第31話 報せ
「――んっ、んんっ! んんんっ!」
腹に力を入れ、足で踏ん張りを利かせながら、力の限り玄関の扉を引っ張ると、セピア色をした木製の扉はギギギギと悲鳴のような物音を上げながら、内部へ通じる入口を開いた。
「ったく、鍵もかかってないのに、どうしてこんな重いんだよ」
荒くなった呼吸を整えながらも、大河は半ば苛立った様子で半開きになった扉をつかみ、ぐいと建物内へと顔を突っ込み、中の様子を確認する。
そこにあったのは、ほんのりと白く染まった下駄箱と廊下、そして奥へと伸びていく複数の足跡だった。
「ここで、間違いないだろうな」
むせ返りそうなカビと埃の臭いに軽く咳き込みそうになりながらも、大河はもう片方の手で口元を押さえ、顔をしかめながらも中へと足を踏み入れる。
一歩足を進める度に、ガスのスイッチでも入ったかのように足元に埃が宙に舞い、細かな粒子が視界をぼかす。
また、板張りの廊下は、腐食し始めているのか、体重をかける度にぎぃと軋み、わずかに沈み込む。
今までほぼ無音の時間が続いていたこともあって、それらの物音が一層大きく響き、それはまるで耳に刻み込まれるようであった。
だが、大河はその異質な音を気に留めることもなく、廊下の奥へと足跡をなぞって、黙々と足を進めていく。
「――なるほど。しらみつぶしに調べていったわけか」
開け放たれた教室の前で足跡が内側へ向けて方向転換していることを視認し、大河は一度歩みを止める。
目的地はこのまま廊下を進んだ先にあるであろう図書館であったが、大河は数秒ほど間を置いた後、自らも方向転換を行い、教室へ入った。
それは、この地へと侵入した大学生たちの行動を追うという意味の他、大河自身も現場を見て何かの手がかりを得たいという思いもあってのものであった。
教室内は荒れ果てたという言葉がしっくりくるほどに物が乱雑に散らかっており、そのほとんどが木片やガラス片といった、瓦礫と呼んで差し支えないものであった。
また、床も全体的に埃が払われていたことからも、教室全体を入念に調べ上げられたことがうかがえた。
そんな様子を眺めながら、大河は腕を組み、感心した様子でつぶやく。
「やっぱり若いヤツは体力が余ってるのかね。まぁ、そのおかげで俺が助かるっているわけなんだがな」
再度、室内を見回してみるが、荒廃しているということ以外、有用な情報はなく、大河は教室を出ることにした。
再び廊下に出て、次の目的地へと向かおうとする大河であったが、何気なしに窓の外へと視線を向けた時、この場にまったく似つかわしくはない、甲高い電子音がやかましく鳴り響いた。
「んっ?
鳴り響いているのが携帯電話の着信音だと察知した大河は、ポケットからおもむろに携帯電話を取り出すと、そのまま通話に出る。
「おぉ、静穂。どうかしたか?」
『大河さん、大変です。映ってました!』
「うつってた? 何の話だ?」
『映像ですよ。カメラの。病院で見せてもらったやつです』
「あぁ、あれか。それで、随分慌ててるみたいだが、何が映ってたんだ?」
『鬼ですよ、鬼!』
「鬼⁉ そんなのどこに映ってたんだよ。一緒に見た時はどこも変なところはなかっただろ?」
『何も見えなかったんですけど、顔認証のアプリを使ったら、何もないところに顔の表示が出て、それで画面のコントラストだとか陰影を調整したら、ぼんやりとですけど、浮き出てきたんですよ!』
「だからといって、よりによって鬼って……いや、静穂が電話してくるくらいだからな、多分そうなんだろ。本当に鬼かどうかはわからんが、俺も戻り次第確認するから、そっちも引き続き調査の方を頼む」
『大河さん、やめましょうよ。この事件、ちょっと科学の域を超えてますって。深追いしすぎて手遅れになる前に戻った方が――』
「静穂、心配するな。俺も死にたいわけじゃないからな、危ないと思ったらすぐに戻る。だから今は自分の仕事に集中しろ。いいな」
『でも、大河さん――』
必死に呼び止めようとする静穂の声を無視して、大河は強引に携帯電話の通話を切った。
そして、再び周囲に沈黙が満ちる中、大河は神妙な面持ちで、窓ガラス越しに青空を見上げる。
「鬼か……確かに、ここに来た時に感じた異様な空気からも、そういう常軌を逸したバケモノがいるっていうのも、あながちあり得るかもしれないとは薄々思ってはいたが……」
大河はそこまで口にしたところで視線を戻し、そっと目を閉じて、自嘲するように笑う。
「ごめんな、静穂。もしかしたら、俺も無事では済まないかもしれない……あの
大河はゆっくりと目を開けると、深く息を吐き、小さな歩幅で図書館へと向かって歩き始める。
その途中、若干小さくなった床の軋む音にまでかき消されそうな、小さな声で、大河はぼそりと独り言を漏らした。
「――ま、俺自身、死ぬ気なんて毛頭ないけどな」
その後、大河は猫背になったかのように背中を丸めながら、これまた開け放たれていた図書館の戸をくぐるのであった。
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