第13話

 美佳子の実体験を聞いてから、宗一郎は一層資料集めに励んだ。次の飲み会までの課題であるキーマン誕生秘話――相変わらず生前のキーマンと仮定している殺人鬼に関する資料は見つからないが、想像して理由をつけることはできる。参考にと読んだホラー小説の主なパターンは「強すぎる想いが幽霊にする」「不思議な力を持っていた人が幽霊になる」「人間の魂の集合体」である。

 最初はこの三つの案の中から選んでもらう形にしていたが、はっきりと自分なりの理由をつけた方が良いと思ったのだ。少しでも完成に近づけるのが、美佳子の友達を見つける手助けにもなるはず。


 採用したのは最初に書いた「強すぎる想いが幽霊にする」だ。不思議な力を持つ人間だと一気にファンタジー感が強くなって実体験を元にした小説とは思えなくなる。そして魂の集合体ではキーマンの『個』が薄くなってしまう。

 この小説において、キーマンは絶対的な強さをもっていてほしい。脅威度が高く、実際に存在していそうな霊であればあるほど読者の関心を引く。「もしかして、あの時のアレは……」と思い出す人もいるかもしれない。ここまで上手くいくとはさほど思わないが、可能性はゼロではないはずだ。



 前回から二週間後の土曜日。いつものように居酒屋が立ち並ぶエリアの入口で待ち合わせをし、今回も松末のおすすめの居酒屋へ入る。今日は松末と再会した日に入った、居酒屋街の一番奥にある『おつかれさま』で飲むことになった。


「今日は前より人が少ないな」


 店に入った直後は時間が早かったこともあり人が少なかったが、トイレに行くために部屋を出た時はいつ入ってきたのだろう、すれ違ったら肩と肩がぶつかるんじゃなかと思うぐらいの人で溢れていた。


「あの日は特別だったんですよ」

「特別? 何があったんだ」

「店主の誕生日です」

「てことは、あの日はほとんどの客が店主の誕生日を祝ってたのか」

「そういうことになりますね」

「お前は良かったのか?」

「荻田さんがいましたからね。さすがに元同僚を放って祝いに行けない。あ、後日祝ったので気にしなくて良いですよ」


 客に誕生日を祝われる店主とはどういう人なのだろう。人格的で、気前の良い、そして端正な顔立ちのイメージ像が出来上がる。


「ところで、荻田さんはいつまで実家にいるんですか?」

「おふくろがだいぶ落ち着いてきたから、来月の中旬頃にアパートに戻ろうと思ってるんだ。……掃除のことを考えると帰りたくないんだがな」

「ほこりって使ってなくても増えていきますよね」

「ほんとちょっと留守にしただけでも溜まっていく嫌なやつだよ」

「毎日の掃除が大切とは言いますけど、実際そんな暇ありませんしね。それはそうと、まだアパートには帰らないんですよね」


 松末の目がキラリと光る。どんなに鈍い人でもすぐにわかるぐらい嫌な雰囲気を出していた。


「おっと何を考えてる?」

「危険なのは承知だ。でも、リアリティを出すならもう一度体験したほうが良いんじゃないかと思ったんだ」

「は? お前、俺には危険ですよーとか言っときながら自分は危ないことするってか!」

「返す言葉もない。もちろん死にに行くような真似はしない。だからこうして話したんだ」

「ハァ……で、俺に何を頼もうと?」


 松末がポケットから古めの鍵を取り出す。


「キーマンが鍵を渡していなくなったら、すぐに本物の鍵――これ、僕が勤めている会社の寮の鍵なんですが、これを僕に渡してほしいんだ。キーマンの鍵は使わなければ害はない。僕はキーマンの顔をよく観察したいだけなんだ」

「幽霊の描写で悩んでいるのか」

「ええ。初めて遭遇した時にもっとよく見ておけば良かったと後悔してるよ。あの時は鍵をなくして慌ててたからな」


 こちらも調査が滞っているから、キーマンに会えたら進展がありそうだ。顔を確認して、殺人鬼の顔写真も見つけられれば両者が結びつくかもしれない。たとえ違ったとしても今の状態よりは前進するだろう。


 あの事件は隠し事が多い。凄惨な事件だったから配慮されているのだろうが、あまりにも資料が少なすぎる。もっと一般市民でも気軽に閲覧できる資料があってもいいだろうに。

 そう考えるとこれは魅力的なお誘いだ。たしかに松末の言う通りキーマンから受け取った鍵を使わなければ問題はない。


「実行日は?」

「明日はどうです?」

「ああ、大丈夫だ」

「決まりだな! じゃあ人がいないところ……居酒屋エリアでどうでしょう? 昼間なら人は少ないはずです。どこかの店の裏手なら誰にも見られずに出来ますよ」

「この店の裏はどうだ?」

「ああ、良いですね。じゃあ明日の昼、この店の前を集合場所にしましょう」

「なら、今日は遅くまで飲むのは止めとくか」

「お酒が残っていたら大変だからな。特に二日酔いは危険だ。頭が痛くてキーマンどころじゃなくなる。今日は日付が変わる前に解散しますか」

「そうだな。あ、キーマンの描写に力を入れるのも良いが、ほら、まずは俺が考えたキーマン誕生秘話を読んでくれよ」

「ああ、すっかり忘れてました。そういえば僕が考えてほしいって言ったんでしたね」

「しっかりしてくれよ……」

「まあまあ、二週間も経てば忘れもしますよ。これは帰ってから読みますね。今はお酒を楽しみましょう」


 *


 翌日、昨夜決めた予定通り『おつかれさま』の前に集まる。この辺は昼であっても薄暗さが残る。幽霊に遭遇するには最適な場所だ。もっとも、キーマンにとっては場所や時間などは関係ないだろうが。


