第21話 禁忌

 時計の針も5時を回り、集落の大半が西日に照らされ、暗がりの数も増えてきた時合。


 交番では、入口を照らすライトが点灯し、その下では女性警官――益川ますかわが自転車のロックを解除して、巡回の準備を進めていた。


 平和な村ということもあり、相変わらず拳銃は携帯しなかったが、代わりに警棒を装備して、益川はタイヤとライトの様子を確認する。


「――よし、問題なし。それじゃあ、今日も見回りいきますか」


 自らを奮い立てるように、益川は明るく声を発すると、そのまま自転車にまたがり、ペダルに乗せた右足に力を入れた。


 決して平らとは言えない、土を踏み固めて作られた細道を、多少左右にぶれながらもライトが照らす。


 コンビニもスーパーマーケットもない山間の集落ということもあり、夕刻という時間帯であっても、人の姿はまったくなく、点々と見える家屋の中からかすかな光と生活音がかろうじて聞こえてくる程度だ。


 そんな環境もあって、益川は無人の村を、サイクリングでもするかのように気楽にに進んでいく。


 軽やかにタイヤが回る音に、サドルを通して伝わってくる車体の振動、そして日中よりも格段に低くなった気温を感じながら、益川は無心でペダルをこぎ続けていた。


「……今日も変わらず静かだなぁ」


 ポニーテールがたなびく感覚に、わずかながらそう快感を覚えながら、益川は感慨深げにつぶやく。


 そして、大村おおむら家の屋敷の前まで来たとき、いつものようにUターンをしようとして、ふと立ち止まる。


 人工音の少ない環境ゆえに、キュッというブレーキ音が響いて聞こえるが、益川の注意はそこには向いていなかった。


 益川の目線の先にあったのは、宵の空に黒くそびえる巨大な山だった。


「首塚……か」


 赤端あかはた村の伝承にある首塚は、この山の裏にある――その知識が、益川の心を強く揺さぶる。


 それは昼間に交番を訪れた探偵――屋敷やしき大河たいがと言葉を交わしたがゆえの変化であった。


「もしかしたら、行方不明の子たちは、まだそこにいるのかも……」


 益川自身、目の前の山は大村家の土地であり、勝手に入って捜査などできないことは重々承知していた。


 しかし、それ以上に、もしかしたら助けを求めているかもしれないという、正義感が強い葛藤となって、心情をより大きく揺れ動かしていく。


 元々、人命に関わる事案であったにも関わらず、私有地だからと捜索を早々に打ち切ったことも、益川には疑問であった。


 そんな疑念が益川の胸の内で大きく膨れ上がり、ついに心のブレーキを破壊する。


「――大丈夫、私ならできる」


 そう自分に言い聞かせると、益川は一度方向転換しかけた自転車の車体を、再度向きを変え、山肌を沿うように伸びる車道を目指してあぜ道を進み始めた。


 もし、見つかって怒られるようなことがあったなら、その時は責任をとればいい――助けられる命を見捨てるくらいであれば、反省文であろうと減給であろうと受け入れるともりだと、益川は覚悟をしていた。


 そして、本来の巡回コースではない、とはいっても地理的にも車通りなどほとんどない車道を、益川は自転車でまっすぐ進み始める。


 その間にも、周囲は夜の顔へと姿を変えていく。


 頭上に不格好な月が姿を見せているものの、それでも辺りは暗く、外灯の下に見えるアスファルトと薄れた白線くらいしか目につくものはない。


 山に至っては、稜線すら確認できるか危ういほどであった。


 そんな中、首塚の様子など遠目に見てわかるはずもないのだが、益川は自転車を十五分程こぎ続けたところで、走るのを止めた。


「……確か、この辺だったような」


 そうつぶやきながら、益川は自転車を降りる。


 そこは、ガードレールが大きく歪んだゆるやかなカーブであった。


 目印としては、いささか不穏ではあったが、今の益川にはそれ以外に頼るものもない。


 益川はそのまま、自転車のスタンドを立てようとするが、すぐに思い直し、自転車のハンドルを握ったまま、ガードレールの間を抜け、幾分きつめの傾斜を下り、ちょうど茂みの陰となっている位置に停め、ライトを消した。


「これで、余程のことがない限り、バレないはず」


 その後、益川は小型のペンライトを取り出し、改めて眼前に広がる山肌を見上げた。


 当然ながら、生い茂った木々や宵闇も相まって、首塚の場所など確認することはかなわない。


 しかし、だからといって今の益川は歩みを止めることをしなかった。


 あと数日もすれば、上司がこの地に帰ってくる。


 この機を逃せば、チャンスはもう巡ってはこないだろうことは明白だ。


「……心なしか、少し寒気がするわね」


 不意に訪れた鳥肌が立つような感覚に、身を震わせながらも、益川は腰の警棒に手を伸ばす。


「大丈夫、私は、警察官」


 自分は警官であるという自覚を心に刻みつけながら、益川は緊張に早鐘を打つ心臓をなだめるように、ゆっくりと足を進めるのだった。

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