第14話
それから、殺人鬼の調査は一向に進まなくなってしまった。松末の言う通り怖気づいてしまったのだ。松末から意気地なしと罵られても仕方がないほど、宗一郎の心は思っている以上に恐怖に支配されていた。
恐れてしまう何かが起きたわけではない。実行したのは松末であって、宗一郎はただ見守っていただけなのに、どうしてこんなに恐怖心が内から湧き出てくるのか、まったく検討もつかない。
この二週間、宗一郎は何も手につかず悶々とした日々を過ごしていた。もちろん母の前ではそんな姿を見せるわけにはいかないが、時々気遣うような様子を見せていたから気付かれていたかもしれない。
窓から外を見やると、辺りはオレンジ色に染まっていた。そろそろ松末と飲む時間だ。こんな自分を見せるのは気恥ずかしいが、一人でキーマンと接触を図ったであろう松末の安否も気になる。あの様子だとキーマンに出会うまで鍵を落とし続けてたはず。彼の無事を確認するためにも、鉛のような足を引きずって外出した。
*
のんびりと居酒屋が立ち並ぶエリアの入り口まで歩く。今回も松末のおすすめするあの居酒屋になるのだろうか。あの店の裏手でキーマンと接触しようとしたからできれば避けたい。
そういえば今まで松末の行きつけばかりだ。今日ぐらいは自分のおすすめの居酒屋に案内してやろう。
宗一郎おすすめの居酒屋は入り口の近くにあって、看板も大きいから遠くからでもよく見える。ただ、目立つ上に安上がりだから迷惑をかける馬鹿な客が来ることがよくある。料理は安い割に美味しいし、お酒の質も悪くない。客層だけが良くない居酒屋なのだ。
会社帰りのサラリーマンが増える。スーツ姿の人間が肩を落としながら宗一郎の目の前を通り過ぎ、そのうちの何人かは居酒屋へと吸い込まれていく。「おつかれさま」と心の中で呟いておく。
サラリーマンの波、第一波が過ぎた。もうそろそろ松末が来るはずだ――しかし、サラリーマンの群れが落ち着いてもなお松末は現れなかった。いつもの時間からすでに三十分が過ぎている。仕事が長引いているのだろうか。こういう時に連絡手段がないのは不便だ。今年中ではなく、今すぐ契約してこいと言ってやろうか。
「遅すぎだろ……」
つい、声が漏れる。あれから更に十分ほど待ってみたがまったく現れる気配がない。一体何をしているのか。保険の営業は遅い時間までやることはないはずだ。客商売だから客の迷惑になるような時間帯にまで訪問しないだろう。
イライラが募って足が小刻みに揺れる。宗一郎は居ても立っても居られず、松末を探すために近場を散歩することにした。
痛いほどギラギラとしたネオンに目を細めながら、宗一郎はふとブラック企業と化した飲食店のことを思い出していた。
以前の店長が体調を崩して入院することになり、代わりに頑固そうなおじさんがやってきた。今の時代にそぐわない根性論、従業員のことを考えない無茶なシフト。瞬く間に優秀な人材が離れ、おじさんに迎合したサボり魔だけが店に残ってしまったのだ。
「君がいなくなったら困る」
辞表を出した時の言葉だ。優しい人なら「じゃあ、ちょっとだけ……」と言ってしまうかもしれない。だが、宗一郎は自分の身が一番大事だと思っているから、躊躇うことなく大事な仕事だけを引き継ぎして辞めた。収入がなくなったのは痛いが、世の中には選ばなければ何かしらの仕事はある。
タイミングも良かった。仕事を辞めてすぐに父が亡くなったので、母のケアをするための時間が取れたのは大きい。もしもまだあの店で働いていて、父の葬儀にも出れなかったら母も亡くしていたかもしれない。
包丁を手首に押し当てていた母の姿を思い出す。あんな騒動もう二度と体験したくない。危うく警察沙汰になるところだった。飲食店をスッパリ辞めて良かった。自分が気付かぬうちに母まで亡くしていたと思うとゾッとする。
「あの店、今頃どうなってるんだか……」
おじさん店長が心を入れ替えていたら従業員は離れていかないと思うが、頭が凝り固まったおじさんでは難しいだろう。酷使されている従業員を思うと、さっさと潰れたほうが良いのかもしれない。店を愛していた前の店長には悪いが。
「なんだ?」
