第25話 入山

 益川ますかわを捜索する人々の声が小さくなる中、大河たいがは一人、彼らに背を向けて歩みを進めていた。


 明確な目標となる地点を定めてはいなかった大河であったが、なるべく人目につきたくはないという思いからか、その足がアスファルトで舗装された道路に変わっても、そのペースは落ちることはなく、競歩の選手さながらのストライドで足を動かし続ける。


 人の声も、車のエンジン音も聞こえない、風と緑により奏でられる環境音は、本当に失踪が起きたのかとうたがいたくなるほどに穏やかで、温和であった。


「えぇと……さすがにまだ見えはしないか」


 大河は左手に見える山の斜面へと注意を払ってみるが、まだ集落らしきものは見えない。


 念のため、右手側にも目を向け、変わった場所はないか確認もしてみるが、こちらも何ら変わりはない風景が続いていた。


「間違いなく、山の裏側って言ってたはずだよな……ていうか、歩きだとどんだけ時間がかかるんだ?」


 どれだけ歩いても集落の末端すら見えてこない現状に、大河も思わず愚痴をこぼすが、すぐに回答にたどりつき、自己撤回をする。


「……あぁ、そういやここらの人って基本車移動だっけか。まいったな、これだったらこの距離だけ静穂しずほに運んでもらうべきだったな……」


 自前の黒い帽子を軽く持ち上げ、大河は蒸し暑くなった頭部を一時的に開放する。


 結構な距離を歩いたこともあって、体温も上昇し、汗ばみつつあった身体は、そのわずかな清涼感だけでも、十分に心地よく感じられ、大河も一時の安息を得る。


「あ、ついでに交番も見とけばよかった。失敗したな……やっぱり朝は頭が回んなくてダメだ」


 クールダウンされた頭に突如として思い浮かんだ考えに自己嫌悪するものの、大河は頭を振ってすぐに思考を切り替える。


「まぁ、過ぎたことは仕方ねぇや。てか、ここまで歩いて見えないってことは、本当に真裏か、遠回りしてたりするのか?」


 最悪の可能性を考慮し、思わず大河は足を止めた。


 現在大河が立ち止まっている位置は、自動車のぶつかった影響で歪んだであろう、白いガードレールによって申し訳程度の転落防止の措置が取られている、ゆるやかなカーブの手前であった。


 このまま進むこともできなくはないが、道路のうねり具合から見て、結構な距離を歩くことになるのは明白だ。


 自動車があるのであれば、このまま道沿いに進み、どこかにあるであろう赤端あかはた村の跡地といえる地域へと続くであろう、封鎖された道から侵入も容易なのだろうが、あいにく大河はその手段を現在有していない。


 さらに言えば、ここまでの道のりも、自動車による正規なルートを通ってきたわけでもないので、どこにその封鎖箇所があるのか、そもそもそんな痕跡が残っているのかさえもわからない。


 最悪、徒歩で進んだ場合、調査の時間も考えれば、今日中に宿まで戻れるかも怪しいところだ。


 元々、大河は行方不明者の捜索をするべくやってきた外部の者であり、赤端村の伝承についても調べて回っていた人間である。


 万が一、住人の中にそれを好ましく思っていない者がいるとするならば、帰りが遅れたとなれば、何かしらの不利益を被る可能性は否定できない。


 最悪、宿に残してきた静穂の立場も危なくなるかもしれない。


 大河はこれからの展望の暗さに、ガードレールをつかみながら、がっくりとしゃがみ込んだ。


「どうする……こうなったら帰り際に忍び込むか? それともこの辺りから強引に登っていくか?」


 ため息を漏らしつつ、大河が目線を下げて、登れる可能性を吟味し始めた、その瞬間であった。


「んっ?」


 視界に入った、ちょっとした違和感に、大河は目を見開き、身体を乗り出した。


「あれは……パイプ? いや、あの光沢は――」


 茂みの中に隠れていたそれに心当たりがあった大河は、火でもついたかのように素早く立ち上がると、ガードレールの間を抜け、道路脇の茂みへと駆け降りる。


「うおっ……と」


 途中、土に足を取られそうになるが、何とか手をついて転倒は免れると、大河は急いでその物体を確認しようと、茂みをかき分けた。


「……益川」


 そこにあったのは、見間違えるはずもない、昨日交番の前に置いてあった、警察官の巡回に用いられる、まだ新しい自転車であった。


「見たところ、落ちたってわけじゃなさそうだな」


 横転しているわけでもなく、茂みの中に隠すように置かれていた自転車。


 それが意味するものについて、大河が考えられる可能性は一つしかなかった。


「ここから、登っていったってわけか……確かに、ここまでは住民もやってこないだろうし、自転車なら帰るにも、そう時間はかからない……」


 大河は自転車を元通り茂みに隠すと、改めて山の斜面へと目を向ける。


 そこには、遠目にはわからなかったが、最近何者かが登ったと思われる、土の踏み込まれた形跡が見て取ることができた。


「行った、みたいだな……」


 大河はごくりと唾を飲み込むと、帽子の角度を調整し直し、意を決して山の斜面へと足をかけた。


 そして、残された足跡を追うように、黒々とした木々の作り出す迷宮の中へと、その姿を消していったのであった。

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