第3話

「ふぅーっ食った食った! ごちそうさま!」

「すっげぇ速さで食ったな……そうだデザートはどうするんだ?」

「うーん。今回は止めておこう。スマートな体を維持するのも仕事の内ですし」

「そうなのか。あんまり関係ないように思えるが」

「巨体だと怖がる人がいるんでね。それに不潔だと思われる。細身で、清潔感があったら受けが良いですよ。よく奥様方から松末さんはイケメンだから契約しちゃおうかなーって言われるんだ」

「ふーん」

「荻田さんも身なりに気を遣えばモテますよ。素養は悪くない」


 タメ口と敬語が混ざった妙な口調でお洒落の何たるかを語り始める松末。見た目に拘るやつでもなかったのに、今どきの若者みたいに目を輝かせながらファッションブランドを批評しはじめた。正直、ファッションには興味ないから何を言ってるのか理解できない。


「……というわけで、荻田さんもどうですこのブランド」

「え、ああ……ええと、デン、デン? ジャー……なんだっけ」

「デンジャー・ルームですよ。年寄りじゃないんだから、横文字くらいちゃんと読んでくれ。そんなに服に興味ないんですか。これを機にちょっとは覚えましょうよ」

「うっ、すまん……」

「ま、良いさ。このブランドは名前の通り刺激的な服が多いんだ。男物を多く扱っているし、値段が安価だからお小遣いが少ないお父さんにも大人気。ただ、どぎつい色が多数を占めているから、合わない人はとことん合わないのが欠点だな」

「俺には似合わないような気がするんだが」

「荻田さんなら大丈夫ですよ。精悍な顔立ちだから、背筋を伸ばして堂々としてれば真っ赤でも全身黒でもなんだって似合うって」

「はぁ」


 ここまで褒められても乗り気しない。安価なのは惹かれるが、シンプルな服のほうが好きだからどぎつい色ってだけで敬遠してしまう。


「これで気になるあの娘の心も鷲掴みですよ!」

「い、いや、だから、あのバイトの子はそんなんじゃ……」

「バイトの子だなんて言ってませんよ」

「あ」

「ははは! まぁわかってるよ。荻田さんにそんな気はないってことぐらい。本命がいるんだから。ええと……美佳子ちゃん、だったか?」

「いやいやいや。あいつも違うから! 幼馴染だけどもう何年も会ってないし、遊んでたのは小学生までだったんだから。あいつだっていい年だし、結婚前提に付き合ってる彼氏ぐらいいるだろ」

「そうですかねぇ」

「そうに決まってるさ。つーかさっきから俺のことばっかりあれこれ聞きやがって……そういうお前はどうなんだよ」

「仕事が恋人だな」

「ああ……うん、そうだった。浮いた話なんて一つもないやつだったなお前は……」


 松末は今でこそ女性ウケする態度だが、一緒に働いていた頃は同性でさえ近寄り難い男だった。上司が下世話な話で盛り上がっていても我関せずを貫いて仕事に没頭している。話題を振っても「今忙しいから」とあしらっていた。

 今でも宗一郎が想像している松末はそんな男だ。目の前にいる男とはかけ離れすぎている。


「仕事といえば、荻田さんは何をしてるんですか?」

「今はフリーなんだ。数日前までは居酒屋で接客してたんだがな、経営者が変わっちまってブラック企業になりそうだったんだ。だから、本格的なブラック労働が始まる前に退職した。とりあえず半年は遊べる金があるし、のんびり次を探しつつ、今は実家で不幸があったから、新宿に戻ってきてぶらぶらしてるわけ」