 電柱の影に隠れて松末を見守る。鍵が地面に落ちて周囲に音が響いたが、松末は素知らぬ顔で店の裏手へと姿を消す。松末の背が見えなくなってすぐ、落とした鍵を拾って追いかける。松末はキーマンと接触できているだろうか。

 ドッドッドッと動悸のような音が心臓から鳴っている。松末の後ろ姿が視界に入り、近くにあった生ゴミ用のゴミ箱に身を隠す。キーマンがいなくなったらすかさず渡せるようにギュッと鍵を握る。


 十分、十五分と時間が過ぎていく。キーマンが現れる気配はない。


「出てきませんね……荻田さんが隠れてるってバレているんでしょうか?」


 松末が宗一郎が隠れているゴミ箱の方を見る。それを合図にゴミ箱の影から姿を現す。ちょっと生臭さが服についたかもしれない。


「もう一回やってみるか?」

「そうですね。じゃあまた店の前で鍵を落とすので、今度は五分ぐらい待ってから拾って追いかけてきてください」

「よし、やるぞ」


 もう一度店の入口に戻り、松末が鍵を落とすのを今度は電柱よりさらに離れたところで見守る。鍵が落ちたのを確認し、スマホを適当に弄りながら五分間待ってから鍵を拾いに行く。落とし主を探している風を装い、ゆっくりとした足取りで店の裏手に回る。

 厨房から揚げ物の匂いが漂ってくる。こんな美味しそうな香りを嗅ぐとお腹が心配になる。間抜けな音が響いたらこの緊張感は台無しだ。気を引き締めねばと、お腹に力を入れる。


 今度こそ会えるだろうか。僅かな期待が膨れ上がるが、心のどこかではこんなに露骨だと警戒されて姿を現さないんじゃと思っている。


 松末の背が見えたので「おーい」と声をかける。ここまで誰ともすれ違っていないし、松末も誰かと話している様子はない。やはり会えなかったのだろう。ほんの少しがっかりしている自分がいる。僅かでも期待はするもんじゃないな。


「ああ……荻田さん」

「今回も駄目だったな。どうする、まだ続けるか?」

「とりあえず日が暮れるまでやりましょう」

「そんなにか!」

「ええ、まだまだ諦めません。付き合ってくださいよ、暇なんでしょう?」


 暇なのは確かだからぐうの音も出ない。宗一郎は仕方ないと諦め、松末が満足するまで付き合ってやろうと決めた。今日はこの検証が終わった後にまた資料探しをするつもりだったが、松末のやる気っぷりを見るに日が落ちるまで続きそうだ。



 数時間後、こまめにシチュエーションを変えて鍵を落としてみたが、結局キーマンが現れることはなかった。辺りが暗くなり、ポツポツと居酒屋が灯り始める。早めに仕事が終わって浮かれているサラリーマンも目につくようになってきた。遠目でもわかるスキップになんだか腹が立ってくる。


「さすがに不審がられるな」

「……今日はここまでにしますか」

「そうだな。……なぁ、やっぱ止めないか? キーマンには会いたいけど、相手は人間じゃないんだ。何かあった時じゃ遅い」


 疲労から思わず弱音が漏れる。しかし、これ以上踏み込むのは危ないのは事実だろう。相手は人間じゃない。出会った瞬間に殺される可能性だってある。

 松末のキーマン探しに付き合っていくうちに頭が冷静になったのだ。「早く止めて逃げないと碌なことにならないぞ」と、脳裏で警報が鳴る。これは無視してはいけない気がする。


「ビビってるんですか?」

「そうだな」

「なら無理に付き合わなくても良いぞ。僕一人でやりますんで」

「そういうわけにも……!」

「ちょっと考えたんですけど、もしかしたら一人でいるのが条件の一つなんじゃないかと思うんです。僕も清水さんも周りに誰もいない時に遭遇してるからな」

「松末!」


 思わず怒鳴りつける。


「怒っても止めませんよ。これで止めるのは幼い子どもだけです」


 無茶をしそうになる松末をなんとか説得しなければならない。しかし、松末は踵を返して居酒屋街の入り口へと向かっていく。聞く耳は持たないという意思表示だ。


「おい、松末! 危ないから本当に止めろって!」

「何度言っても聞きませんよ。まあ、のんびり待っていてください。次の飲み会で成果を披露してやりますよ。……だから荻田はこれ以上突っ込むな」

「ええ?」

「それじゃあまた二週間後に会いましょう!」


 一瞬、宗一郎がよく知る眉間にシワを寄せた表情になるが、すぐに営業スマイルの顔に戻ってしまった。そしてこれ以上話すことはないと言うように、松末は「それじゃあ」と片手を上げて走り去ってしまった。

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