第15話 大村誠吾の言葉

 探偵――屋敷やしき大河たいがが案内されたのは、畳の香りが漂う、落ち着いた客室であった。


「どうぞ、おかけください」


 案内してきた男性はそういうと、サッと手を伸ばし、その先にあったざぶとんへと大河を促す。


「どうも。ご親切に」


 大河は軽く頭を下げると、男性の言葉に従い、ざぶとんの上にあぐらをかくように腰を落とし、帽子を脇に置いた。


 何気なしに部屋を見回してみるが、背後と左手側は梅の木が描かれたふすまで仕切られ、右手側の障子戸からは柔らかな外光が、唯一の光源として差し込んでいる。


 また、正面の床の間には古めかしい掛け軸と花瓶が備えられ、部屋の上部には歴代の当主と思われる写真が額に入れて飾られている。


 部屋の様子を興味深げに眺める大河に対し、ここまで案内をしてきた男性も向かい合うように、これまた準備されていた座布団にあぐらをかく。


 そして、小さく頭を下げると、男性は落ち着いた声色で語り始めた。


「どうも、私、大村おおむら家の現当主である大村おおむら誠吾せいごと申します。それで、屋敷さん……でしたか。赤端あかはた村について、どのようなことが聞きたいのでしょうか?」


 誠吾と名乗った男性の声が途切れると、人工的な音を一切排除したような、ぴんと張ったような空間が生まれ、音を立てるのがはばかられるような、畏怖にも似た感情にとらわれる。


 しかしながら、大河はそれを顔に出すことなく平静を装うと、邪を払うがごとく咳ばらいをした後、口を開く。


「以前こちらに来たという大学生は、赤端村の伝承について、どのようなことを尋ねられたのか、おうかがいしたいのですが」


「大学生……あぁ、あの3人の……なるほど」


 大村誠吾はそうつぶやくように言うと、腕を組み、目を閉じて何やら考え込む仕草を見せる。


 そして、何かを確認するように小さく何度も頭を動かしたかと思えば、ゆっくりと目を開き、大河に一言尋ねる。


「ちなみになんですが、屋敷さん自身は赤端村の伝承について、ご存じなのでしょうか?」


「えぇ、ここに来るまでの間に、少し。といっても泉山いずみやまくんのまとめた資料に目を通した程度ですが……」


 そう言って、大河は幾重にも折り畳まれたコピー用紙をポケットから取り出し、当主の男性へと手渡す。


 男性は受け取った資料を開き、目を通すと、何も言わずに再び折り畳み、大河へと返した。


「あの……それで、一体どのようなことを尋ねられたのでしょうか?」


「率直に申しますと、その伝承を裏付けるような資料がどこかにないかということを尋ねられましたね」


「あぁ、それは当然の流れといいますか……それで、大村さんはどのように?」


「はい。実を申しますと、ウチに残っていた記録の方をお見せさせていただきました。ただ、いかんせん古い資料でしたので、その場で解読することができなかったらしく、それ以上は断念されたみたいで……」


「そのまま素直に帰ったということでしょうか?」


「正確に言いますと、資料を持ち帰らせてほしいと打診の方は受けたのですが、記録は我が家に代々伝わる家宝ですし、いらしたのが大学の教授様ならともかく、学生さんということもありまして、丁重にお断りを――」


「それは、仕方ないことだと思います」


「ありがとうございます。ですが、スマートフォンというもので写真には撮っていたみたいなので、調査自体が滞るといったようなことはないと思うのですが……」


「そうでしたか。今の話を聞いたところ、行方不明になるような要素はないみたいですね……あの、もしよかったら、私にもその記録とやらを見せていただくことは可能でしょうか?」


