第11話

 眠りに落ちるまでの間、宗一郎は微睡みの中でキーマンの誕生理由を考えていた。きっかけは飲み会の帰り、松末からの申し出だった。


「ああ、そうだ。おかげで物語の流れはほとんど決まりましたが、キーマンの設定は全然考えてないんです。申し訳ないんですけど手伝ってくれませんか」

「設定って……お前の体験通りで良いんじゃないか?」

「それはそうなんですが、キーマンが誕生した理由まではわかりません。だからここは自分で考えるしかないんですよ。もちろん僕も考えますが、案はできるだけ多いほうが良いでしょう。荻田さんは実際のキーマン――だと思われる殺人鬼を調べるんですよね? なら、彼がキーマンになった理由もいずれ発見するかもしれない。それを教えてほしいんだ。あ、わからなかったら荻田さんなりの理由でも良いですよ。期限は次の飲み会まででどうだ?」

「まあ頑張って調べてみるが、あまり期待しないでくれよ。誕生の理由なんて本人にしかわからないんだから」

「参考にする程度なので端から期待はしていません」

「言ってくれるなぁ」


 そこまで言われちゃあ黙っていられない。まずは寝て、体力を回復させてから事件について調べよう。たとえ見つからなくても松末を唸らせるような案を披露してやろうじゃないか。いっつも笑ってるあの顔を驚愕の表情にさせてみたい。

 宗一郎は心の中でひっそりと気合を入れて、起きた後の行動を考えながら眠りに就いた。


 *


 キーマンはどこからやってきたのか。スッキリと目覚めた宗一郎は、さっそく図書館でホラー小説や猟奇事件に関する資料を漁ったが、『莞爾と笑う殺人鬼』に書かれているあとがきの通り、元になった事件に関する資料は見つけられなかった。そもそもあまり期待してなかったのでこれは想定内だ。

 いったん現実の資料は諦めて、今度は自分なりの誕生理由を考えることにした。まずは自分の考えを確立しようと手当り次第ホラー小説を読みはじめた。すると、悪霊になるパターンを三つ見つけられた。


 一、強すぎる想いが幽霊にする。

 二、不思議な力を持っていた人が幽霊になる。

 三、人間の魂の集合体。


 もちろんこの三つに該当しないパターンもあるが、それは状況が特殊である場合が多いので、キーマンが以上の三つの条件に当てはまらなかった時に考えることにした。


 どれが一番可能性があるか――やはり強すぎる想いだろうか。殺人犯といってもただの人間だから不思議な力を持っていたとは思えないし、被害に遭った人達の魂が集まって誕生したとも思えない。被害者が殺人犯と同じことはしないだろう。仮に自身が被害者だとしたら、自分を殺した相手と一心同体になるのは嫌だ。


 小説では殺人鬼は人の悲鳴を聴くのが好きだと書いてあった。さすがに悲鳴を聴きながらダンスをしたとか、録音して目覚まし時計の代わりにしたとかは作者の想像だろうが、苦痛の声を楽しんでいたのはなんとなくではあるが、事実だと思う。まだ楽しみたくて、幽霊になってまで犠牲者を求めた――と考えるのが自然だろう。


「そういや実際に鍵を使って帰ってきた人っているのかな……」


 ふと、気になってしまった。松末も清水もギリギリのところで回避しているから、扉の先がどうなっていたのかわからない。中に入って出てきたという情報は一切ないから二度と帰ってこれないのだと思うが、生きて彷徨い続けるのか、入った瞬間に死んでしまうのかは不明だ。

 物語の展開では生死不明エンドということになったが、現実は入ったらすぐにキーマンによって殺されてしまうというのではないか。

 想像するとあまりにも惨い状況に気分が悪くなる。もし、扉の先に行った人がいるのなら生きていてほしい。


「でも生かして世話してるとか、そんな優しいやつならそもそも幽霊になってまで現れないよなぁ。殺人鬼がキーマンの正体だとして、今も人の悲鳴を求めて連れ込んで、散々いたぶった後に殺してるって考えるのが妥当だな」


 ハァーと息を大きく吐いて立ち上がる。とりあえず今日はホラー小説でよくある設定を調べられただけでも御の字だ。役目を果たした本を返却し、まだ読み終えてない本を借りて帰ることにした。


 *


「生死不明が良いとは言ったが、実は被害者は全員死亡していたって判明するのも好ましい展開だな……メインキャラは二、三人巻き込まれて死ぬ……過去には大量の被害者がいるっていうのも良い。その人たちは行方不明のまま骨すらも見つからなかったが、つい最近とある家で白骨死体として出てきた……とかどうだろう。今度提案してみるか」


 家に帰ってからは借りてきた本を読みつつ、好きなホラー展開を考えることに没頭した。キーマンの誕生理由がわからなかったら宗一郎なりの理由を考えなくてはならないからと、本腰を入れてはじめてみたが、誕生理由を考えるより、他の設定を考える方が思っていたより楽しい。これが一つでも採用されて、万が一大ヒットしたら誰彼構わず自慢してしまいそうだ。


「ただいまー!」


 松末の小説が大ヒットした妄想を楽しんでいると、母の大きな声が聞こえてきた。図書館に出かける前に夕食のおかずが足りないから買いに行くとメモが置いてあったが、買い物にしては長かったのでどこかで寄り道でもしてきたのだろう。


