第7話

 翌朝になり、今夜は松末と飲みに行くとあらかじめ母に言っておく。母――荻田麻理恵はようやく夫が亡くなったと実感したようで、少しずつ落ち着きを取り戻してきてる。一時期は葬式が終わっても「修一さんはまだ帰ってこないの?」と落ち着かない様子だったり、「早く帰ってこないとご飯が冷めちゃうわよね」と宗一郎に同意を求めたりしていたが、ここ数日で頻度がかなり減った。


 正直、とても安心した。父である荻田修一が生きていると思い続ける姿を見るのは心苦しかったから。母には早く一人でも生活できるようになってほしい。父も自分にばかり囚われていないで、前向きになってほしいと願っているはずだ。


 もちろん油断は禁物だ。回復したばかりで気が緩んでいる時こそ、再発に備えておくのが大切だ。今はまだ宗一郎が実家に滞在しているから良いが、アパートに戻ってしまったら母は一人になって、ふとしたきっかけで自殺を図ろうとするかもしれない。最低でも安定した状態が一ヶ月は続かない限りアパートには帰れないだろう。


「そうだこれ、菓子折り。この前広宣くんに奢ってもらったんだから、そのお礼に渡しておいてね。忘れちゃ駄目よ」

「いくらなんでもこんな大きいの忘れるわけがないよ」

「あら、そんなのわからないじゃない。宗ちゃんは修一さんに似て忘れっぽいんだから。そうそう見た目も似てきたわね。もうちょっと年を取ればそっくりになるかも。うふふ」


 立ち直ってはきたが、たまに宗一郎に父――荻田修一の影を重ねているような言動をする時がある。できるだけ父と同じ行動をないよう意識しているが、やはり親子だから似通ってしまう部分が出てきてしまう。

 母はそのたびに懐かしそうに目を細める。これも次第に落ち着いていくと思うが、一ヶ月経っても続くようならまだアパートに戻れはしないだろう。


「じゃあ、俺は夜になるまで部屋にいるから。何かあったら呼んでくれよ」


 母から逃げるように父が使っていた部屋に入る。実家にいる間はここが寝起きをする場所になっている。子どもの頃の宗一郎が使っていた部屋は物置と化してしまっているから、仕方なく父の部屋を使っているのだ。


 父が亡くなるのと同時に殺風景になった部屋はまるで死んでいるみたいだった。今は宗一郎が使っているから生活感が出てきたが、郊外のアパートに帰ったらここはまた元の何もない部屋に戻るだろう。もしかしたら鍵をかけられ、二度と開くことがない開かずの間になるかもしれない。そう思うと、なんとも寂しい気持ちになる。


 カチッと、静寂を保っていた空間に目覚まし時計の針の音が響く。こんな音だけでも部屋を使っている人間がいるという証明だ。そうだ、せっかく時間があるのだから撮影しておこう。暇潰しになるし、ふとした時に写真を見て父との思い出を思い返すのも悪くないだろう。


 宗一郎はスマホで部屋を隅々まで撮影し、それをスマホに元から入ってるアプリの『アルバム』に保存した。これでいつでも見返せる。ときどき母に見せるのも良いだろう。この写真には父がいた痕跡はほとんどないけど、部屋の形だけはずっと変わらない。たくさんの出来事が思い浮かぶはずだ。


 写真を撮り終えた宗一郎は、夜になるまで父との楽しい思い出を何度も想起した。これじゃあ母とたいして変わらないなと自嘲しながら。




 夜、今回も松末のおすすめだという居酒屋に案内されて路地裏の入口近くにある店に入る。ここは特に料理が美味しく、お酒よりも食べ物でお腹が満たされるそうだ。


「他にもおすすめはたくさんあるので連れてきたいんですけどね。さすがに一日で全部は回りきれませんからね」

「なんでそんなに良いところいっぱい知ってるんだ? 俺なんてせいぜい二、三件くらいだぞ」

「仕事で関わるお客さんからの情報だよ。熱弁するもんだから気になって、仕事帰りに立ち寄ってしまうんだ。もちろん居酒屋だけじゃないぞ。本屋、ホテル、温泉……あらゆる場所のおすすめスポットを毎日のように聞かされているんだ」

