第15話

 ニュース映像から目立つ建物を見つけ、ネットの情報を駆使して位置を把握すると、意外と近場に件の家があるとわかった。

 体力が有り余っていた学生時代なら自転車で行けるような距離だ。自転車を処分してしまったから乗ろうと思っても乗れはしないが。


 翌朝、まだ寝てる母に宛てて「ちょっと用事ができたから出かけてくる。夕飯までには帰る」と書き置きを残して家を出る。


 地下鉄に乗り込んで目的の家がある地域へ向かう間、宗一郎は松末の正体について考えていた。最初から、スーパーで再会したあの時から別人だったのか。しかしよく笑うようになったこと、そして敬語を使うようになったこと以外は宗一郎が知っている松末だったはずだ。


 成り代わるといえば――ドッペルゲンガー、スワンプマン辺りが有名どころだろうか。だが、これらは実際にいるのかと問われたら、眉唾ものだと思う。

 そんな不確かな存在を調べるより、現在追いかけているキーマンが松末に化けて自分を騙していたと仮定して調査するほうがずっと良い。キーマンは松末の他に清水も遭遇している。見知らぬ誰かが体験したオカルトや思考実験より、実際に遭遇したことがある知人の方が信頼できる。


 ピンポンパンポーン


 軽快な音が車内に響き、目的地に到着したというアナウンスが流れる。前を歩く乗客と足並みを合わせて車両から降りると、ほとんどの人が宗一郎と同じ方角へ足早に向かっていた。例外は会社に向かうサラリーマンぐらいだ。


(さては野次馬だな)


 自分を棚に上げて宗一郎は嫌悪感を顕にする。少しずつ人々から距離を開け、自分だけはちゃんと目的があってここに来ているんだ、好奇心に身を任せている奴らとは違うんだと言い聞かせる。


 普段は閑散としているだろう住宅街は騒然としていた。先程の野次馬たちに加えて、報道関係者があちらこちらにいるからだ。おかげで目的の家はすぐに見つかった。マスコミもたまには役に立つものだ。家の周りを囲む人たち、警察が侵入されないよう眼光鋭く睨みつけているもんだから非常にわかりやすい。


 まずは表札を確認する。山ほどの白骨死体が出たというこの家の持ち主は一体誰なのか、そしてその住民は生きているのか。「すいません、すいません」と謝りながら前方に体を押し進め、警察にじろりと睨まれながら表札に書かれた苗字を確認する。


「はぁ?」


 思わず声が出る。


『松末』


 表札に書かれている文字が信じられない。


 まさか、ここは松末の家だというのか!


 宗一郎は目をひん剥いて、幻覚でも見ているのではないかと目を強く擦り、もう一度表札を凝視した。何度瞬きしても松末にしか見えない。ご丁寧にルビまで振ってある。


 会社の寮に住んでいるというのは嘘だった。


 これではすべてが嘘っぱちでもおかしくないじゃないか。なぜ最も疑うべきである偽物の松末の言葉を信じていたのか。見た目が松末そのものだから、無意識のうちに彼の言葉は真実だと思っていたのかもしれない。


 ここからは松末が語った情報は捨てたほうが良い。不信感を募らせた宗一郎はふらふらと人混みから離れ、近所の人から話を聞くことにした。松末より赤の他人の、客観的な情報のほうが信じられる。

 宗一郎は新たな情報源として話が好きそうな女性を見据えた。手ぶらで家の様子を見守っているから近所の人だろう。隣人であればなお好都合だ。


「すいません。あそこの家のことなんですけど……」

「ああ、松末さんね。あなた彼を知ってるの?」

「ええまあ昔の知り合いで。テレビを見てたら同じ名前でしたので、ちょっと様子を見に来たんです」

「あらぁ……ご友人が亡くなられて大変でしょう」

「本当にびっくりしましたよ」


 勝手に知り合いから友人にされてしまったが都合が良い。このまま友人として突き通そう。松末のことを知ってる素振りも見せているし、いきなり良い情報を持ってそうな人に出会えたかもしれない。


