第10話 母の証言

 部屋の探索を終えた大河たいががリビングへと向かうと、そこには窓際に置かれた古めかしいチェアに腰掛け、憂いを宿した表情で外を見つめる依頼人の姿を確認することができた。


 その姿は、高名な写真家が切り出した作品であるかのような、見る者に息を呑ませる空気感を含んでおり、大河もその例にもれず、声をかけることをためらってしまうほどであった。


 そんな光景を前に、前に出ることなどできるはずもなく、大河は自然とリビング内を見回すことになる。


 廊下から見えた通り、リビング内は洋風のオシャレなカフェを思い起こさせるような整然な造りとなっており、生活感を象徴する雑貨も、せいぜい小型のラックの上に置かれた写真立てくらいしかない。


 また、その写真立ての中に飾られているのも、十年以上前のものと思われる、親子三人の仲睦まじい家族写真であった。


 仲が良い家庭であったのだろうことが容易に想像がつく写真。


 だが、それゆえに崩壊した時の衝撃は計り知れないものになることは、アウトローを自称する大河であっても、十分に理解できた。


 そんな大河を仕事モードに引き戻したのは、屋敷やしき探偵事務所の運転手にして探偵助手も務める女性事務員――前原まえはら静穂しずほの聞き慣れた声だった。


「あっ、大河さん。どうでした? 何か見つかりました?」


 SNSやニュースサイトでも見ていたのだろう、静穂は左手に持っていたスマートフォンを仕舞いながら、これまたオシャレなアンティークものと思われるチェアから立ち上がる。


「あぁ、静穂か。残念ながら行方についてわかるようなものは見つからなかった」


「……そうですか」


 現実を突きつける大河の証言に、静穂の声は途端に覇気を失い、返事の声にも落胆の色が如実に表れていた。


 そんな静穂に、大河はあやかのバッグから拝借した手帳を取り出し、かざして見せる。


「――ただ、失踪直前までの動向は粗方わかった。もしかしたら、失踪と何か繋がりがあるかもしれない」


 小学生のするイタズラのような、手のひらを返すように提示された大河の言葉。


 その稚拙さに、静穂は冷え切った感情の回路を入れ直したかのような、甘い怒りのテンションで大河の肩をはたく。


「もう、それならそうと早く言ってくださいよ! 恵子けいこさんは最愛の娘が行方不明なんですよ⁉ 驚かそうとするだけの悪ふざけで依頼者を落ち込ませるなんてもってのほかですよ!」


「だーっ、わかった。俺が悪かったって、だからもう叩くな!」


「――まったく、次からはもうしないでくださいよ?」


「わかってるって……」


 出した手帳を再び仕舞うと、大河は叩かれた箇所をもう片方の手でさすりながら、軽く動かして調子を確認し始める。


「……あら、屋敷さん。どうです? 娘は、あやかの居場所は、わかりましたか?」


 静穂とのやり取りで存在に気付いたのか、依頼人――大西おおにし恵子けいこは、首を大河の方へと向け、力なく尋ねた。


 その姿は、大河が最初に会った時と比較しても明らかに疲弊しており、人間という生き物の、生きる活力が目に見えぬ何かに吸い取られていく様を、まざまざと見せつけられているかのようでもあった。


 大河は、そのあまりにも弱弱しい風体に、言葉を発することを一瞬ためらうも、すぐに脳内のネガティブな思考を捨て去り、無理に作った明るめの声で応える。


「さすがに居場所までは。ただ、手がかりになりそうなものは見つかりました。それを確認するためにも、いくつか質問をさせていただいてもよろしいですか?」


「えぇ、なんでも聞いてください。私にできることであれば――」


「ありがとうございます。では、最初の質問ですが、あやかさんは、大学でどのような研究をされていたのか、ご存じですか?」


「あやかのですか? すいません、ちょっと私には……ただ、卒業研究のためだとかで、今年は割と遠出をしていたと思います」


「なるほど。ちなみに、赤端あかはた村という場所に心当たりはありますか?」


「あかはた? いえ、知りませんけど……」


 意表を突いたかのような質問に、恵子はキョトンとした顔をする。


 すると大河は、その顔に偽りがないことを確信しつつ、すぐさま依頼の本筋に近い質問を投げかけた。


「そうでしたか。わかりました。それでは次の質問になりますが、あやかさんの交友関係について、最近変わったことなどありましたか?」


「いいえ。外向的な子というわけでもありませんでしたし、アルバイトもしていなかったと思うので、特には……それに最近は卒業研究で忙しかったみたいで」


「ありがとうございます。えぇ、次が最後の質問になりますが、私が確認したところ、病院の監視カメラを見た限り、あやかさんは何かにひどく怯えていたようですが、その症状は以前からあったものですか?」


「いいえ。大学の友達と一緒に出掛けた先から、帰ってきてから……何か怖い経験をしたみたいで、それで――」


 静かに首を振る母親の姿に、大河は横目で静穂に合図を送る。


 静穂も大河の意図を汲み取ると、小さくうなずき、そのまま窓際に佇む依頼人へと歩み寄った。


「ありがとうございました。お辛い中、調査に協力してくださって、ありがとうございます、恵子さん。あやかさんのことは、我々が引き続き全力で探させてもらいますので」


「はい……」


 緊張の糸が切れてしまったかのような、人形の眼と言っても過言ではない、依頼人の瞳。


 それを見てはいけないような気がして、大河は素早く踵を返す。


「よし、行くぞ。静穂」


「はい、それでは失礼します。戸締りの方、お気をつけて」


 そう告げると、大河と静穂は、女性の返事を聞き取る間もなく、足早に大西家を出たのであった。

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