「あら、午前中に行ったはずなのにもう夕食の時間になりそうじゃない。ちょっと喋りすぎたわね」

「おかえり。知り合いに会ったのか?」

「うん。久しぶりに会ったからつい話し込んじゃったのよ。昨日帰ってきたみたいで、夕食に招待しちゃった」

「……誰のことを話してるんだ?」

「あらやだ言い忘れてたわ。お隣の美佳子ちゃんよ。昔はよく一緒に遊んでたわよね。覚えてる?」

「覚えてるよ。昨日帰ってきたって、どっか行ってたのか?」

「海外に行ってたのよ。日本に戻ってくるのは二年ぶりだって」

「へぇ」


 夕食の準備をしながら幼馴染の美佳子に思いを馳せる。肩まで伸ばした髪を揺らしながら公園で鬼ごっこをした姿が記憶が鮮明に残っている。たしかあれが最後の鬼ごっこで、数日後に中学生になってからはお互い妙によそよそしくなった。一緒に遊ぶことはなくなり、ただ遠くからぼんやりと彼女の様子を眺めていた。もちろん話しかけられれば普通に対応したが、つい最近まで仲が良かったにしては他人行儀だった気がする。


 高校からは別々のところに通っていた。隣に住んでいるとはいえ滅多に顔を合わせることはなく、二人は偶然出会うこともあまりないまま大人になってしまった。二十歳を機に、宗一郎は東京郊外のアパートに引っ越しをし、美佳子はいつの間にか海外に行っていた。だから会うのは数十年ぶりだ。何を話せば良いのか、そもそも宗一郎のことは覚えているのか。一気に不安が押し寄せ、夕食の準備にまったく身が入らない。


 気持ちが整わないままチャイムが鳴る。母が「はいはーい!」と元気よく玄関に向かってすぐに「お邪魔します」と落ち着いた声が聞こえてきた。

 入ってきた人物を足元からゆっくり見上げると、よく知った肩まで伸びた髪が目に入り、あの頃から大人びたが、当時の面影を残した美佳子が立っていた。


「こんばんわ宗一郎くん。大きくなったねぇ!」

「こ、こんばんわ……久しぶり……」


 覚えていてくれた。何十年も疎遠だったから忘れられていると思ったが、つい最近まで一緒に遊んでいたんじゃないかと錯覚するぐらい親しげに挨拶をされた。宗一郎は不自然に吃ってしまった自分に恥ずかしさを感じる。


「さささ、座って座って。お夕飯もう出来てるからね」


 美佳子が母に促されて椅子に座ったので、宗一郎もいつもの席――ではなく、美佳子の右斜めの椅子に座る。普段宗一郎が使っているところに座ると、美佳子と向き合うことになってしまう。大人になってかなりの美人になった美佳子を直視できないのだ。


「あら? そんなとこに座るなんて珍しいわね」

「きょ、今日は人が多いから、お皿が増えるだろ。いつも俺が座ってるとこは調味料が置いてあって狭いだろ? 皿を取るの大変なんだよ。肘がぶつかったら危ないし」

「確かにそうねぇ」


 稚拙な言い訳だったが、なんとか母を誤魔化せた。幼馴染の登場だけで動揺している自分を知られたら、絶対にからかわれるに決まっている。日毎にいつもの調子を取り戻してきた母の相手をするのは大変なのだ。何かの拍子にまた落ち込まれたら、食事や睡眠の手助けをしなければならなくなる。からかわれたらきつい言葉を浴びせてしまうかもしれない。言動には十分な注意を払わなければ。


「宗一郎くんは今何してるの? 仕事辞めたらしいけど、まさか一日中家でぼーっとしているわけじゃないよね?」


 夕食を食べていると、美佳子が遠慮なく宗一郎のプライベートについて聞いてきた。見かけは清楚なのにデリカシーに乏しいのは相変わらずだ。


「今は前の会社の同僚が小説を書くっていうからそれの手伝いをしてるんだ。それが一段落したら就職活動をする予定だよ」

「へぇ、ジャンルは?」

「ホラーだ。内容は……ええと、鍵が出てくる。これ以上は教えられない。完成してからのお楽しみだ」

「ええー!」

「許可が取れたら教えてやっても良いが、あいつはスマホを持ってないし、昨日飲んだばかりだから次の飲み会はまだ先だ。悪いな」

「まあ、しょうがないかぁ……宗一郎くんは手伝いをしてるんだよね。資料とか探してるの?」

「そんなところだ。今日も図書館でいろんなホラー小説を読んだよ。そうだ、何か怖い話ないか? 参考にしたいんだ」

「……それって、実際にあった話でも大丈夫?」

「願ったり叶ったりだ」

「……じゃあ、ご飯食べてからね」


 悲しげに目を伏せた美佳子はゆっくりとおかずを口の中に入れ、何度も何度も咀嚼をした。

 実体験のようだが、美佳子の様子を見るにかなり重い話のようだ。聞く前に母を寝かせるべきだろう。宗一郎は母が食べ終わるのと同時にもう寝ようと促し、寝室に入ったのを確認していつもは任せっぱなしの皿洗いを洗い始めた。

 そして、母がすっかり寝入ってしまった頃、美佳子と二人っきりのリビングで彼女の話に耳を傾けた。

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