第9話

 土曜日、仕事終わりの松末と合流して前回と同じ居酒屋に入る。今回も沖縄料理を頼もうかと思ったが、他のメニューも美味しそうで、何を食べようか逡巡してしまう。

 先にまとめた資料を読んでもらおうか。松末が読んでいる間に今日の夕食を決めてしまえば良いんだ。


「なぁ松末。まだ何を頼むか決まってないんだ。だからこの資料を読んでいてほしい。その間に決めるからさ」

「おお良いぞ。僕はもう頼むの決まってますので。ちなみにこの参考資料、期待して良いんだな?」

「もちろん」


 ニヤリと不敵に笑って鞄からノートを取り出す。


「まずはネットの話から読んでほしい。こっちの話を頭に入れてからのほうがわかりやすいと思う」


 ネットで見つけた話をまとめたページを開いて見せる。松末は水が入ったグラスを脇に避けて、能面のような表情でノートに視線を落とした。


 *


『某掲示板の書き込みまとめ』


 これは匿名の書き込み――ハンドルネーム『鍵っ子さん』が祖母から聞いた話だ。鍵っ子さんは子供の頃から鍵だけは絶対になくさないようにと、祖母に言いつけられたきた。いつから言われていたかはわからない。赤子の頃からかもしれないと、自信なさげに述べていた。


 小学校に上がり、物心がついてもなお口を酸っぱくして言うもんだから、鍵っ子さんはついに祖母に問いただした。


「どうして鍵をなくしちゃいけないの?」

「……子どものあんたには話せないわ」

「子ども扱いしないでよ!」

「そうやってムキになるから、あんたはまだ子どもなのよ。もう少し大人しくなりなさい」


 祖母の態度は頑なで、取り付く島もない状態だったらしい。鍵っ子さんの両親と祖父が生きていたら教えてもらえたかもしれないが、あいにく鍵っ子さんが五歳ぐらいの時に事故で亡くなってしまっていた。鍵っ子さんは意地でも祖母の口を割ろうと騒ぎ立て、泣きながら玩具に当たった。それはもう家が破壊されるんじゃないぐらい暴れたそうだが、まあその暴れっぷりっていうのはさすがに掲示板特有の誇張表現だと思う。


 とにかく祖母を説得しようと半日は駄々をこねたが「ダメ」の一点張り。さらに何を言っても黙りっぱなしになってしまった。

 諦めよう。これ以上まとわりついてごはん抜きにされたら困る。そう思った時に、祖母はようやく口を開いた。


「詳細は大人になったら教えてあげるわ。今はとにかく鍵を落としちゃダメ。私はあなたを失いたくないの。これで勘弁して頂戴……必要以上に怖がらせたくないのよ」

「えぇー」

「たった数年の我慢よ。大人になったらちゃんと教えてあげるから。ほら、指切りしましょ」

「……うん」


 祖母が自分を思ってくれているのはわかる。わかっているから指切りに応じたが、それでも定期的に理由を聞いていた。もちろん教えてくれなかったが。


 中学生になるとわざと鍵をなくして祖母を困らせた。祖母は毎回慌てて鍵を探し、見つかったら安堵して「絶対になくさないように。アレがやってくるんだから」と何度も窘めた。


「アレって何さ?」

「怖いものよ」

「なんで鍵をなくすと来るの?」

「そこから先は大人になってから。ずっと思ってたんだけど、あなたはすぐに何でも試そうとするからできれば落ち着くまで話したくないのよ」

「大人って遅すぎるよ。それに、うっかり落として何かあったらどうすんの。……そうだ、十八歳になったらにしない? ほら、最近は十八歳で成人扱いするって動きがあるし」

「そうねぇ……考えておくわ。とにかく、鍵をなくさなきゃ良いんだから、常に気にかけておきなさい」

「はーい」


 返事はしたものの当時の鍵っ子さんは怖いもの知らずの中学生。その後も鍵を落としてなくしたフリをし続けていた。

 落ち着いたのは受験で忙しくなる中学三年生の頃だ。勉強に集中している姿を見ていた祖母は安心した様子だったそうだ。


 高校生になると祖母のボケが目立ち始めた。最初は電気の消し忘れやゴミの捨て忘れ。そして一年後にはコンロを点けっぱなしにして寝る、深夜に徘徊するなど、生活に支障が出てきた。

 自分が学校に行っている間は面倒が見れないから、近所の人の協力を得て祖母は老人ホームに入居することになった。難しい手続きをしてくれた町内会の人達には頭が上がらない。

 しかし、このまま祖母がボケてしまっては「アレ」のことを聞き出せなくなってしまう。十八歳まで残り一年ぐらいだったが、誤差の範囲だろう。高校を卒業する前に完全にボケてしまうかもしれないから、二日後の日曜日に祖母を言いくるめて聞き出すことにした。


 だが、それは叶わなかった。土曜日の夜、祖母は忽然と姿を消してしまったのだ。


 施設から連絡があったのは朝の七時だったが、実はいなくなってすぐに電話をしたそうだが夜中の二時だったせいだろう、鍵っ子さんはすっかり熟睡してたから電話に気付かなかったのだ。

 鍵っ子さんは朝食をそこそこに老人ホームへ向かった。従業員や警察と共に周囲を探したが手がかりはなし。そのまま今日に至るまで見つかっていないそうだ。


 祖母が行方不明になってから数年、鍵っ子さんは今も祖母の言いつけを守ってきちんと鍵を管理している。結婚もして子宝に恵まれた。自分の子どもにも鍵をなくさないよう言っているらしい。「アレ」の正体はわからないが、怖いものだと言っていたのでとりあえず家族を守るためにそうしているのだとか。


 最後の書き込みには、子どもも自分に似て好奇心旺盛で、ダメだと言われるほどやっちゃう質だから大変だとボヤいていた。


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