第39話 静穂、動く

大河たいが……さん?」


 妙な胸騒ぎを覚え、前原まえはら静穂しずほは顔を上げた。


 宿の窓から見える景色は相変わらずのどかで、まるで自分の心配は杞憂ではないかとさえ思ってしまうほどであった。


 しかし、それが気のせいであると思えなかったのは、今回携わった事件において、異形の者の存在を、静穂自身が認知していたからであった。


「間に合うかな……」


 再び視線を手元のノートに戻すと、そこには解読済みの大村おおむら家に伝わる資料の文面が並んでいた。


 静穂はノートの表面を指先で軽くなぞった後、再び文面へと視線を落とし、目を細める。


「……うん、信じよう。大河さんなら、きっと大丈夫なはずだから」


 そう口にして自らを鼓舞すると、静穂は再び解読の作業へと取り掛かる。


 窓から吹き込む風は穏やかであったが、不思議な冷たさがあり、それが逆に静穂の不安を煽る。


 だが、そんな静穂の部屋の戸を、誰かがノックした。


「――失礼します」


「……はい、どうぞ?」


 静穂の声に誘われるように入口の戸を開けたのは、他でもない、この宿の女将であった。


 女将は膝をついたまま、一度丁寧に頭を下げると、これから作業を始めようとする静穂を見据え、意外そうに尋ねる。


「あら、おひとりなんですね?」


「そうですけど……どうか、なさったんですか?」


 部屋の入口の方へと上体をよじり、静穂が尋ねると、女将は軽く室内を見回した後、申し訳なさそうに話を続ける。


「いえ、それがですね。お客様にこれを言うのも失礼かもしれないとは思ったのですが、今朝行方不明になった方が、もしかしたら立ち入り禁止の場所へ向かってしまったのではないかという噂が出まして。それで、万が一お客様も迷い込んでしまっては危ないと……それで、安否の確認をするためにお部屋を回ってみたのですが」


「大河さんが部屋に居ないということですか?」


 静穂の言葉に、女将は黙って首を縦に振る。


「はい、それでもしかしたらこちらの部屋にいらっしゃるのではないかと思いまして――」


「……いえ、私の部屋には来てないですけど。それに、行方不明になった方って確か警察官でしたよね。安否の確認って、一体誰がするように言ったんですか?」


 静穂の言葉に、女将は一瞬嫌そうな顔をするも、すぐに表情を整え、目を伏せながら、数秒の間言葉を詰まらせる。


 しかしながら、わずかながらであっても生じた考慮時間にて、女将の中で結論が出たらしく、女将はあきらめた様子で答えを口にする。


「その……大村おおむら様から、です」


「大村……? 確か、大河さんが言ってた……」


「とにかく、いらっしゃらないようでしたら仕方ありません。もしお戻りになられましたら、すぐに私共へお伝えください」


 それだけ言い残すと、女将は再び頭を下げ、逃げるように去っていった。


 遠ざかっていく女将のものと思われる足音。


 それが完全に聞こえなくなったところで、静穂は険しい表情をしたまま、何かを決意したかのようにすっくと立ちあがる。


 そのまま静穂は外出の準備を手早く終えると、改めて気合を入れるように強く声を発する。


「細かいことはもうやめよ、行くっきゃないわね!」



 静穂が思い立ってから数十分後。


 屋敷やしき探偵事務所の探偵助手は、大村家の客室にて座布団の上に鎮座していた。


 解放感こそ控えめではあるが、落ち着きのある和の部屋にて、静穂と対峙するように座っているのは、大村家の現当主にして小柄な白髪交じりの頭をした男性――大村おおむら誠吾せいごであった。


「……あぁ、誰かと思えば、探偵さんの助手さんでしたか。えぇ、探偵さんは昨日ウチに来ましたよ。でも、今日は姿を見ていませんので、残念ですが……」


 大村誠吾は、静穂の全身を舐めるように観察した後、まるで感情を感じ取れないような気持ちのこもっていない声色で答えた。


 だが、そんな態度を気にするでもなく、静穂は持ち前の気の強さをいかんなく発揮し、声を強めて、自らの意思を目の前の男性へと示していく。


「いえ、私はそういう目的でここを訪れたわけじゃないんです!」


 今にも飛びつきそうな勢いで、静穂は体を前へと倒し、声を発する。


 その勢いに押されてか、誠吾は思わず口をつぐみ、静穂の意見に耳を傾ける以外の行動をとれなくなってしまう。


「で、では、一体何の用で?」


 若干身体を引き気味に用件を尋ねる誠吾に、静穂は待ってましたとばかりに、一緒に持ってきた、ノートを畳みの上に広げて見せる。


「これです。昨日大河さんから解読するように言われたものです。まだ全部は解読できていませんが、ここに書かれていることについて、教えてもらえませんか?」


「教えるも何も、私が知っていることなど何も――」


「それは違いますよね?」


 即座に否定する静穂に、誠吾は目を見開き、思わず口を閉じた。


 その様子に、静穂はここが攻め時であると感知してか、小さく息を吸うと、キッと表情を引き締め、まくしたてるように、自らの推論を、誠吾へと叩きつけるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る