第26話 みちくさ
野生動物すらも通過を諦めるような、急で脆い斜面を、逞しく生きる大樹に手を掛けながら、
ただ、その過酷な山路ゆえに、大河の体力も長くはもたず、数十メートルを上ったところで、自然と足が止まる。
「ったく、歩きづらいし、道にもなってねぇし、よく登れたな、こんなの……」
木の幹に寄り掛かりながら、呼吸を整える大河。
その視線は、眼前から上方へと伸びていく、
現状、昼であるからこそ、こうして後を追って登ることができているが、これが夕刻であったり、それより遅い時間帯であるなら、とてもではないが無理だろう。
そういった意味では、やはり益川は女性とはいえ警察官だったのだと、大河はしみじみ思い、敬意を抱く。
「俺も何か運動でもやってたらな……なんてもう手遅れか。ま、今から帰ったところで絶対にやらないんだろうけどな」
軽口をたたきつつ、大河は周囲へと視線を巡らす。
鬱蒼と茂った木々のおかげで日光の大半は遮られ、幾分薄暗くなっているが、周囲を視認するには十分な明度があった。
そして、大河が何かめぼしい手がかりの一つでもないかと遠くまで視線を伸ばした時、うっすらと黒い線が木々の合間を縫うように続いているのを発見する。
「なんじゃ、ありゃ?」
大河は黒い上着を脱ぐと、ついさっきまで寄り掛かっていた大樹の枝のひとつに掛け、その黒線に向かって足を進めていった。
相変わらず足元は悪く、スムーズにはいかなかったが、ある程度山を登ってきたこともあって、多少息が上がる程度の労力で、現場まで到着することができた。
「これは……足跡だな。足が上がってなくて、土を蹴りながら進んでるってとこか。もう片方は靴が脱げてるな……ってことは、何かに追われていたか、もしくは捕まることを恐れて逃げていったと考えるのが自然か。まぁ、この斜面を走って下るなんて並の人間じゃ無理だろうしな」
大河は腰を落とし、手近な樹木をつかみながら、足跡を詳しく観察する。
そして、土の盛り上がり方やそこに残る靴の型、不自然に折れ、転がっている細い木の枝などを視認した上で、大河は自分と確認をとるように、一人口を開く。
「うん、間違いないな。しかも、この靴跡のサイズから考えて、あの女性警官のものではないのも明らかだ。となると……」
そこまで言ったところで、大河は立ち上がり、足跡の向かった先を見つめる。
「恐らくここを通っていったのは、
一通り推理を終えたところで、大河は満足げにポケットに手を突っ込み、まだまだ続く斜面の上部へと目を向ける。
そこには、何かが滑り落ちてきたような、表面がえぐれて内側のより色濃い土が露わになった箇所が痛々しい姿のまま、残されていた。
「やっぱりな。あの警官の安否は確かに気になるが、今はこっちを優先するべきだろうな。もし、生きていたなら伝承に関する有力な証言も手に入るかもしれんし、
ニッと口元に笑みを浮かべると、大河はポケットから手を引っこ抜き、改めて目の前から伸びる足跡を伝って歩き始めた。
ただ、大河の頭では痕跡に残された違和感が、まるで目隠しでもしているかのように強く印象付けられ、歩を進めるごとに、それがより強い存在として認知されていく。
「相当必死に逃げてたみたいだったが、一体何から逃げてたって言うんだ? 人間か? それとも動物?」
通常、何かに追われていたのであれば、追っている者の足跡やら痕跡が残るのが普通である。
だが、この現場に残された足跡は大学生――
まだ社会に出てない身であるとはいえ、体格で考えれば大学生は成人男性と大差ない。
性格もあるだろうが、成人の男が遭遇して逃げ出すような事態を考えると、
しかし、現場には誰かが後を追ってきたという痕跡がまったくない。
人間の場合、追いつけないとあきらめることはあるだろうが、この山は禁足地だ。
そこに忍び込んだ人間を、しかも地の利のあるであろう山道で見逃すなど、するとは到底考えられないことである。
「単純に逃げ切った……というのであれば、いいんだがな」
悩み、考えた結果、起こりうる一番自然な可能性を口にしてみるが、それでも大河の気持ちは晴れなかった。
無論、単純に山の中で道に迷い、遭難してしまったという可能性も高い確率で存在するが、大河自身の勘が、それは違うと強く主張していたのだ。
「――ま、行けばわかるか」
比較的歩きやすい、斜面の中でも比較的傾斜が緩やかな、道とも呼べない山路を大股で歩き続けること数分。
大河は木々の陰に隠れるようにひっそりとたたずむ、小さな山小屋の存在を確認し、その足を止めた。
逃走していた人物も山小屋の存在に冷静さを取り戻したのか、足跡も途絶えており、屋内へと逃げ込んだであろうことが容易に想像がつく。
「今も居てくれたなら、楽なんだがな……」
大河は自嘲気味に笑い、ドアへと近づく。
人の気配をまったく感じない、静まり返った空気に、大河は内心この場に誰もいないであろうと予想する。
「ま、居なかったら仕方ない。来た道戻ってまた斜面登るか」
寒いギャグでも放ったかのように顔をひきつらせながら、大河は山小屋のドアに手をかけ、ためらいなく引き開けた。
「――どういうことだ?」
思わず口をついて出た、大河の心の声。
そこにあったのは、埃まみれの部屋の中、誰かがそこにいたという形跡と、ひび割れたスマートフォン、そして血に染まった眼鏡だった。
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