「それは大変そうだな」

「けっこう好奇心を刺激されるから楽しいぞ」

「うーん……俺には向いてなさそうだ」


 宗一郎は自分が保険の営業をやっている姿を想像し、ああ駄目だと首を振る。赤の他人の話を聞き続けられるほど辛抱強くない。一日だけなら我慢できても、これが仕事となってしまうと三日も耐えられずに辞表を出してしまうだろう。


「まあ、人には向き不向きがありますから。僕は意外と向いていたようだ」

「それは俺も驚いたよ。あの無愛想な松末が営業をしてるなんてな。俺と同じ、コミュニケーションは苦手なタイプだと思ってたのに」

「人生、わからないものだな……って、そんな話よりさっさと注文しましょう。これメニュー表です。この沖縄料理がおすすめですよ」

「ほう」


 いったん話を打ち切り、でかでかと料理の写真が載っているメニュー表に目を通す。松末がおすすめだという沖縄料理は今季限定だそうだ。期間限定と書かれていると食べてみたくなる。この時ばかりは限定品に目がない女性の気持ちがよくわかる。


「よし、じゃあこの沖縄料理と、アヒージョ、サラダ……だし巻きたまごも美味しそうだ。焼き鳥アラカルトも食べたいな。よし、全部頼もう」

「決まったんなら呼び出しボタン押しますよ」

「お前は良いのか?」

「僕はもう決まってますので。この店にはけっこう来るのでメニュー覚えちゃったんです」

「ふぅん。ま、とりあえずこれで良いぞ。足りなかったらまた注文するから」


 松末が力強くボタンを押すと、遠くからピンポンとチャイムの音が鳴り、間もなくやってきた中年の女性に料理名を伝える。


「最新の居酒屋はタッチパネルで注文できるけど、やっぱり口で伝えるのが良いですね。なんでもかんでも機械なのはついていけません」

「年寄りくさいなぁ。俺はあまり喋りたくないからタッチパネルの方が好きだぞ」

「荻田さんは今どきの若者ですね」

「同じ年だろうが」

「アハハ! そうでした」


 しばらく他愛もない話で談笑していると「失礼します」という声と共に、次々と注文した料理が運ばれてきた。テーブルは皿で埋め尽くされ、全ての料理を運び終える頃にはもう何も置けない状態になっていた。


「……これ以上頼まなくて良かったな」

「壮観ですねぇ……じゃ、いただきましょうか」


 手を合わせて「いただきます」と声を揃え、まずはゴーヤがふんだんに使われている沖縄料理に手を出す。置かれた瞬間から気になっていたのだ。ゴーヤといえば独特の苦味だが、しっかり下ごしらえしてあるおかげか、あまり苦くない。これなら子供でも食べられそうだ。個人的にはもう少し苦くても良かったのだが、これはこれで食べやすいので悪くない。苦味が得意ではない人でも美味しく食べられると思う。


 他の料理にも手を出してみると、想像を越えた味が口に広がった。居酒屋の料理とは思えない味に舌鼓を打つ。確かにこれはお酒よりも食事で腹が満たされる。父が生きている間に連れてきたかったと、叶うことのない願望が頭をよぎる。


「どうしました?」

「いや……料理、美味しいなって」

「そうでしょう、そうでしょう」

「だから親父と食べたかったなぁって」

「ああ……」


 空気が重たくなる。


「ま、死んだら親父と思う存分飲むし、たくさん食べてやるさ!」

「そうだな、それが良い。荻田さんが亡くなる頃にはここの料理人もあの世に行ってるから、好きなだけ作ってもらえますよ」

「そいつは楽しみだ。今のうちに仲良くなって一番に作ってもらおうかな」


 しんみりとした空気を払拭するように明るい雰囲気を作って、今度はお酒を煽る。すでに腹一杯であまり飲めないし酔いもしないだろうが、気分が沈んだままよりずっと良い。


「そうだそうだ、SNSでお前の話に似た小説を見つけたんだよ」


 思っていたより会話が続いて忘れそうになっていたが、わざわざちゃんと話のネタを探したんだ。話さずに飲み会を終えるのはもったいない。


「どんなやつだ?」

「ちょっと待ってろ」


 尻ポケットからスマホを取り出して件のアカウントを表示する。小説が削除されていなくてホッとする。


「これなんだが、実はお前のアカウントだったりしないよな」

「スマホは知っての通り持ってないし、パソコンもないので違いますよ」

「パソコンもないのか……」


 ノートパソコンなら持ってるんじゃないかと思ったが、どうやら松末は電子機器とは無縁の生活を送っているようだ。現代社会においてそれは不便だろうに。


 思えば昔はどうやって暇を潰していたのだろう。インターネットの普及で簡単に世界中の人と繋がるようになってから数十年、宗一郎はすっかりネットの虜になってしまっていた。もうネットがない生活は考えられないから、スマホもパソコンも持たない松末の日常がまったく想像できない。


