第6話 院長室にて

 院長室に入る大河たいがを出迎えたのは、資料棚と高級感ある広めの机、気持ちばかりといった様子で置かれた観葉植物に壁に飾られた抽象的な絵画という、実用性のために装飾を極限まで切り詰めたような部屋と、その中央に立つ人のさそうな顔立ちをした、好青年といった印象を持つ、白衣の男性であった。


 ひげをきれいに剃り、髪も黒く短く、決して恰幅が良いとは言い難い体形は、貫禄も薄く、ここが院長室でなければ彼が沙苗さなえ一樹かずきであると見抜くことは困難を極めるに違いなかった。


 そんな若い院長の前に立つと、背後にドアの閉まる音を聞きながら、屋敷は用意してきたあいさつと共に、自らの名刺を取り出した。


「どうも。私、屋敷やしき探偵事務所にて探偵をさせていただいております。屋敷やしき大河たいがと申します。この度は急な来訪を許可していただき、どうもありがとうございます」


「いえ、こちらこそ、遠いところ出向いていただいてありがとうございます。沙苗さなえクリニックにて院長をしております、沙苗一樹です。診察もありますので長い時間お相手はできませんが、できる限り協力はさせていただきたいと思いますので、なんでも聞いてください」


 大河の言葉を受け、院長もまた白衣の内側から名刺ケースを取り出すと、柔和な顔つきのまま、名刺交換を始める。


 そして互いが名刺を受け取ったところで、大河は早速話を切り出す。


「それでは早速。大西おおにしあやかさんについてお聞きしたいのですが、よろしいですか?」


 大河の直球な物言いに、院長はそれまでの穏やかな表情から一転、神妙な面持ちをして、沈んだ声で答えた。


「……えぇ。守秘義務があるので病状等については詳しく言えませんが、できる限りでなら。それでは、そちらの椅子におかけください」


 そういうと、院長は左手を伸ばし、その先にあるテーブルとソファに大河を促した。


 大河は促されるがままソファの前まで移動すると、そのまま大股を開いて腰を下ろす。


「お茶はいかがです?」


「いえ、結構です。長居をする予定ではないので。院長もどうぞ、座ってください」


 お茶を勧める院長に対し、手を突き出して拒否の意を示すと、大河は突き出した手で動線を示して、院長にも着席を促した。


「そうですか。屋敷さんが良いのであれば結構です。では、私も失礼しますね」


 大河の言葉に従い、向かい合うように腰を下ろすと、院長は体の前で手を組み、大河から話を切り出されるのを待つ。


 そして、院長が完全に腰を据えたタイミングで、大河は早速用意してきた質問をぶつけた。


「では、率直にうかがいますが、大西あやかさんについて、失踪した当日について、何か思い当たることはあったりしませんか? 今までと何か様子が違っただとか、これからどこかに行きたいと言っていただとか――」


 大河が問いかけるや、院長は渋い表情を浮かべ、顔を横に振ってみせた。


「いえ、思い当たる節どころか、そもそも受診されてませんから、私どもからは何も言えないといいますか……」


「受診されて、ない?」


 オウム返しで聞き返す大河に、院長は伏せ気味だった顔を若干持ち上げると、前傾になりながら、わずかに興奮した声色で当日の出来事を語り始める。


「はい。私も詳しくは知らないのですが、来院した時は待合スペースに居たみたいなのですが、お母様が診察券を提出しに受付に行って、戻ったらもういなかったみたいです」


「――なるほど」


 院長の言葉に、大河は目を細めると、上着のポケットから手帳を取り出し、何やらメモを取り始める。


「ですが、あやかさんは大学生の女の子ですよね。幼い子供であるならまだしも、彼女が出ていったのなら、誰かしら気付きそうなものですが……」


「おっしゃる通りです。ですが受付は屋敷さんも目にした通り一人体制ですし、仮に正面玄関から出ていったら誰かが気づきます。となると考えられる可能性は、さらわれたということになるのですが、来院される方も顔が知れた方ばかりなので、見知らぬ人が居たら、誰かが証言しているはずなんです」


「つまり、それがないということは、あやかさんが気配を消してそっと出ていったか、あるいは神隠しのように姿を消してしまったか……」


「そういうことになりますね」


 そこまで尋ねたところで、大河は手帳に目を落とし、あごに手を当て考えを巡らせる。


 家出か、誘拐か、それとも迷子か、考えられる可能性をピックアップしていくも、大河の脳裏には、いずれの可能性も低いのではないかという疑念が生じていた。


 そして、パタンと手帳を閉じた後、大河は雑談を振るかのような軽い口調で、院長へと語りかける。


「ありがとうございました。あと、ちなみになんですけど、ロビー付近に監視カメラみたいなの、あったりしますか? あったら確認してみたいんですけど――」


 大河の出した要望に対して、院長は眉をひそめた。


「カメラ……ですか? あるにはありますけど……でも、希望に添える内容ではないと思いますよ」


「構いません。どちらで見ることができますか?」


「そうですね……警備室がありますので、そちらにどうぞ。話は私の方から通しておきますので、一度受付まで戻ってお待ちください」


「ありがとうございます。色々手間をかけさせてしまって、どうもすいません」


「構いませんよ。私も、受け持った患者さんが消えてしまったままでは、落ち着きませんから」


 そう告げて、院長は微笑みを浮かべて見せる。


 ただ、その表情はどこかぎこちなく、無理をして笑おうとしているように、大河には感じられたのだった。

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