第3話 依頼人

「あの、本日お伺いすると連絡した大西おおにしですが、屋敷やしき探偵事務所はこちらでよろしかったでしょうか?」


 事務所の入り口に立ち、今にも消え入りそうな暗い表情をしながらそう告げたのは、40~50代とみられる女性であった。


 服装はベージュを基調とした長袖のトップスに、柄物のスカートといった落ち着いた装いで、白髪交じりの髪をしていながらも、どことなく上品な雰囲気が感じられるたたずまいをしていた。


「はい、合ってますよ。お話をうかがいますので、こちらにどうぞ」


 いち早く近づき声をかけると、静穂しずほは大西と名乗った女性を応接用のソファまで案内する。


 そして女性が腰を下ろしたところで、大河の机へと振り返った。


「ほら、大河さん。お客さんがお待ちですよ。早くいらしてください!」


「……あぁ、わかってるよ。すぐいく」


 静穂の呼びかけに対し、すっかり休憩モードだった身体を叩き起こし、大河はすっくと立ちあがる。


 相変わらず黄色いシャツはよれよれで黒いスーツもシワが寄っていたが、180センチはあろうかという高身長と、すらりとした細身の体形は、それらを帳消しにするほどの強い存在感を放っていた。


「どうも、お待たせしました。私、屋敷探偵事務所の屋敷やしき大河たいがといいます」


 長い脚を折りたたみ、依頼人の正面に腰を下ろすと、大河は自己紹介と共に名刺を差し出す。


「これはご丁寧に。以前も申しましたが、私は大西恵子けいこと申します」


 名刺を受け取ると大西恵子と名乗った女性は恭しく頭を下げた。


「それで、今日はいったいどんなご用件で?」


「はい。実は、私の娘が行方不明になりまして……」


「――行方不明?」


 途端、大河は顔をしかめて、前傾の姿勢になりながら女性へと尋ねた。


「それだったら、警察に行った方がいいのでは? ウチみたいな小さな探偵事務所と比べて人手も多いだろうし、情報も集まりやすいでしょうし」


 もっともらしい論理をぶつけると、大河は一旦口を閉じて、女性の回答を待つ。


 大概、大河がこのような返しをすると、依頼人は探してもらえる見込みは薄いと察し、そのまま話を切り上げて帰ることも多い。


 それを認知した上で大河はあえて口にしたわけだが、それは何らかの心理的な交渉術というわけでもなく、ただ単に面倒そうな案件に関わりたくないという、ひどく利己的な理由からくるものであった。


 ところが、女性はわずかに視線を泳がせた後、意を決した様子で大河の顔をまっすぐに見つめ、答える。


「その、警察の方にも言ってみたんですけど、捜索は難しいみたいで……」


「まぁ、そうでしょうね……誘拐されたのかと思って捜査をしたら、実はただの家出で、友達の家にいた、みたいなこともあるみたいですし……」


 同情を装った顔で、女性の話に相槌を打ちつつ話を聞き、大河は続きを促そうとする。


 だが、次の瞬間女性から発せられたのは叫びにも似た強烈な思いであった。


「違います! あの子は――あやかは、家出なんかじゃないです!」


 あまりにも突然の出来事に、大河は目を丸くして固まる。


 また、その背後でも、依頼人へ用意したものであろう、湯呑みと茶菓子の入った容器を乗せたお盆を手にしたまま、静穂もまた驚いた様子で固まり、何事かと恵子へと視線を向けていた。


 まるで時間でも止まってしまったかのように静まり返った事務所内の様子に、女性は我に返り、声量を抑え、謝罪する。


「すいません……でも、違うんです。あの状況でいなくなるなんて、普通じゃ考えられなくて……」


「普通じゃない、消え方をしてしまった……と?」


 大河が確認すると、女性はうなずき、更にここまでの経緯を説明し始めた。


「はい、それで知り合いに相談したんですけど、そういった案件ならこちらの探偵事務所だったら受けてくれるはずだと言われて――」


「ちなみに、相談したというのは、誰に?」


「おい静穂、いきなり会話に入ってくるなって!」


「いいじゃないですか。私だって一応ここの人間なんですし――」


 図々しく言うと、静穂はお盆をテーブルの上に置き、湯呑みを恵子と大河、それぞれの前に並べていく。


 そんな二人のやり取りに、若干困惑した様子を見せながらも、女性は相手の反応をみるように、そっと名前を口にした。


「その、東城とうじょうさん……なんですけど。警察の……」


 瞬間、大河はすべてを悟ったように目を閉じ、顔に手で覆いながら天を仰いだ。


「あぁ、東城さんの紹介か……じゃあ、受けないわけにはいかねぇな」


「ちょっと、大河さん。そういう言い方はお客さんに失礼ですって」


 茶菓子の入った容器をテーブルの中央に置きながら指摘をする静穂であったが、その忠告は大河にとっては馬耳東風であった。


「――ふんっ、いいんだよ。もう受けることは決まってたんだ。それでいいよな、大西さん」


 覚悟を決めたといった様子で正面を向き、大河は覆った手の指の隙間から、依頼人の顔を見据え、尋ねる。


「……はいっ、ありがとうございます、よろしくお願いしますっ!」


 大河の態度が突然変わったことに状況が飲み込めず、一瞬ぽかんとした女性であったが、すぐに事態を受け入れ、感謝の念を述べる。


「よし、それじゃあ早速契約の方、詰めていきましょうか。一応、仕事なので全力は尽くしますけど、大西さんが望むような結果が得られるとは限りませんし、相応の請求はさせてもらいます。それでもいいですか?」


「はい。それを承知の上で、お願いにあがりましたので……」


「それは結構なことですね、それでは次なんですが――」


 ビジネスモードのスイッチが入ったらしく、大河はどこからともなく書面を取り出し、依頼料について確認を進め始める。


 その姿を視認した上で、静穂は静かにお盆を回収し、応接スペースを離れた。


 そして、自分の机まで戻ると、イスにぐっと腰を掛け、頬杖を突きながら、大河の後ろ姿を眺める。


「いつもこれくらいマジメだったらカッコイイのに……」


 話に集中している二人に、ギリギリ聞こえないような小さな声で率直な思いを吐き出す静穂であったが、すぐに首を横に振って思考を切り替える。


「やめやめ。それより、今日のお昼、どうしようかな……」


 そんな平凡な悩みを頭に浮かべながら、静穂は女性が事務所を後にするまでの十数分間を、ただただぼんやりと過ごすのであった。

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