第9話 あやかの部屋

「それじゃあ、失礼します」


「はい、よろしくお願いします」


 大河たいがは母親が頭を下げるのを確認した後、軽く2回ほどノックをして、失踪者――大西おおにしあやかの部屋のドアを開けた。


「んっ?」


 大河は部屋の中へ足を踏み入れようとしたが、違和感を覚え、動きを止める。


 ドアの付近は廊下から差し込む光で、床に広がる青色の絨毯を確認することができたが、それ以外の部分は、陰影に染められ、はっきりと視認することはできない。


 それはまるで、獲物を食らわんと待ち構える魔物の口内のような、底知れぬ暗闇だった。


「どうかしたんですか、大河さん?」


 大河が動きを止めたことを不思議に思ったのか、助手の静穂しずほも部屋の中をのぞきこむ。


「うわっ、真っ暗……これ、女の子の部屋、ですよね?」


 心の声を抑えることなく発する静穂。


 しかし大河は静穂の声に反応することなく、何かに引き寄せられるかのように部屋へと足を踏み入れ、照明をつけようとする。


「……んっ?」


 手探りで照明のスイッチを探す大河であったが、手に感じたものが予想していたものと別の感触であることに気付き、思わず視線を向ける。


 そこには、何重にもガムテープが貼られ、切り替えられないように固定された照明のスイッチがあった。


 一瞬、ギョッとした様子を見せた大河であったが、すぐに平静を取り戻し、依頼人の女性へと確認をとる。


「こちらのテープ、剥がさせてもらいますね」


「はい……どうぞ」


 許諾を得たところで、大河はガムテープの端に手をかけ、一気にはぎ取った。


「これで、いくらか見えるだろ……」


 不思議と高鳴る心音を気合で押し留めながら、大河は漆黒に満ちた部屋に光を呼び込むべく指先に力を入れた。


 カチリという音が鳴り、一秒も経たないうちに天井に設置された蛍光灯が部屋の全貌を露わにした。


 ホコリを被った机やラック。


 絨毯の上に投げ出された白いバッグ。


 ずっと中に入っていたのであろう、ベッドの上に隆起したままの掛布団。


 そして、仕事を失ったカーテンの間で、異様なまでの存在感を示している、ガムテープで厳重に目張りされた、一切の採光を許さないという強い意志を感じる、段ボールでふさがれた窓。


 その一見平凡な世界の中にある、一か所だけある異質な存在を目にして、大河はぞわっと身の毛がよだつ感覚に身を震わせた。


「なんじゃこりゃ……」


 推理も憶測もする間もなく、反射的に口から飛び出た大河の言葉。


 それを聞いてか、後について入ってきた部屋主の母親――大西おおにし恵子けいこは申し訳なさそうに、自らの知る限りのことを語った。


「私にもわかりません。ただ、無事帰ってこれたと思ったら、部屋に閉じこもってこんな状況に……それじゃあさすがにマズいと思ったので、何とか説得してクリニックの方に行ったのですけど……」


「そこで、失踪してしまったと――」


「はい、こんなことになるなら、連れ出したりなんてしなければ……うっ、うぅっ」


 感情が噴き出し、その場に泣き崩れる女性。


 その肩に静穂は優しく手を回し、優しい言葉をかける。


「大丈夫ですよ。そのために、私たちが来たんですから。それに、あんな変なシャツを着ていても、大河さんは結構優秀なんです」


「変なシャツは余計だろうが」


「しっ! いいんですよ。さ、恵子さん、向こうに行って、手がかりが見つかるのを待ちましょうか」


「はい……どうも、すいません」


「私は恵子さんのケアの方をしておきますから、手がかりの方、よろしくお願いしますね」


 嗚咽を漏らす恵子をしっかりと支えながら、静穂は最後、大河に目で合図を送ると、そのまま部屋を出ていく。


 一人部屋に残された大河は、静寂に包まれた身体を奮い立たせるべく、一度咳ばらいをした後、物色を始めた。


「まずは……手荷物だな」


 あからさまに投げ出されてある白い小型のバッグ。


 高級ブランドとまではいかないが、デザイン性を重視した造形から、そこそこ値が張るものであることは想像に難くない。


 また、使い込まれた形跡こそないが、土埃のようなものが細部に見られ、自然の豊かな場所へ出かけていたこともわかる。


 大河は傍らにしゃがみ込むと、ひょいとバッグを手に取り、中味を確認する。


「う~ん、やっぱりスマホはないか」


 予想はしていたとはいえ、決定打となる証拠がないことに、大河は頭を掻きため息を吐く。


「ま、無いもんはしょうがないな。で、他に手がかりになりそうなものは――」


 バッグを漁り、中味を一品一品チェックしていく大河。


 しかし、それほど容量のあるものでもないため、確認できるものも財布と小さめの手帳に、小袋に入った状態の菓子、それとバッグから飛び出ていた化粧ポーチくらいのものだった。


「この中だと、手帳か」


 長い脚を畳み、しゃがみ込んだ姿勢のまま、大河は手帳をめくり、これまでの動向を探った。


「えっと、大学の講義に、これは……友達との待ち合わせか。別段変わったことをやってるってわけでも、そういう輩との繋がりもなさそうだな。バイトをしているっていうわけでもなさそうだし、あとはゼミの仲間だが……おや?」


 手帳をめくる手を止め、大河は最後の予定が書き込まれたページに目を留める。


「卒研の取材のために、赤端あかはた村へ……」


 手帳をパラパラとめくり、その後が空白になっていることを確認した上で、大河は手帳をパタンと閉じ、机へと目を向ける。


 机上に並べられた書籍は、よく見ると歴史書や地方伝承、民俗学に関するもので固められていた。


「……なるほど、なんとなく読めてきたな。ただ、肝心の部分がまっさらではあるが」


 その後、周囲を確認し、他に役立ちそうな証拠がないとわかると、大河は手帳をそっと内ポケットにしまい、ゆっくり立ち上がる。


 そして、そのまま部屋を出ようとしたが、何か引っかかるものを感じ、足を止める。


「……ん?」


 何かの視線を感じたような気がして、大河は振り開ける。


 その視線の先にあったのは、厳重に蓋をされた大きな窓ガラスであった。


「これも、調査のため――だからな」


 大河は窓際まで足を進め、目張りしてあるガムテープを剥がし、段ボールごと絨毯の上に投げ捨てた。


「――うっ、やっぱり太陽の光ってのは、まぶしいな」


 突如として飛び込んできた陽光に、大河は目を細める。


 そして、そのまま窓から外の様子を眺めてみた。


「見えるのは、ただの道路だけ……か」


 大河は塀越しに見える、家の裏側に伸びる路地を見下ろす。


 しかし、別段変わった人物の姿もなければ、近所の住人らしき人の姿もない。


「隠れる為なのか、それとも、暗くすることに意味があるのか……」


 ふと生じた正直な疑問を口にする大河。


 だが、その答えを教えてくれる者はいない。


 それから時間にして十秒ほど、大河は屋外の様子を眺めた後、あやかの部屋から出ていくのであった。

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