「松末さん、一年前からパッタリと見なくなってねぇ……ちょっと無愛想だけど礼儀正しいし、困ったことがあったら助けてくれる良い人だったのよ。おばさん、年甲斐もなくトキメイちゃったわ。あ、これは内緒ね。夫にバレたら嫉妬しちゃうから。宥めるの大変なのよ」


 女性はうふふと頬を赤らめて松末との思い出を語る。話好きなのは良いが、放っていたらいつまでも話し続けるかもしれない。宗一郎は主導権を握るために早々に用件を伝えることにした。


「ここに越してきた時の松末ってどんな感じでした? それと、いなくなる前の様子とかも覚えていたら教えてほしいんです。彼とは会社が倒産してから連絡を取り合ってなかったので……ああ、もっと連絡しておけば良かった!」


 大げさな演技をすると、女性は同情心からか「元気を出してください。私が知ってることで良ければ話しますから」と気遣ってくれた。


「あ! 思い出したわ。そういえば引っ越しの挨拶に来た時に前の会社が倒産したって言ってたような。良いライバルがいて、楽しい会社だったらしいわね。もしかして、あなたがそのライバルだったりする?」

「まあ、一応。彼の足元にも及びませんでしたけど」

「やっぱり! 表情が固くていつも機嫌が悪そうな顔してたけど、前の会社の話になると柔らかい顔して嬉しそうだったわ。それから少しずつだけど、誰が見ても笑っているような顔つきに変わっていったのよね。今の会社が営業職だから、お客さんに怖い思いをさせないようにって、毎日鏡の前で笑顔の練習してたんだって! いじらしいわぁ……」

「そ、そうなんですか」


 主婦の情報網はすごい。家の中に監視カメラでも仕掛けてるんじゃないかと思うぐらい、ぽんぽんと松末の私生活の様子が出てくる。


「可愛い子だったのに、一年前から急にいなくなっちゃってねぇ。引っ越したって噂も聞かないから何かあったんだろうと思って、家のチャイム何回も鳴らしたけど出てくる気配……そもそも中に人がいる気配すらなかったわね。後から警察も来たし、きっとおっきな事件に巻き込まれて殺害されてしまったのね……それで最近になって自宅で骨になって見つかったって感じかしら」

「そんな……」

「気を落とさないで。友人のあなたが落ち込んでたらあの子も悲しむわ」

「そうですね、すみません」

「さて、私がわかるのはこんなものかしら。普段の様子だったら会社の人のほうが知っていると思うわ。夜遅くに帰宅することもあったから、この辺の人より詳しいわよ。あ、その会社は近くにあって……」


 女性からここ一帯で有名だという会社を教えてもらい、お礼を言ってから駅の方へ向かう。

 例の会社は駅の側に建っており、一番大きなビルだから一目でわかると言っていた。ここに来た時は人の流れしか見てなかったから、周りの景色まで注視していなかったが、サラリーマンは何人か見ている。その中にこれから向かう会社の人もいたかもしれない。

 ちなみに、社員がひっきりなしに出入りしているから、スーツを着た人がいたら捕まえると良いとアドバイスも貰った。世話好きな女性をつかまえられて良かった。


 *


 ビルはあっさり見つかった。しかし、人の出入りはあまりない。社員の一人が死亡したから営業を自粛しているのだろうか。マスコミ対策で今日は休業している可能性もある。話が聞けるか心配になってきた。

 もちろんアポは取っていない。一番事情を知っていそうなお偉いさんから話を聞くのは難しいだろう。宗一郎は上を見上げて窓から中の様子を見ようと試みた。太陽の光が反射して眩しいが、僅かに揺れる影が視界に入った。社員のほとんどは休みかもしれないが、何人かは事情があって出社しているのだろう。そこに望みを託すしかない。


 宗一郎は近くのベンチに腰掛け、出待ちをすることにした。遅くても退社時間になれば誰か出てくるはずだから、長丁場になるけどそれまで待っていようと決めたのだ。

 傍にあった自販機にお金を入れて缶コーヒーを買う。足を投げ出してだらしなくベンチに座れば、なんだか自分がここの会社の社員になったような気分になる。


 しばらく足をプラプラさせながら缶コーヒーを飲んでいると、もうすぐ空になる頃に一人、スーツの男性が周囲を警戒しながら出てきた。こんなに早く出会えるなんてラッキーだ。宗一郎は一気にコーヒーを飲み干し、缶をゴミ箱にわざとぶつけて男性の注意をこちらに引き寄せた。

