第28話 発見

 険しい山道を抜け、拓けた場所に到達した大河たいがであったが、その姿はまさに疲労困憊といった様子で、今にも大の字に寝そべってしまいそうな雰囲気を醸していた。


「とりあえず、着いたみたいだな……」


 両膝に腕を置き、楽な姿勢をとりつつも荒い呼吸を繰り返していた大河であったが、それでも何かしらの情報を得ようと、周囲に目を配る。


 伸び放題の雑草や、山との境界を作るように生えそろった木の壁、そして上空から降り注ぐ暑苦しいまでの日光。


 廃村として見れば、何の不思議もない光景であったが、その地へと足を踏み入れた大河は、肌に感じる空気の変化を機敏に察知する。


「そういえば、結構日が強いのに、涼しいな」


 寸前まで大粒の汗を浮かべながら、斜面を必死に登っていた時は、黒いスーツに黄色いシャツという、いかにも熱を集めそうな服装であったこともあり、全身にカイロを貼っているかのような蒸し暑さを覚えていたが、不思議なことに現在はそのような感覚はまるでない。


 逆に、火照った体を冷やしてくれているかのような、心地よささえ覚えているくらいであった。


 そんな謎めいた空気感に、さすがの大河も徐々に冷静さを取り戻し、背筋を伸ばしてその場に居直ると、訝し気に目を細め、空を仰いだ。


「……いや、何かおかしい。いくら高地だからといっても、直射日光を浴びても寒気がするのは普通じゃない。それに、こんなに自然にあふれてるっていうのに、生物の気配がまったくしないのも妙だ」


 大河が口にした通り、周囲は不安を覚えるほどの無音に包まれており、鳥や動物といった生き物の泣き声どころか、木々のざわつき、風の音すら聞こえてこない。


 例えるなら、屋外にいるのに、徐熱の続く部屋の中に閉じ込められているかのようであった。


「神社とかに行くと、空気が変わるとは聞いたことはあるが……これがそれか? それにしては、随分と……んっ、何だ? この臭いは」


 不意に漂ってきた腐敗臭に、大河は瞬時に頭を働かせ、記憶と比較と検討を繰り返していく。


 そして、できることなら、もう体験したくはなかった忌まわしい記憶と、合致してしまう。


「――血肉の腐った臭い」


 瞬間、大河の脳裏に、最悪の事態が想起される。


 行方不明となった大学生たちと、彼らを探しにやってきた女性警察官。


 彼らが血まみれの遺体となって放置されている姿を嫌でも思い浮かべてしまい、大河の心臓は今日一番の強い鼓動を脈打ち始める。


「いや、そんなはずは……」


 何かに突き動かされるように、大河は駆けだす。


 歩を進めるごとに、その腐臭は強くなっていき、その臭いが最も強くなった箇所では、鼻口を覆わなくてはまともに息もできないほどであった。


 吐き気を催すほどの悪臭を放つ、臭いの根源――それは、雑草に隠れるようにひっそりと佇む、朽ちかけた石の墓標、その目の前だった。


「おい、マジかよ……」


 雑草の生い茂る中、他所に比べて、窪地になっているそこには、人間の男女と思われる肢体が3つ、積み上げられていた。


 大河は袖口で口元を強く抑えながらその場に屈み、遺体の様子を注視する。


 どの遺体も衣服が泥と血で汚れており、何かしら巨大な刃物で切り裂かれたような巨大な傷が随所に見られた。


 場所によっては内臓や骨が見えているところもあり、耐性がない人間であれば、その場で嘔吐すらしてしまうであろう、グロテスクな光景であったが、大河に至ってはその例外であり、顔面のパーツがすべて寄ってしまいそうなほどにきつく顔をしかめてという条件付きではあるが、体調に異変をきたすことなく、分析を始める。


「服装と体格からして、二番目のこいつが泉山いずみやまだな。一番下のは……恐らく一緒にこの地に来ていた同じゼミの仲間。確か、菖蒲しょうぶ穂垂ほたるとかいう女で間違いなさそうだな。そして――」


 大河は重なった遺体の一番上にあった女性の姿を哀しげに見やり、やりきれない感情を吐き出すかのように、喉元に留めておいた言葉を押し出す。


「一番上の女が大西おおにしあやかだな。服装も病院で消えた時に着ていたものと同じみたいだし、間違いはないだろうな」


 大河はすっくと立ち上がると、そっと目を閉じて合掌をした。


 それは1分にも満たない時間であったが、そうしている間ばかりは大河も心が安らかでいられるような気がした。


 その後、再び目を開けた大河は、そのまま来た道を戻ろうとして、ふと足を止める。


「そういえば、益川ますかわとかいう警官は、どうした?」


 見た限り、警察の制服を身に着けた遺体はなかった。


 だが、益川は交番に戻っておらず、行方不明となっている。


 それはつまり、生死は別として、益川はこの山のどこかにいるということになる。

 

「だとすると、どうしてそんなことを?」


 大河は、益川が通ってきたと思われる経路を追う形でここまで登ってきた。


 それならば、益川も大河が見たものと同じ光景を目にしたはずである。


 可能性として考えられるのは、犯人を見つけて後を追ったか、それとも別の予期せぬ出来事に遭遇してしまったかであるが、今の大河にはそれを明らかにするだけの十分な証拠を持ち合わせてはいない。


 ただ、このまま何もなかったかのように山を下り、村を出て依頼の報告をするという選択肢はできなかった。


 それは、真相を明らかにしたいだとかいう探求心や好奇心からくるものではなく、何か嫌な予感がするという本能的な直感からくる危機意識ゆえであった。


「とにかく、もう少しこの辺を調べてみるか……ん?」


 再び歩き出そうとしたところで、大河は足先に何かがぶつかる感触を覚え、視線を下向ける。


 そこにあったのは、雑草に埋もれて見づらくなっていたが、益川が携帯していた警棒に間違いなかった。

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