第22話
雨戸れいじと電話をしたその日の夕方、美佳子がアパートに帰る宗一郎を見送りにやってきた。しかし帰るのは夜であると伝えると、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「やだ私ったら恥ずかしい……勘違いしてたなんて……」
「間違いは誰にでもあるから気にするな。良かったら夕飯食べてくか? いつもより一時間ぐらい早いけど」
「良いの? それじゃあ、お言葉に甘えて食べちゃおうかな」
今日の夕飯は豪華だった。郊外にあるアパートに帰るだけなのにと思ったが、せっかく母が手を尽くしてくれた料理なのだから文句は言えない。ただ、量が多い。二人だけでは食い切れないぐらいに。母も「ちょっと作りすぎたわ……」と困っていた。そんな時にちょうどよく美佳子がやってきたのだ。残すのはもったいないし、ぜひ食べてもらいたい。
「美佳子ちゃん助かったわ~。たくさん食べていってね!」
美佳子を家に入れてやると、母は救世主が来たといわんばかりに手を叩いて喜んだ。
「そんな、私なんて大して食べられませんよ」
そんなそんなと謙遜しているが、美佳子の目は豪勢に並んだ手料理に釘付けになっている。美佳子の食事量なぞ知る由もないが、この量に絶句してないから期待通り食べてくれそうだ。
前回の美佳子との食事と同じ席につき、冷めてしまっては美味しくなくなるよねと言いながら、宗一郎と美佳子は次々に料理に手を出していく。家事を一段落させた母も合流して、テーブルを埋め尽くすほどの料理はみるみるうちに減っていった。
三人がかりで料理を平らげ、満腹感に浸る。こんなことを考えるのは縁起でもないが、最後の晩餐に相応しい美味しさと量だったと思う。
「そうだ宗一郎くん、小説はどうなったの?」
きたか。美佳子は友達の行方が気になっているから、どこかのタイミングで聞いてくると思っていた。
「ああ……それが行き詰まってるみたいなんだ。だからもうちょっと待っててくれ」
美佳子にも松末と小説の件は伏せておく。彼女はかなり行動力があるから、迂闊にどの辺で行き詰まってるか喋ってしまうと自分も手伝うと言い出しかねない。
「そっか。応援してるって伝えといて」
「ああ、あいつも喜ぶよ」
「……あのさ、涼子のことなんだけど、ちょっと気になることがあるんだ。前はちょっと勇気が出なくて言えなかったんだけど……」
「気になること?」
「涼子が消えて、警察に通報する前の話なんだけどね……できれば聞いてほしいんだ」
「わかった。まだ終電に間に合うから話してくれよ」
「うん」
*
涼子がいなくなってどうしようって時、家の前で困ったようにウロウロしてる小学生の男の子を見つけたの。
まさか夜に小さい男の子が一人でいるとは思わなくてみんなびっくりしてたわ。私が代表して声をかけてみたら、涼子の家の前で鍵を拾ったから渡したいって言ってきたの。私たちはドアの仕切りをまたいでも消えることはないって、もう一度確認してから外に出たわ。
男の子にお礼を言って鍵を受け取ったんだけど、まだ何か言いたそうにしてたのよね。私はもしかしたら涼子が消える瞬間を見たのかもと思って、男の子に「どうしたの?」って怖がらせないように優しく聞いたのよ。
そしたら、やっぱりその男の子は涼子が消えるのを見たって言ったの。私たちは詳しく聞くことにしたわ。あ、もちろん男の子の両親には許可を取ったからね。
男の子は向かいの家の子で、家族と一緒にクリスマスツリーの飾り付けをしてたんだって。飾り付けが終わって家の中に入ろうとした時、向かいに住んでる女性――涼子が出てきて鞄に家の鍵を入れようとしたのよ。
でも、鍵はポケットに入ることなく落ちてしまった。きっと涼子はポケットに入れたつもりになってたのね。私もたまにここに入れたはずなのにってなるからわかるわ。慣れてくるとわざわざ鞄を見なくても入れられるようになるからね。
それでも、普通なら鍵を落としたら音が鳴るから気付くと思うじゃない。それが鍵が落ちるのと同じタイミングで、クリスマスツリーに飾ってた鈴が落ちて音が掻き消されてしまったのよ。ストラップとか付けてなかったから余計に音が聞こえなかったんだと思う。
