第36話 次の標的

 廃村の中を駆け抜けた末、大河たいが益川ますかわは一段と立派な家屋を見つけ、吸い込まれるようにその中へと飛び込んだ。


 そして、適当な一室の戸を開けると、二人は滑り込むようにその身をねじ込み、速やかに密室を作り上げた。


「とりあえず、ここまで来れば大丈夫だろ……」


 呼吸を整えながら、引き戸越しに外の様子をうかがう大河であったが、その顔は疲労に染まり、とてもではないがこれ以上走ることはできそうもない。


 一方、益川も密室に籠り幾分安心したのか、埃だらけの畳の上に、脱力するように座り込み、こちらも再び走り出すことは難しそうであった。


 元々空き部屋であったのだろう、8畳ほどの室内にはこれといった家具も什器もなく、壁と襖で四面を囲まれていることや、埃っぽい空気もあって、息苦しさすら覚える。


 ただ、近くに自分と同じく呼吸をする人間が存在しているという事実が、不思議と安心感を生み、先ほどまでの緊迫した空気が自然と融解していく。


「……大丈夫だ。足音も、何も聞こえない」


 益川を安心させるため、大河はあえてそう口に出すと、引き戸に背を向け益川と向き合うように、しゃがみ込んだ。


 長い脚を折りたたみ、帽子を被り直すと、大河は益川と同じ目線を保ちながら、尋ねる。


「それで、一体何があったんだ?」


 大河の軽くも柔らかい口調による問いかけに、益川は一瞬身体を強張らせるも、すぐに息を吐いて心を落ち着け、何かを確認するように小さくうなずいた後、口を開く。


「わかりません……私はただ、この集落に来ただけで」


「来ただけで、その……鬼みたいな怪物に襲われたっていうわけか?」


「はい」


 益川の回答に、大河は難しい表情のまま、頭を掻いた。


「そうか……残念ながら俺にはその怪物とやらの姿が見えないんだが、何か心当たりとかはあるか?」


「いえ、私にもわかりません。でも、信じてください、確かに私は見たんです! 足音も気配も、何の前触れもなかったはずなのに、気が付いた時には見える位置に立っていて――」


 話していくうちに感極まっていったのか、益川は感情に任せて大河に詰め寄り、胸ぐらをギュッとつかむ。


 そのあまりにも必死な形相に、大河も面食らい、何とかなだめようと、優しい声で諭す。


「大丈夫だ、まずは落ち着いて。大事なのは今の身の安全だ。君は今、誰かに襲われているか? 違うだろ?」


 大河の言葉に、益川は思い出したように、スーツをつかむ手を緩めると、そのまま周囲を見回す。


 そして、怪物の姿がないことを確認すると、ホッと息を吐き、壁へと寄り掛かる。


「よかった、逃げ切れた……」


 大河は益川が落ち着いたのを見計らって、改めて思考を巡らせ、この地で起こっている不可解な事象について分析を始めた。


「恐らくではあるが、あの怪物とやらが、伝承に出てくる与助よすけのなれの果て……ということに間違いはなさそうだ。だが、問題はその対処法が一切わからないっていうことだな。それに、益川にだけ見えているという点も不可解だ。ただの幻覚という可能性もあるが、現に大学生たちはあんな無残な姿になっているわけだし、無下に扱うのも危険だろう……」


 ぶつぶつと考えを口にしながら、大河は意識を思考に集中させていく。


 そんな中、大河のポケットから甲高い電子音が、突如として鳴り響き、静穏な部屋に緊張を招き入れた。


 大河は慌てて携帯電話を取り出し、通話ボタンを押して電話に出る。


「もしもし、静穂しずほか。どうしたんだ?」


 この状況で、大河の携帯に電話を掛けてくる人物は助手の静穂以外に考えられなかった。


 無論、大河の予想は当たっており、電話口の静穂もそれをわかっていてか、多少慌てた様子ではあるものの、早速用件を口にする。


『大河さん、わかりましたよ』


「わかったって、どの件だ?」


『行方不明者について調べて欲しいって言ってたアレですよ。調べてみたら興味深いことがわかりましたよ』


「そうか。思ったより早かったが、どうやったんだ?」


『いえ、全部は調べ切れてはないんですけど、役所のデータベースから、この辺りの都市開発を行うっていう情報が見つかったんで、その時期に絞って集中して調べたんです』


「そうだったか。それで、興味深いことっていうのは?」


 そこまで口にしたところで、大河は益川と向かい合いながら通話することに気まずさを覚えたこともあって、そっと彼女に背を向けると、すっと立ち上がって引き戸の前まで向かうと、戸に顔を向けたまま通話に意識を集中させる。


『はい。それが、工事の調査のために集落を訪れた都市開発の責任者と、工事業者の人間が行方不明になったらしくて、中止になったみたいです』


「人数はわかるか?」


『工事関係者は全部で4人ですね。ただ、行方不明者はそれだけじゃないんです』


「どういうわけだ?」


『行方不明者の捜索に加担した警察官が数十名、警察犬までも姿を消してしまったみたいなんです』


「そいつは奇妙だな……でも、そんな事件だったらもっと大々的に報道されてるはずだよな?」


『それがですね、失踪した人たちは一斉に消えたわけじゃなくて、一人ずつ順々に消えていったみたいです。これは推測ですけど、そのせいで警察による報道規制が成功してニュースにならなかったんだと思います』


「一理あるな。それに、一人ずつ消えていくっていうのも興味深いな。うっすらとだが全容が見えてきそうだ。ありがとう、静穂」


『仕事ですから。それで、どうします? もっとさかのぼって調べますか?』


「いや、失踪者に関してはそこに留めておいていい。あとは文書の解読の方に力を割いてくれ――なるべく早くな」


『――大河さん、どうかしたんですか?』


「んっ? どうしてだ?」


『いえ、大河さんが急かすなんて珍しいなと思いまして』


「……いや、気まぐれだよ」


『わかりました。なるべく早めにお知らせしますね』


「あぁ、頼む」


『……大河さん、無茶はしないでくださいよ』


 そう言い残すと、大河が返事をするよりも早く、静穂からの通話は切られた。


「もしかして、悟られちまったかな……」


 携帯電話を耳元から離し、通話が切れていることを確認すると、大河は気まずそうな表情でポケットへと突っ込む。


 そして、再び振り返り、益川に電話の内容を伝えようとしたところで、大河は硬直した。


「――え?」


 そこにあったのは、益川がそこにいたという形跡のみであり、益川本人の姿はどこにもなかった。

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