第44話 束の間の休息

「――うわっ!」


 あまりにも突然の出来事に、大河たいがはバランスを崩し、視界が傾く。


 それが、開口部から足を踏み外したせいだと気付いたのは、視界が暗転し、全身に落下時に生じる怖気にも似た感覚を味わった時であった。


 だが、それを実感するよりも早く鈍い衝撃が肩から腰に掛けて突き抜ける。


「――っ!」


 声にならない悲鳴が口から漏れる。


 幸い、それほど高さはなかったおかげで、身体へのダメージはそれほどではなく、大河はすぐさま立ち上がり、入口の戸を力任せに引いて、閉じた。


 地下スペースの高さはおよそ1.5メートルほどで、大河からすれば中腰になる必要があったが、それでもあの怪物から逃れられる可能性があるのであれば、楽なものであった。


「……どうだ?」


 暗く、じめっとした空間の中、大河は戸の隙間からわずかに差し込む光を見上げ、上部の様子をうかがう。


 だが、相手は物音も気配も感じない怪物であり、いくら待ったところで、諦めたかどうかなどとわかるはずもない。


 ふと、その事実に思い至ったところで、大河は一旦視線を落とす。


 そして自分の目の前に出来上がった、上方から差し込む光のラインに気付く。


「――これはマズい」


 嫌な予感がして、大河は慌てて開口部の下へと移動し、扉へと腕を伸ばすと、その位置を調整する。


 すると、わずかに開いていた隙間も完全に埋まり、大河の周囲は完全なる闇に包まれた。


「さて……あとは大村おおむら氏の言葉が正しいかどうかが問題だな」


 もう自分にはすべきことがないと悟り、大河は中腰のまま地下スペースの奥へと足を進める。


 周囲が真っ暗ということもあり、どこに壁があるのかもわからないので、ゆっくりと、手を前へと伸ばし、ぶつからないよう注意を払うのも忘れない。


 そして、数メートルほど進んだところで戸棚らしきものに行きつき、大河はその脇にあった空きスペースにその身を収めた。


 視界が完全に機能していないので、棚に何があるのかもわからなかったが、変な臭いがしているというわけでもなかったことから、大河は余計な詮索をすることもなく自らのこれからの動向について思いを巡らせる。


「とりあえず、これでヤツからの追跡は一旦途切れたと仮定するとして、いつまでもこのままってわけにはいかないだろうな」


 大河は壁に寄り掛かりながらも、自分が入ってきた箇所を警戒する。


 それから数秒程時間が経過し、自分の身に何ら変化が起こらないこと、周囲にも特段の変調がないことを察知して、大河は幾分気を緩める。


「まず、出るとしたら夜だろうな……この辺りは人工灯もないから、日が暮れてから外に出れば、ひとまずは襲われる心配はないだろう。ただ、問題はどうすればヤツの対象から外れるかっていうことになるが――」


 大河は目を閉じ、思考を更に深める。


 ただ、それと同時に全身の疲労感がより強く感じられ、意識がまるで靄がかかったかのようにぼやけてくる。


 それに加え、この場が真っ暗であることも、眠気に拍車をかけていた。


「考えろ。タイムリミットは朝だ……それまでに何とかして対処法を見つけないと、一生この穴蔵で生活する羽目になる。そいつは絶対勘弁したいところだが……」


 無理やり口端をつり上げ、笑ってみせるが、その表情は疲れ果てた兵士のようであり、まぶたがゆっくりと下りていく。


「伝承では、好いていた彼女が殺されたことを恨み、虐殺を行った。つまり、動機は復讐になるわけだ。そこから逃れるためには、どうするべきか……供養が一般的だが、首塚に納められたは女の方の遺体で、男の方の消息はわかっていない。いや、もっと単純に考えた方がいいかもしれない。そもそも、この地で行方不明者が現れ始めたのは、都市開発の話があってから――つまり、その時期に何らかの原因が……」


 背中に感じる土壁の感触。


 緊張から一転して感じられる解放感。


 湿り気を感じるものの、涼やかで火照った体が冷まされていく心地よさ。


 それらが見事に重なり合って、大河の意識は、本人も気付かぬうちに薄まり、夢の中へと溶けていくのであった。

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