第10話
松末が最後まで読んだのを確認して声をかける。
「これがネットで見つけた話だ」
張り詰めた空気を解くように少し大きな声を出す。松末も息を吐いて柔和な表情になる。
「なるほど……鍵をなくしてはいけない、か。鍵っ子さんのおばあさんは鍵を紛失したら笑顔の妙な男が現れるから気を付けろと言いたかったのでしょうか」
「たぶんな」
「あの男は鍵を渡していなくなるから危険はないと思うんですけどねぇ」
「でも使ったらどうなるかわからないだろ。お前も清水さんも寸前で回避してるんだから」
「それもそうですね。……あの鍵を使ってドアを開けた瞬間、何者かに突き飛ばされて閉じ込められるってことも考えられますよね」
「ドアを開けたらその先は真っ暗闇で、一度足を踏み入れたら最期――帰らぬ人になってしまった……なんてこともあるだろうな」
「おっ、それは良いですね。採用しましょう」
松末は良いアイデアだと、興奮した様子でメモ帳に書いていく。
「それで、次は小説だったか」
「ああ。こっちにも鍵は出てくるが、メインは笑顔の男のことだ」
*
雨戸れいじ著『莞爾と笑う殺人鬼』
この小説は実際にあった事件を元に書かれた。作家はあまり有名ではない、知る人ぞ知る小説だ。内容は簡潔に言うと笑顔の男に要注意というもので、男を見た目で判断したり甘言に乗ったりすると攫われ、殺されてしまうぞって感じだ。
主人公は探偵で、行方不明になった我が子を探してほしいという親からの依頼で事件に関わった。親子が住む地域では子どもの行方不明事件が頻発していた。独自に捜査をしているせいで警察からやっかまれたり、住民には怪しまれたりと苦労しながら、探偵はついに犯人を突き止める。
行方不明事件の犯人――そいつは隣町に住む青年で、いつも笑っているような顔が特徴の、近隣住民によるとかなり人当たりの良い人物だそうだ。しかしその本性は最悪だった。彼の趣味は人の悲鳴を聴くこと。家には猟奇殺人を題材にしたビデオテープが多数。探偵の見解よると、映像では満足できなくなって実際の人間に手を出したんだろう推理していた。子どもは抵抗力が弱いから襲いやすかったはずだそうだ。
当時は現代より防犯意識が低く、常に鍵を開けたままという家が多かった。そんな家で育った子どもは当然警戒心が薄い。最初は一人でいるところを見計らって「鍵を落としたよ」と声をかけて攫っていたが、行方不明者が増えるにつれて町中の警戒心が上がり、一人でいる子どもが少なくなった。すると今度は老人を狙うようになった。若人に比べれば力が弱いし、よぼよぼであるほど連れ去りやすかっただろう。
誘拐してきた人は自宅で解体した。悲鳴好きの彼は一気に殺すようなことはせず、足や指を一本ずつ薪割り用のなたで切り落とすなど、ギリギリ死なない程度の拷問を続けた。そして、そいつの声に飽きてきたら殺害し、次の人間を見繕う。
それを繰り返し続けて数ヶ月、ついに探偵は住居を突き止められ、男の家は警察に取り囲まれた。そのまま逮捕されるかと思ったが、男は自分の手で命を絶つ道を選んだ。こうして行方不明事件は男の首吊り自殺という形で幕を閉じた。被害者たちの体の一部は冷凍保存をされており、調理して食べていた形跡も見つかったそうだ。どこまでフィクションなのかは作者に聞かないとわからないが、全部本当だとしたら恐ろしい。
ちなみにあまりにも凄惨な事件だったためか、一般人が閲覧できる資料はほとんど出回っていないらしい。警察署内に知り合いがいたので頼んでみたが、あまり良い返事はもらえなかったとあとがきで嘆いている。
*
「どうだった? 興味があったら小説を読んでみてくれ。なかなか面白かったぞ」
「暇を見つけて読んでみますね。それにしてもこの男、犯人像にピッタリだ」
「やっぱりお前もそう思うか。できればもうちょっとこの殺人鬼の資料が欲しいよな」
「あっ、荻田さんが調べてみるのはどうです? どうせ暇なんでしょう」
「酷いなぁ。でも、暇については反論できないし、調べているうちに興味が湧いたのは事実だ。……なぁ、この二つの話を見て考えたんだが、もしかしたらこの行方不明事件の犯人こそ、笑顔で鍵を渡してくる男の正体なんじゃないか? 死んでもなお人の悲鳴が聴きたくて、幽霊になってまで鍵を落とした人、もしくは必要としている人に声をかけてるとか」
「もしそうだとしたら十中八九悪霊だな」
