第30話 認知

 探偵――屋敷やしき大河たいがが禁足地に赴いている頃、その助手を務める前原まえはら静穂しずほは、宿の自室に籠り、大河から頼まれた記録の解読作業を進めていた。


「ふぅ~っ、とりあえず、休憩」


 静穂は座椅子の背もたれに寄り掛かると、そのまま腕を突き上げて大きく伸びをする。


 その後、腕を下ろした静穂は、仕事で酷使した頭を休めるように、窓の外に見える緑と青で彩られた風景画のような世界を、脱力した身体で眺める。


 その一方、静穂の前のテーブルには茶菓子の入った丸い器と湯呑みの他、ノートパソコンと古語をはじめとした辞典が数冊、そして書きかけのノートが広げられており、今にも歴史の匂いが漂ってきそうな空気を醸していた。


 ただ窓の外を見ている――その姿だけでも絵になりそうな、情緒を感じる空間。


 外から吹き込んでくる風が静穂の肩を撫で、前髪を揺らし、そして去っていく。


 そんな優美なひと時を十分に味わったところで、静穂は再び自らに課せられた仕事へと戻るべく、寄り掛かった体を起こす。


 だが、再びペンを手に取ろうとしたところで、静穂はその動きを止めた。


「う~ん……こっちの方は結構キリがいいとこまで来たし、気分転換も兼ねてカメラの映像の方をチェックしておこうかな」


 別段、解読作業もあとわずかで終わるというわけではなかったこともあり、静穂はノートを畳むと、そのまま積みあがった辞書の上へと置き、ノートパソコンを手前へと引き寄せた。


 パソコンのディスプレイには、前日に大河が撮影した赤端あかはた村に関する記録が拡大して映し出されていたが、静穂はそれを画面外へと退去させ、改めてクリニックにて撮影された監視カメラの映像を動画再生用のソフトを用いて再生する。


「まぁ、この映像で新しい発見も何も、ないとは思うけど……」


 若干下がってきた丸眼鏡を指先で再び持ち上げつつ、静穂は同じニュースを何日も報道しているワイドショーでも見ているかのように、退屈そうな目で映像を眺める。


 俯瞰する視界の中で、母親に連れられて大西おおにしあやかがやってくるシーンが始まる。


 その後、母親は受付に向かい、一人になったあやかは、怯えた様子でトイレへと繋がる通路へと向かい、姿を消す。


 それは、病院の警備員や大河と一緒に確認した時とまったく同じ内容であった。


 収穫も発見もない映像に、静穂も不満気な顔をしながら頬杖をつく。


「別に、不審者が映ってるってわけでもないだろうし、実はこの子があやかじゃありませんでしたとかいう、推理小説でよくあるようなオチでもない限り、これ以上の情報は見込めないわよね……」


 そう言いながら、静穂はテーブルの上に用意されていた茶菓子の袋を引き寄せると、封を開けて、中から一口サイズの饅頭を取り出し、かぶりつく。


 今までの作業で疲労した頭に、糖分が補充されていくのを舌で感じながら、静穂はぼんやりと一時停止された画面を見つめる。


「一応、アプリでチェックだけして、終わり次第解読作業に戻る感じでいっか」


 この場に大河がいないことや映像に重要性を見出せなかったこともあり、静穂は独自の判断を下すと、湯呑みを手に取り、すっかり冷めたお茶で口内の饅頭を喉奥へと流し込んだ。


「よし、まずは、拡大して顔を確認して……まぁ、ここは当然本人よね。これで双子だったとか、年の近い姉妹だとかだったら、何の為に依頼してきたのかって話になっちゃうわけだし――」


 ごく稀に、探偵の腕を試して遊ぼうとするような、常識の範疇を大きく逸脱した思考を持つ人間もいるという事実が脳裏を軽くかすめたが、静穂はそれをスルーして、次の検証へと取り掛かる。


「それで、次は誰かがこっそり隠れてないかのチェックよね。まぁ、隠れる場所なんてほとんどないから、余程のことでもない限り……へ?」


 画面内に表示された静止画には、その場に存在する顔の見える人物すべての頭部に顔認証に用いられるような識別のマークが表示されていた。


 それは当然のことであり、静穂が驚くようなことではない。


 むしろ、静穂が驚いたのは、あやかの背後に、あるはずの無いものが存在していると、アプリによって宣告されたからであった。


「なんで、何もないのに顔が認識されてるのよ? 汚れか何かが顔に見えたとか?」


 不可解な出来事に、静穂は顔をしかめ、画面に顔を近づける。


 しかし、ディスプレイの中では、相変わらず人も動物も、人形すらもない、ただの空間に、確かに顔の存在を確認したというマークが表示されていた。


「……一応、このまま続きを再生してみないと」


 静穂は内心、表示が消えてくれるよう祈りながら、映像の続きを再生する。


 画面内の時間が再び動き始め、あやかがトイレへと向かって動き出す。


 そして次の瞬間、静穂は思わず目を見開き、声を上げた。


「――嘘っ⁉ 動いてる」


 そこにあったのは、にわかに信じがたい光景であった。


 何もないはずの空中に表示された顔認証のマークが、まるでそこに人が存在しているかのように、そしてあやかという女子大生をじわじわと追い詰めるように、ゆっくりと、彼女の背中を追うように、移動をしていたのだった。


「……って、驚いてる場合じゃなかったわ。何とかこの見えない何かの正体をハッキリさせないと!」


 鳥肌の立つ、ぞわっという感覚を全身に覚えながらも、静穂は混乱混じりにアプリケーションの機能を片っ端から使っていく。


「色味を変えても……何もなし。明度を上げても……下げても無理。次は――」


 そうして試行錯誤を続けること数分。


 ついに静穂は、その存在を認識することに成功した。


 ただ、その瞬間彼女の口から出た言葉は、決して達成感や満足感といった感情を含んだものではなかった。


「……何よ、この、バケモノ」


 最終的に監視カメラの映像に映っていたもの――それは、本当にうっすらと、まるで霧のように曖昧にではあるが、それでもしっかりと人の形をした、それも異様に右腕の辺りが発達しているように思える、まさに鬼とも見える形状をした異形の存在であった。

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