「そんな事情があったんだな。いつアパートに帰るんですか?」

「うーん……おふくろの気持ちが整理されたら、かな? ニ、三ヶ月すれば落ち着くと思うんだが、まぁ現状は様子見だ」

「そうですか。……悪いな、言いにくいこと聞いて」

「いや、気にするな」


 察しの良い松末だ。今の話で父が亡くなったことに気付いただろう。愛想が悪い割には人の表情や行動に機敏に反応して、わかりにくい気遣いをするのだ。


「さて、ちょっと小腹が空いたし、デザートでも頼もうかな。松末、本当にいらないんだな?」

「ええ」

「すいませーん!」


 重たくなった雰囲気を一掃するように声を張ると、奥の方から先程のバイトの女の子が出てきた。ふと気になったが接客スタッフは彼女だけなのだろうか。


「抹茶モンブランを一つ」

「は、はい。少々お時間をいただきますが、よろしいでしょうか」

「大丈夫です」


 ペコペコとお辞儀をし、黙々と珈琲を挽いている男性の元へ行く。小さく「店長」という単語が聞こえてきた。やはりあの男性が店長だったのか。


「店長一人と接客スタッフ一人で経営してんのかな。大変そうだ」

「小さいカフェだから、きっと二人でも余裕なんだろう」

「……俺達の会社はたくさん人がいたのに倒産したな」

「倒産に人数は関係ないだろう。新田社長のミスが原因で一気に経営不振になったんだから」

「あの時は本当にびっくりしたよな」


 宗一郎と松末が共に働いていた会社――『新田建設』は日本全体の不況、需要の減退、値段の高さなどを読みきれなかった新田社長が無理な経営をして倒産してしまったのだ。致命的な原因は一般社員であった宗一郎たちの知るところではなかったが、新田が知人の借金を肩代わりして会社のお金を使ったのが原因だとウワサされていた。新田本人からは濁されただけで真相は聞けなかったが。


 あの頃は今とは考えられないぐらい輝いていた。松末とは年が近いから、競うように建築技術を磨いていった。先輩や後輩から「二人は生涯のライバルだな」と言われていたぐらいだ。それが、社長の倒産宣言で宗一郎の熱意は急激に冷めてしまった。もう当時のような熱い気持ちを持つことはないだろう。


 松末も同じだと思っていた。社長が土下座をしたのを見て、彼はひどく憤慨していた。怒りのままに二人で酒を煽り、悲しみを分かち合ったあの頃。もう会うことはないだろうと思っていたのに、今日、二年ぶりに再会した松末は新たな職を見つけ、生き生きと働いている。居酒屋を辞め、フリーでぶらぶらしている自分とは正反対だ。


「僕たち、社長の倒産宣言の後に仲良くなったんですよね。懐かしいなぁ」

「ああ、ずっとこいつには負けねぇって思いながら仕事してたもんな。友達みたいに仲良くするって発想がなかった」

「僕もだ」


 あの出来事がなければ今こうして松末と食事をともにすることもなかったのだろう。まったく、何が起こるかわからないものだ。


「お待たせしました」

「あ、どうも」


 抹茶モンブランを乗せた皿が宗一郎の前に置かれ、新たな注文表がテーブルの端に置かれる。一旦会話を中断し、フォークで生地を掬ってクリームを纏わせる。零れる前に口に含むと、栗の甘い味わいと抹茶の苦味が口の中に広がった。


「んん~美味い! 絶品だ!」


 やはり市販のものを買うより、カフェやデザート専門のお店で食べるのが良い。ただ、男一人で入店するには勇気がいる。

 以前、どうしてもケーキが食べたくなって、一人で店内に入ったら一斉に視線を受けたのはなかなか堪えた。女性は甘い物が好きとよく聞くが、男性だって甘い物は大好きだ。食べに行くぐらい許してほしい。


「合計は……だいたい二千円ぐらいか。今回は僕が払うよ。ちゃんと職に就いてるからね」

「えっ、マジか。いやーなんだか悪いな」

「次は奢ってくださいよ」

「おう。任せとけ」


 抹茶モンブランを平らげ、下腹を擦って一息つく。奢ってもらうのは気が引けるが、松末は一度決めたら余程のことがない限り発言を覆さない男だ。怒らせてしまうより全額払ってもらう方が良い。


「ん? また俺と会うのか?」

「当たり前じゃないか。せっかく再会したんですし」

「ああすまん、そうだよな。前に働いてた居酒屋は学生が多くてすぐに辞めてったから、ついお別れ癖が出てしまった」

「何だそれ」

「大抵の人間とは一生に一度しか会わないじゃないか。特に年が離れた学生なんてバイト以外じゃあ接点がない。街中でばったりと出くわすこともあるだろうが、そんなのはしょっちゅうあるわけじゃない。だから基本的に一回別れたら終わり。二度と会うことはない。お前ともこの食事が終わったらお別れだと思っちゃったんだ。すまんすまん」

「ふぅん。僕は毎日同じ人に会いますよ。そうしないと警戒して、契約してくれないからな。そういや会社の同僚も入社してから一人も変わってないな」

「会社の顔ぶれが変わらないのは良い職場って証拠だな。いちいち顔と名前を覚えなくて済むのは羨ましい。ていうか、保険の営業ってやっぱり最初は怪しい奴だって思われるのか」

「一言も喋らせてもらえないことがよくあるな。顔見知りになって、世間話で仲良くなって、保険の紹介をして、それからようやく契約の話が出来るって感じだな」

「それは大変だ。俺には絶対向かない」

「たしかに仕事としてはあまりお勧めはできないな。中にはとんでもない人間もいるし」


 難客を思い出したのか、松末はおかしそうに笑った。

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