今はちょうどフリーだし、お金が尽きそうになるまで調べてみるのも悪くない。まだ実家にいる予定だし、早々に尽きることはないはず。母の精神が安定したらアパートに帰る気ではいるが、それはもう少し時間がかかると思っている。
「ところで荻田さん、その笑顔で鍵を渡してくる男って名前変えませんか?」
「どうした急に」
松末は真剣な様子でよくわからない提案をしてきた。呼称なんてなんでも良いだろうに。
「ダサい上に長いじゃないですか。それにいちいち笑顔で鍵を渡してくる男なんて言いたくないですよ」
「そうか? 俺は気にしたことないけど」
「小説のタイトルは男をあらわす言葉にしたいんですよ。省略して『笑顔の鍵男』にしてみてもやっぱりちょっと長いし、僕は絶対にそんな小説手に取りません。一言で表せるようなのが好きですね」
「うーん……じゃあどんなのが良いと思うんだ?」
「そうですね……『キーマン』っていうのはどうですか」
「キーマン?」
「僕が書いている小説は鍵を渡してくる男をテーマにしています。英語にすると鍵は『Key』で男が『Man』だから、繋げてキーマンです。それと、キーマンって単語は鍵になる人物を指す言葉ですよね。ピッタリじゃないですか。『笑顔』という単語はなくなりますが、すべての要素をタイトルに詰め込まなくても良いでしょう」
個人的には下手に英語――この場合カタカナ英語か。そんなのを使うほうがダサいと思うのだが、作者である松末が良いというのなら余計な口をはさむのは止めておこう。感性は人それぞれだ。
「まぁタイトルというか呼び名はそれで良いんじゃないか。俺は特にこだわりないし。それよりも肝心の中身はどうなんだ? タイトルも大事だが内容もしっかりしてなきゃ意味ないだろう」
そう言うと松末は目をそらした。さては全然進んでないな。
「実はまだプロットを練ってる段階でして……」
「まだプロットだったのかよ」
「今は登場人物の生死を考えているところで止まっているんだ。荻田さんはどういう展開が好きですか?」
「俺の好み? そうだな……」
登場人物の生死は重要だ。ホラーといえばやはり多数の死亡者だろうか。ただ、あまりにも善人が多いと胸くそ悪い展開になりかねないし、殺しすぎると陳腐になる。悪人が酷い目に遭うなら読者はスカッとするだろうが、ホラーものにその展開は求められていない気がする。松末に書けるだろうか。
次に生存させた場合だが、すべてを解決して平穏に暮らしました、めでたしめでたでは味気ない。印象に残る物語にもならない。特に初心者がやると無味無臭で誰の心にも残らない物語になりやすい。やはり何人か主要登場人物を死亡させるほうが良いだろう。
最後に登場人物の生死不明エンドだが、読者に恐怖を与えるのはこれが一番だと思う。内容がリアルであるほど怖くなるし。松末が書いてる小説は実体験が元になっているから、最後にどうなったかわからないとなると、結末が不明な分、相当な恐怖になるはずだ。
「うん、生死不明が良いと思う」
「登場人物の生死は読者の想像に任せますって感じですか。確かにそのほうが怖いかもしれませんね」
「怪異も解決しないのが良い。もしかしたら自分も……と思える終わりだとトイレに行けなくなるぐらい怖いからな」
宗一郎が読んできたホラーは生死不明で終わることが多かった。自分のすぐそこに怪異が迫っているのではと思うと、怖くて怖くて布団から出られなかった。おねしょをして母を困らせたこともあったなと懐かしんでしまう。
「うんうん、けっこう流れが固まってきました。来週までに大まかなプロットは出来上がりそうです。興が乗れば執筆作業にも入れるかもしれません」
松末は満足そうな顔をして再び宗一郎が持ってきた資料に目線を落とした。
「そうだこれ、持って帰っても良いですか?」
「ああ良いぞ」
「ありがとうございます」
奥様方が虜になりそうな笑顔でお礼を言われる。キーマンの笑顔もこんな感じなのだろうか。わざと鍵をなくして接触を試みるなんて無茶をする気はないが、ちょっと気になってしまう。
そんな考えを見透かすように「本当にキーマンを調べるなら気を付けろよ」と松末に釘を刺される。「わかってるよ」と不機嫌そうに返事をすると、彼はニコリとイヤらしい笑みを浮かべた。
「じゃあ注文しましょうか。もう決まったでしょう?」
「あ」
広げられたメニュー表を見て、まったく決めてなかったことに気が付いた。
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