「休日は何してるんだ。まさか一日中小説を書いてるわけじゃないだろう?」

「え、ほとんど小説に費やしていますよ。手書きですからね。早く書かないと締め切りまで間に合いません」

「マジかよ。よく集中力保てるな」

「慣れですよ、慣れ。人間、好きなことにはいくらでも集中できるもんです」

「そうかなぁ……」

「そんなことより、小説見せてくれよ。参考にしますから」

「ああ」


 松末にスマホを渡して操作方法を説明する。「やっぱり難しいな」とボヤいていたが、五分後にはタップミスをせずスムーズにスクロールできるようになった。それでもあまり好きじゃないのか、眉間にシワを寄せながら操作している。松末はガラケーは使いこなしていたが、スマホとは相性が悪いのだろう。意外な弱点だ。


 小説を読んでいる松末の表情が驚愕に変わる。そして「ほとんど同じじゃないか……」と呟くと、もう一度上にスクロールしてまた最初からじっくりと読み始めた。




「いやぁ……驚いた驚いた」

「随分と夢中になって読んでいたな」

「そりゃそうだよ。実はちょっと半信半疑だったからな。疲れてたから幻覚でも見てたんじゃないかって。でも、これを読んでアレは本当の体験だったんだと確信を持てた」


 松末はすっかり興奮した様子で瓶底に残っていた僅かな酒を飲む。


「で、参考になるかなと思って見せたんだが、どうなんだ」

「あー……それなんですが、小説の内容とほぼ一緒なんです。このままだと盗作認定されかねません」

「パクられたって言われたら困るな。あっちが先に投稿したから不利だ」

「それなら、荻田さん名義でこの清水って人にメッセージを送りましょう。それで許可を貰えば良いんです。文面は僕が考えますよ」

「俺の名前でかぁ……ま、良いか」


 完全な素面だったら断っていただろう。SNS上では一度もメッセージを送ったことがないからハードルが高いのだ。しかし、今はあまり酔ってないとはいえ酒が入っている。それが宗一郎を後押しした。


「えーと、『小説読ませていただきました。大変面白かったです。実は僕も似たような体験をしていまして、それを元に小説を書いています。内容が被ってしまいますが大丈夫でしょうか?』……これで良いのか? 堅苦しくないか?」

「素人の僕に聞かないでください。そういうのは荻田さんのほうが詳しいんじゃないですか?」

「俺は普段独り言みたいな内容しか投稿してないから、誰かに向けたメッセージは考えたことないんだ。だからこの文章で良いのか判断できん」

「……とりあえず送ってみましょうか。駄目だったら諦めて思い切って内容を変えますよ」


 送信ボタンを押して返信を待つ。数分前にログインしていると表示されていたから、もしかしたらすぐに返事をもらえるかもしれない。


 五分、十分、十五分――スマホが振動してランプがチカチカと点灯し始めた。画面を見ると【メッセージがあります】とお知らせが来ていた。


「おっと来たか。なになに……『メッセージありがとうございます。同じ体験をしているなんてびっくりしました。内容被りは気にしないでください。自分の体験が参考になれば幸いです。小説、頑張ってください』だってさ」

「応援されると嬉しいですね。じゃあ完成したら読者一号ってことで最初に見てもらいますかね」

「ああ、それが良い」

「よーし頑張りますか! まずは景気づけに、ここで度数が一番高いお酒を飲みましょう!」

「あんまり飲みすぎるなよ……」


 夜はまだまだ長い。明日の松末は二日酔いで悩まされそうだ。松末にノセられて飲みすぎないようにしよう。宗一郎は意志を強く持ってから、口直しのデザートを注文した。

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