第4話 現場へ
「おはようございま~す」
低血圧を主張するような、力の抜ける静穂のあいさつ。
いつもであれば、それはまだ暗い事務所の空気に虚しく響き、出勤してから行う最初の業務でもある床の掃除に向かうはずだった。
しかし、今日に限っては、放たれたあいさつは虚空に消えるよりも早く、聞き慣れた男性の声となって、静穂を出迎える。
「おー、静穂か。早いな」
声の主――
先ほどまでひげを剃っていたのであろう、大河の右手にはシェーバーが握られており、昨日まで生えていた無精ひげはきれいさっぱり無くなっていた。
「早いって、私はいつもこの時間に出てるんですけど? 大河さんはいっつもソファで爆睡してるから知らないと思いますけどね」
「あー、そうだっけか? まぁいいや、それより今日は現場に行くぞ」
「現場って、昨日の大西さんのですか?」
「あぁ、とりあえず娘さんが消えた現場に行ってみようと思ってな」
入口で立ち尽くす静穂など気にするでもなく、大河はマイペースに、窓ガラスを鏡代わりに、黒い帽子の角度の調整を続ける。
そんな大河に対し、静穂は大きくため息を吐いて自らの不満をアピールしつつ、抗議の声を上げる。
「現場って、事務仕事が残ってるんですけど……」
「そんなの後でいいだろ、そうじゃなきゃ足がねぇんだからよ」
「百歩譲って同行するのはいいですけど、だったらせめて、アイロンをかけた服を着てくださいよ。ただでさえ黒と黄色っていう奇抜なスーツ姿なんですから。私、変人カップルだなんて思われたくはないですからね!」
「誰もカップルだなんて思わないだろ? それより、このスーツは黒じゃなくて、チャコールだ!」
「大差ないじゃないですか。そんなんだからデリカシーがないって言われるんですよ!」
「誰にだよ?」
「私にです!」
そこまで舌戦を交えたところで、二人の抗争はにらみ合いのフェイズへと移行し、緊迫した空気が周囲に漂い始める。
そんな、ハンターと獲物が命運を分ける、一瞬の隙をうかがうような時間が流れて数秒後――苦虫を噛み潰したような顔で、大河が先に折れる。
「8時」
「9時」
「……8時半」
「わかりました。じゃあ、それまでに大河さんは調査の準備の方をしておいてください」
「あいよ」
深くは語らずとも通じ合う――そんな雰囲気を漂わせながら、静穂は颯爽と自らの机へと向かう。
そして、事務作業の準備を始める静穂の方をちらりと見やると、大河は大げさにあくびをしながら、入れ違いになるように、事務所の外へと向かって歩いていくのであった。
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