「屋敷さんにもですか? まぁ、それは構いませんけど……少々お待ちください」


 大河の突然の申し出にも関わらず、大村誠吾は意外そうな表情を見せるも、すぐに立ち上がり、障子の向こう側へと消えていった。


 遠ざかっていく足音を耳にしながら、客室に一人残された大河の視線は、自然と眼前の掛け軸へと向けられる。


 先ほどは大して意識もしていなかった掛け軸であったが、よく見てみると達筆な字で何やら訓示のようなものが書かれていることがわかる。


 大河は若干身を乗り出し、目を細めてその内容を分析、精査をしていく。


「えぇと、これは……守に、地に、入る? 入ろうとする者から土地を守れみたいなニュアンスでいいのか、これ?」


 書かれた言葉の意味を推察する大河であったが、近づいてくる足音に気付くなり身を引いて座布団の上に座り直した。


 それと同時に障子戸が開け放たれ、大村誠吾が資料らしき紙筒を手に部屋へと戻ってきた。


「お待たせしました。こちらがお話した記録になります」


 そう言って、男性は目の前で記録を広げて見せる。


 ただ、その内容は直前に話した通り、何の知識もない人間にはただの記号の羅列にしか映らない、古めかしいものだった。


「おわかりになりますか?」


 黙って記録をにらむ大河に、大村誠吾は尋ねる。


 しかし首を振る大河の口から返ってきたのは、予想通りの言葉であった。


「いえ、多少の覚えはあるのですが、この古さは専門外ですね……」


「そうでしたか。力になれず、申し訳ありません」


 そう言って広げた資料を再び丸めようとする男性であったが、大河はそれを直前で咎める。


「いえ、一応記録を取らせてください。ウチにはその手に詳しい万能助手が居ますので――」


「そう、ですか? まぁ、その程度でしたら……」


「ありがとうございます」


 一言礼を告げると、大河は膝立ちになって、資料の真上からケータイで写真を撮り始める。


 そして、粗方撮り終えると、大河はケータイを仕舞い、改めて大村家の当主に頭を下げた。


「この度はありがとうございました」


「いえ、こちらこそ、大したおもてなしもできず、すいません」


「あの、帰り際に一つ、聞きたいのですが……」


「そうですね、ついでですし、構いませんよ」


「ありがとうございます。それではお聞きしますが――」


 改めて座り直すと、大河はキッと目を細め、核心を突くように、渾身の質問を投げ込んだ。


「この家以外に、伝承についての情報がある場所って、この村にありますかね。あるのであれば、行ってみたいのですが」


 すると、先ほどまで比較的朗らかだった男性の顔に影が入り、口元がキュッと締まる。


 そして幾分低くなった声で、ためらいがちに、大河から目をそらしながら答えた。


「……あるにはありますが、そこは現在、禁足地になっているので、無理です」


「あるにはあるんですか?」


 大河の追い打ちをかけるかのような質問に、男性は白髪交じりの頭で小さくうなずく。


「はい。ただ、そこは私有地ですので、勝手に入ることは許されません。もちろん屋敷さんも例外ではないです」


 相手の意思を押さえつけようとするかのような、冷たく、重い言葉。


 その重圧を前に、それ以上食い下がろうなどという選択をできる者はいない。


 結局、大河も悪印象を抱かれる前に去ることにしようと、軽く腰を浮かせていた。


「わかりました。今度こそ帰ります。ただ、禁足地とはいえ、どうしてそのような場所があるのだと私に教えてくれたのですか?」


 ゆっくりと立ち上がり、帽子の角度を整える大河。


 対して大村誠吾は、座ったまま顔だけを持ち上げ、ぎょろりとした目で大河を見上げ、答える。


「――気付かずに迷い込まれては、困るからです」


 男性の放った言葉に、大河は背筋に冷たいものを感じ、思わず顔を強張らせた。


 そして一言、失礼しましたとだけ言葉を残して、大河は客室を後にする。


 客人の足音が遠ざかり、その影が顔面をかすめる。


 そして間もなく、窒息してしまいそうなほどの張り詰めた空気が客室に満ちる。


 その中で、一人残された大村誠吾は、ただじっと、大河が座っていた空間を、光を失ったような瞳で見つめ続けていた。

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