第5話 沙苗クリニック

「静穂、これ、もっとどうにかならなかったのか?」


 小型の軽自動車の助手席で、狭苦しそうに膝を折りたたみながら、探偵――屋敷やしき大河たいがは運転手へと、若干いらだった声で尋ねる。


 対して、運転席でハンドルを握る探偵助手――前原まえはら静穂しずほは視線を前へと向けたまま、反論する。


「だって受付の人がこれがオススメですって言ったんだから、しょうがないじゃないですか。それに、そんなに嫌だったら自分で車を買って、自分で運転すればいいでしょう?」


 もっともな静穂の主張と迫力に気おされ、大河は言葉を詰まらせるも、そのまま引き下がるのは癪だったのか、静穂に対し苦し紛れの言葉を返す。


「いや、それは……しょうがないだろ、免許自体がないんだから、車もないし、静穂に運転してもらうのが一番楽なんだよ」


「だったらタクシーで行けばいいじゃないですか。ちょっと遠いところに行くときはいつもいつも私にレンタカーを運転させて……これが軽井沢かるいざわだとか日光にっこうだとか言うんなら、まだいいですけど、都内の移動に使っておいて偉そうなこと言わないでくださいよ」


 その後も、大河への口撃は止まることはなく、まるで今までずっと溜め込んでいた不平不満をここぞとばかりに吐き出しているかのように、静穂の文句は止まらない。


 その姿に、最初は何かしら言い返そうと身構えていた大河も、最後には気まずそうに表情をゆがめ、ついには自らの主張を折る。


「わかった。わかったから、もう言うな。俺が悪かったから、だから黙って運転してくれ」


「……わかればいいんですよ」


 そして再び訪れる、気まずい沈黙の時間。


 しかし元来、寝ている時以外はじっとしているのが苦手な性分である大河にとって、このただ待つだけという時間は地獄に等しいものであった。


 それゆえに、数分前の自分の発言をひっくり返し、静穂へと話しかける。


「なぁ、目的地の沙苗さなえクリニックってどんなとこだ?」


 何事もなかったかのように再び話しかけてきた助手席の人間に、静穂は一瞬むっとした顔を浮かべるが、すぐに諦めた様子で息を吐き、答える。


「……まぁ、いいですけど。私が調べた限りでは、心療系――主にメンタルとかの病気を治療するのがメインの病院みたいですね。院長は沙苗さなえ一樹かずきで、大学病院で十年ほど勤務をした後に独立したみたいですね。クリニックの規模はそんなに大きくはないみたいですけど、患者からの評判はいいみたいです」


「メンタルの治療ねぇ……ってことは捜索対象のあやかって子も、何かしら病気を持っていたって考えるのが自然か」


「その可能性は高いんじゃないですかね。ただ、病気が原因でどこかに消えてしまったって思われるのも無理はなさそうですけどね」


「だよなぁ。でも、だとすると東城とうじょうさんが俺を紹介したってのが気になるんだが……」


「気になるんでしたら、後からまた改めて東城さんに聞いてみたらいいんじゃないですか?」


「……ま、それもそうだな」


「あっ、そろそろ着きますよ。前に一旦停車しますんで、大河さんは先に行ってください。あと、病院の方にはアポまではとってあるんで。聞きたいことがあれば受付までどうぞとのことでした」


 ちらちらと後方を確認しつつ、ブレーキを踏んで車を減速をさせながら、静穂は停車させるのに都合の良い場所を探していく。


「おっ、サンキュー。さすが自慢の助手だな」


「だったらお給料もうちょっと弾んでくださいよ……というのは冗談ですけど。それでも、あまり病院の迷惑になるようなことはしないでくださいよ。後処理が面倒なんで――はい、降りてくれて大丈夫です」


 最後にそう忠告すると、静穂はクリニック前の道路に、車を寄せて停車させた。


「――わかってるよ。それじゃあ静穂は駐車場に車を停めてから合流してくれ」


「わかりました。でも、くれぐれも、問題を起こさないでくださいね?」


 念を押す静穂の声を、大河は聞こえなかったふりをして車のドアを開ける。


 青々とした空は、一切の遮るものがなく、太陽の光も容赦なく降り注いでくるのが肌で理解できるほどだった。


「……っと、いつまでも突っ立ってたら燃えちまうか」


 黒のスーツに黒い帽子、そしてよれよれの黄色いシャツという、見た目にも暑苦しい格好をしておきながら、大河は涼を求める爬虫類のように、そそくさとクリニックの自動ドアへと小走りで駆けていくのであった。



「へぇ……結構広いもんなんだな」


 頭の先端がぶつかってしまわないよう、わずかに頭を下げてクリニックの自動ドアをくぐると、冷房の効いたシャキッとした空気と共に、病院独特の何とも言えないにおいが大河の鼻を刺激した。


 入って最初に目についたのは、こじんまりとした受付と、その前に広がる待合スペースに並べられた革張りのロビーチェアであり、数人の来院者らしき背中が、自らの名前を呼ばれる時を、静かに待ち続けていた。


「……まずは、依頼人からだな」


 手順を確認するように、大河はそうつぶやくと、一直線に受付を向かう。


 受付では、紺色のカーディガンを羽織った事務職らしき女性が、大河の姿を確認するなり、朗らかな笑みを浮かべ、声をかけてきた。


「こんにちは。初めての方ですよね? 診察でしたら、保険証の掲示を――」


「あぁ、いえ。連絡をしていた屋敷探偵事務所の者なんですが」


 会話を遮り答える大河に、受付の女性はすぐさま営業スマイルを取り下げる。


「そうでしたか。それで、聞きたいのはどのようなことでしょうか?」


「えぇ、大西あやかという子についてなんですが……」


 大西あやかという名に、受付の女性は少し考える素振りを見せた後、内線電話でどこかへと通話をかけ始める。


 そして、数回ほどやり取りをした後、受話器を置くと、女性はそのまますっくと立ちあがった。


「お待たせしました。今でしたら大丈夫とのことでしたので、どうぞこちらへ」


「感謝します」


 感謝の意を表した後、大河は帽子を取り、恭しく頭を下げた。


 それを見て受付の女性は、ギョッとした顔を浮かべるものの、それ以上は何も言うことなく、通路に出て、大河を案内すべく、スタスタと歩き始める。


 一方大河も女性がノーリアクションであったことを気にするでもなく、何事もなかったかのように、その背中に着いて病院の通路を奥へ奥へと進んでいく。


 そして、階段を上り、より重厚な雰囲気が漂うフロアの、院長室と示されたプレートの下まで来たところで、二人の足が止まる。


「どうぞ、こちらが院長の部屋になります」


 コンコンとノックをした後、どうぞと返事が来たことを確認し、女性はゆっくりとドアを開ける。


「失礼します。探偵事務所の方がいらしたので、ご案内させていただきました」


 女性の声に背中を押されるように、大河は一人、院長室へと足を踏み入れたのだった。

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