飲食店のことを思い出しながら夜の街を散歩していると、若い人達が足を止めてスマホの画面を覗いている光景が目に入ってきた。そして不愉快そうに眉を寄せ、口々に「怖い」と呟いている。
大きい事件が発生したのだろうか。宗一郎は適当な店の壁に寄りかかってスマホの電源を入れた。ニュースの概要を知るにはSNSが一番だ。アプリを起ち上げて日々のニュースを取り扱っているアカウントにアクセスする。
アカウントの一番上にコメントや閲覧者数が桁違いの記事がある。
昨晩、東京にある一軒家で大量の死体が見つかったらしい。ほとんどが白骨化していたが一部はまだ新しくて、それらが腐敗臭を出して発覚したようだ。見つかったその日ではなく、一日経っての発表に疑問を感じつつも更に詳しく調べていく。
「相変わらずマスコミは被害者の名前を出すなぁ……」
行き場のない憤りに舌打ちをする。
「――は? 松末?」
判明している被害者一覧の中に『松末広宣』の名前があった。持ち物からの判断で確定ではないらしいが、同姓同名の別人――しかし、年齢も一致しているから他人とは考えられない。
別のニュース記事も漁る。一つの記事だけで判断するのは良くない。様々な報道関係のニュースを読んでいると、一貫して主張している内容があった。
「……一年以上前のが多い?」
どうやら腐乱していたのは二、三人ぐらいで、ほとんどが一年以上前に死亡しているらしい。中には昭和以前の骨もあるようで、詳細な年代は鑑定が終わってから発表されるそうだ。
宗一郎は走って居酒屋エリアの入り口まで戻った。そこで松末に会えれば同姓同名の別人だとわかるのだが――入り口に見知った顔はなかった。
松末が、死んでいる?
そんなまさか、信じられない面持ちで三十分ほど待ってみたが、とうとう松末は現れなかった。ニ、三人の腐乱死体――松末は何日か前に殺害されてしまったのだろうか。
*
実家に戻ると母が件のニュースに釘付けになっていた。人が亡くなるニュースを見て大丈夫かと心配したが、大量の死体に現実味がないらしく、いまいち事態を把握していないようだ。
「そうそう、被害者の中に松末って名字があったけど、もしかして、宗ちゃんがいつも飲んでる人かしら?」
「いや、違うよ。あいつは元気だった」
「たまたま同じ名字だったのね。知り合いと同じだとドキッとするわよねぇ」
「俺も一瞬ビックリしたよ」
母は松末の下の名前を知らない。それが幸いした。嘘を付くのは好きではないが、身近な人間が死んだとなれば動揺してしまうだろう。あまり松末のことを話さなくて良かった。
しかし、宗一郎の心は家に帰ってもなお荒波だ。帰り際も様々なニュースを見て情報を集めた結果、見つかった骨のうち数人はテレビや新聞で「探しています」と報道されたことがあるとわかった。
その情報を得てすぐに昔のネットの記事を漁ったら、十代の少女、二十代後半の男性、認知症になっていた女性など、忽然と姿を消した人のニュース記事がいくつか見つかった。
いつもはそんなのサラッと見て流していたが、数日前に行方不明になった松末なら名前があるかもしれない。テレビから視線を外し、スマホで行方不明者のニュースを探してみたが、大手のニュースサイトでも見つけられなかった。
ニュースになっているのは美男美女やお偉いさんが多い。松末は平凡でどこにでもいそうな容貌をしているから、記事にすらならなかったのかもしれないなと落胆する。
「腐乱死体の身元が判明しました……」
ニュースキャスターの悲痛な声と共に、被害者の名前が告げられる。腐乱死体は三体あったが、どれも女性であることがわかった。
驚きの声を飲み込む。
では、一緒に飲んでいたあの松末は一体誰だったのか?
今すぐ真相を突き止めたい衝動に駆られる。手がかりは白骨死体が出てきた一軒家だけ。マスコミが家の前で中継を繋いでいたので、周辺の建物からある程度の位置は把握できそうだ。明日は早くその現場に向かわなければ。宗一郎は詳しい位置を知るために録画の準備を始めた。
フリーで良かったと実感する。働いていたら朝早くから調査なんてできなかったのだから。
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