかしい包帯で乱暴に巻かれたような目元がトラウマにもなりうる怪物が、大鉈を天井に突き刺さんばかりに右腕を振りかぶった姿であった。
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