 人がいることに驚いた男性は、訝しげな視線を宗一郎に投げかけ、小さく「どういったご用件でしょう」と呟いた。


「自分は松末広宣の知人で……彼がここで働いていたという噂を聞きまして、生前の彼の様子を知りたいと思いここまで来たんです。聞いたことありませんか? 荻田宗一郎って名前」

「荻田宗一郎……ああ、前の会社のライバルみたいな関係だったって言ってました。良かった、マスコミかと思いました」


 男性はホッと安堵の一息を漏らした。やはり被害者が働いていた会社だから報道関係者を警戒していたようだ。


「松末のことをご存知で?」

「ええ、知ってますよ。それなりに仲は良かったと思います」

「前の会社が倒産して以来、彼とは連絡がつかなくて……それで今までどうしていたのか、持っていた携帯はどうしたのか知りたいんです。あいつ、何も言わずに連絡を絶って……おまけに知らない間に死んじまって……ああ……すみません」


 ハンカチで涙を拭うフリをする。


「いえ、気持ちはわかりますよ。親しい人が亡くなると悲しいですよね。で、携帯なんですけど、心機一転で頑張りたいから、前の会社を思い出す物は処分するって入社早々言ってましたね。いやぁ、本当に実行するとは思ってなかったから驚きましたよ。しかも誰にもそのことを言わなかったって……あ、でも後から後悔してましたね。せめてお世話になった人には連絡しておけば良かったと」

「携帯を処分って……会社的に連絡できないって不便じゃないですか?」

「うちには会社支給の携帯があるんですよ。だから連絡が取れないってことはないんです」


 携帯は会社支給というのは本当の話だったらしい。嘘の中に真実を隠すというのはよくある手段だ。


「ところでこれからは帰宅を?」

「ええ、本来はまだみんな残っている時間ですが、僕はちょっと遠いところに住んでいるので先に上がらせてもらっているんです。その代わり、他の社員以上にしっかり仕事をこなさないといけませんが。失敗したら信用に関わるので毎日ヒヤヒヤもんですよ」

「引っ越しとかは考えてないんですか?」

「うーん……一時期は考えたんですけど、このへんはけっこう高くて。僕の給料だとギリギリなんですよ。会社が社員用の寮を用意してくれたら嬉しいんですけどね」


 やはり寮の話の方は嘘だったと改めて実感する。これは一軒家で表札を確認した時から疑問の余地はなかったが、この男性の話を聞いて確信に変わった。

 どうして会社の寮に住んでいると言ったのか――きっと一軒家に住んでいると言ったら詮索される可能性があったから避けたのだろう。


「松末がいなくなった時期はわかりますか?」

「ちょうど一年前ですね。珍しく無断欠勤したからちょっとした騒ぎになったんです。電話は繋がらない、家に行ってチャイムを鳴らしても無反応。松末の親戚は全員亡くなっているから、代わりに会社から行方不明届を出したんですよ」

「家に行った時に……その、死体は見つからなかったんですか?」

「不思議なことに何も。行方不明届を出した時に警察が家宅捜索したんですけど、怪しいところは何もなくて、昨日まで普通に暮らしていたような感じだったらしいです。だから、松末の家で大量の白骨死体が出てきたって聞いてびっくりしましたよ。それに、ほとんどが骨になっていたとはいえ、あんなに死体があったのならどこかで腐敗臭が出ていたはず。なのに近隣の住民が一年以上も気が付かないなんて……そんなことあり得るのでしょうか? まったくもって不可思議です」


 あの家には人知を超えた何かがある。宗一郎は薄ら寒さを感じずにはいられなかった。不意に、これ以上踏み込んではいけないと頭の中で警報が鳴り響く。それは強く、宗一郎に警告していた。

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