第20話

『友人の小説の参考に、新しい情報が欲しいんだ。大丈夫かな?』


 最初のメッセージを送って以来、宗一郎と清水は交流するようになっていた。彼は小説の完成を楽しみにしており、たまに進捗を聞かれたこともあったのだが、彼には松末の真実を告げる気はない。楽しみにしている人に真実を言うのは酷だろう。適当なタイミングで不慮の事故に遭ってしまったと伝える予定だ。


 数分後、スマホが震えて「自信はありませんが……」と前置きされたメッセージが送られてきた。


 *


 実はずっとホテルマンの顔に見覚えがある気がしていたんです。でもどこで見たのか思い出せないし、ただの思い違いかもしれなかったのであの小話には載せませんでした。

 直接は会ってないと思うんです。だって、思い出せるのはセピア色の顔ですから。おそらくどこかで写真でも見たんじゃないかなと思うんです。でもカラーじゃないからきっとかなり昔の写真ですね。それこそ百年以上前の。

 すいません、これ以上はわかりません。役に立つような情報じゃなくてごめんなさい。


 * 


 メッセージを読んで、宗一郎は生唾を飲み込んだ。清水はたいした情報じゃないと謙遜していたが、これは大きな発見だ。ついさっきまでホテルマンは被害者の一人で、キーマンに利用されていたんだと思っていたが、キーマン本人の可能性が出てきたからだ。

 スタッフが持ち場を離れている時なら簡単に鍵を渡せる。おそらくターゲットは悲鳴さえ聴ければ誰でも良かったはずだ。清水はたまたまスタッフが持ち場を離れて、さらに周囲に誰もいない時にホテルに入ったから、キーマンに目をつけられたのだ。

 しかしなぜホテルにキーマンがいたのか。偶然で片付けて良いのか……何か、理由があるはずだ。いや、ただの気まぐれの可能性だってある。自分だって『なんとなく』で行動することがあるのだから。


「……くそっ、資料が足りない。清水が見たっていうセピア色の写真……知り合いに警察関係者がいたとかか? これに辿り着くには、やっぱ殺人鬼を調べていくしかないか。まったくなんで警察は隠蔽してるんだ!」


 キーマンの元になったであろう人物――昔の殺人鬼は老若男女問わず誘拐し、殺害をしていた。さすがに生身の体では成人を拐うのは難しかっただろうが、霊体になった今なら関係ない。誰であれ鍵を必要としてる人に渡すのは容易だ。

 だから、殺人鬼を調べられれば大きく進展するはずなのだ。しかし、現代になってもなお隠し続けているせいで、大きな事件のはずなのに一般にはほとんど知られていない。


「うーん……仕方ない、ダメ元で電話してみるか。最終手段だ」


 宗一郎は、件の殺人鬼を題材にした小説を書いた作家に連絡を取ることにした。彼なら執筆に使用した資料を保持しているかもしれない。もし、その中に写真があったら清水に見せてやることもできる。

 ホテルマンの顔と一致したら、明確にキーマンと殺人鬼は結びつく。調査は大いに進展するはずだ。



 急いで図書館で本を借りて出版社に連絡をしてみるが、もちろん断られた。

 しかしめげずに何度も何度も電話をかけ、数日後にようやく作家と面識がある編集に通してもらえた。直接会わせてはもらえなかったが、電話で話すぐらいならと許可を貰えた時は柄にもなく飛び上がって喜んでしまった。

 どうやら作家の方から話してみたいと言ってきたらしい。高齢もあって、人と話す機会が少なくなっていたから、ぜひしつこく会いたがっているという若者と話したいそうだ。


 ここ数日、なんとか作家と連絡を取ろうと躍起になっているうちに母は心配ないほど元気になった。「もう平気だから、宗ちゃんはアパートに帰っても大丈夫よ」と後押しされて、予定よりかなりの前倒し――というか今日の夜にはアパートに帰る手筈になってしまっていた。だから、このタイミングで作家と話せるのは嬉しい。


 嬉しさに震える手を押さえつけてスマホを握る。急に母が入ってこないように鍵をしっかり閉めたことを確認して、相手が出るのを待つ。数秒後、ガチャガチャと音が鳴ってしわがれた声が聞こえてきた。


「雨戸れいじだ」

「もしもし、荻田宗一郎と申します。此度はお忙しい中、時間を作っていただきありがとうございます」

「ああ、気にしなくていい。むしろこちらが話したいと思っていたんだ。敬語もなしだ。堅苦しいのは好きじゃないから、友達と接するように話してくれ」


 ほとんどの老人は年下にタメ口で話されるのは我慢ならないと聞いたが、雨戸れいじはそういった人たちとは考えが違うらしい。随分と変わった御仁だ。


「わかった。じゃあ、さっそく本題に入るけど、率直に、小説で出てきた笑顔の男は実際にいた人物をモデルにしたんだよな?」

「そうだ。俺もまだ生まれていない頃に起きた事件だった。少しだけ祖父から聞いたことがあってね、当時はほんのちいさな子どもだった祖父が、震え上がっている両親を見たのを覚えているぐらいの衝撃だったようだよ。現場は近いし、被害者は子供が多かったからさぞ怖かっただろうね」

「俺は小説を読んでその男に興味をもったんだ。だからネットで検索したり図書館に行ったりしたんだけど……」

「ほとんど資料がなかったんだね」

「ああ。事件が起きた地域はわかったんだけど、事件の詳細は何一つ書かれていなかった。凄惨な事件だから殺人鬼や被害者のプロフィール、殺人の手口ぐらいは見つかるかと思ったんだがな……事件が発生した地域しかわからないのは、どう考えてもおかしいだろう」

「そうだね、俺も資料を探していた時は憤慨したものさ。警察に知り合いがいるからなんとか小説を書けるだけの資料は手に入ったが、この件ですっかり警察が信用できなくなったよ」


 やはり彼も資料集めには苦労させられたらしい。しかしもう昔のことだからか、良い思い出として昇華されているようだ。愚痴にしては声音が明るい。


「それで、できればその資料を貸してくれないかと思ったんだ。もちろん世間に発表はしない。こんなことで警察に目を付けられたくはないからな」

「うーむ……残念な知らせだが、資料は小説が出版された時にほぼ全て処分してしまったんだ。残ってるのはそうだな……写真ぐらいか」

「写真!」


 一番欲しかったものだ。れいじから写真を借りて清水に見せれば、キーマンの正体はわかったも同然になる。


「写真が欲しいのかね。古いしところどころ近所の子供がつけた傷があるがそれでも良いのかい?」

「ぜひ! お願いします!」

「そうか。最速で明日になるが、君の家の住所に送ってあげよう」


 目の前にれいじはいないが、反射的に頭を下げてしまう。


「なんとお礼を言ったら良いか……」

「なに、礼には及ばんさ。むしろお礼を言いたいのはこちらの方だ。こうして若者と話せただけでも老人には嬉しいものよ。歳を取るとどうしても人とは疎遠になるからね。俺はこうした交流を大切にしているんだ。たとえイタズラでもね。そうだ、ついでだから小説には書かなかったことも話そう。きっと君の調査に役立つはずだ」

「何から何まで……本当にありがとう、ございます」

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