だから涼子は鍵に気付くこと車庫に行ってしまった。男の子は鈴を元の位置に戻してから鍵を拾って追いかけたんだけど、その頃には車が発進しちゃって追い付けなかった。
男の子はいったん家の中に入って、涼子が帰ってくるのを待った。しばらくして車庫に車が入ったのを見て外に出たのよ。でも、涼子は家の鍵を持っていて、普通に家のドアを開けた。当然男の子は困惑したわ。じゃあ、自分が持っているこの鍵は何だろうって。
ドアが開いて先に美穂が入っていった。そして、美穂が入っていった瞬間、明るい玄関は一寸先も見えない闇に変化した。男の子は驚いて物陰に隠れて様子を見てたらしいわ。
涼子は疑うことなく一歩踏み出し、あっという間に暗闇に吸い込まれていってしまった。涼子が完全に見えなくなった後は玄関が元のように明るくなり、美穂が悲鳴を上げたわ。
男の子は腰が抜けてへたり込み、しばらくしてようやく体を動かせるようになったところで私たちの前に姿を現したってわけ。
*
「これ、話そうと思ってたんだけど、宗一郎くんが変なのに巻き込まれたらやだなって思って話さなかったの。でも、今は話しておかなきゃって思っちゃったのよ」
「そうか……話してくれてありがとう。小説の参考にしても良いかい? もし嫌だったら黙っておくけど」
「大丈夫よ。前にも言ったけど、小説に採用されて誰かに読んでもらえたら涼子の手がかりが掴めるかもしれないからね」
「わかった。採用してもらえるように俺からも言ってみるよ」
「お願いね」
本当は使われることはないけど、それを言ったら期待している美佳子が悲しむ。理由は落選したってことにする予定だが、気の強い彼女のことだから根掘り葉掘り聞いてくるかもしれない。読ませてほしいと言われる可能性も考えて、自分で執筆しておくとしようか。
「……もう少しで宗一郎くん帰っちゃうのに、こんな暗いと良くないよね。そうだ! これから私の失敗談を聞かせてあげる」
「ああ、そうだな頼むよ。俺も明るく見送られた方が良い」
美佳子が暗い話を吹き飛ばすように、自身の失敗談を面白おかしく話し始める。しかし宗一郎は適当に相槌を打ちつつ、美佳子が話してくれた消えた友達のことについて頭を巡らせていた。
キーマンから受け取った鍵を使ったらどうなるか。
その答えが今出た気がする。美佳子の友達である涼子は家の鍵を落として一人になった後、キーマンと接触したに違いない。場所は車庫か美穂の家の呼び鈴を鳴らす前だろう。
鍵を使って開けた先にある暗闇。ホラーにありがちなのは殺人鬼が住んでいた部屋と繋がってしまう展開だが、殺人鬼が生きていた頃は百年以上前だから確かめられる人はいないだろう。問題は、そこに入ったら何が起きるのかだ。
そんなの殺害されるに決まっている。でも、すぐに殺すわけじゃない。何度も何度もいたぶって、被害者の悲鳴を堪能してから殺すんだ。そして次の獲物を求めて暗闇へと繋がる鍵を渡す。鍵を渡した人にしか効果がないから美穂は助かったのだろう。
生前のキーマンは一人に絞って死ぬまで悲鳴を楽しむのが好きだった。美穂が巻き込まれなかったのはきっとそれが理由だ。
「それでね! 私ったら足元のバナナの皮に気付かなくてー」
「それでどうなったんだ?」
美佳子のお笑い失敗談が続く。なんだか彼女は無理をして笑っているような気がする。
一年以上前に行方不明になっていた人たち、その中に涼子の白骨遺体もあるはずだ。まだ全員の身元がわかってないが、発表されるのは時間の問題だろう。小学生の男の子が本物の鍵を渡せていたら――彼女は助かっていたのかもしれないな。
それを今の美佳子に伝えるのは、やはり躊躇われる。無理をして作った笑顔すらなくしてしまう必要はない。涼子の訃報がわかった時に慰めてやればいいんだ。
「あ、ごめん。もう帰る時間だ」
適当なタイミングで切り上げる。また友達のことで暗い気持ちになってしまったんだし、早めに帰らせたほうが良いだろう。
「そっか……じゃあまた、会えるといいね」
「次も美佳子のドジ話、楽しみにしておくよ」
「もう!」
頬を膨らませて拗ねてしまった。こっちのほうが自然な表情だから好きだ。
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