汚いけど、と本人が言うとおり、彼の部屋は雑然としていた。物が多すぎて収納が追いつかないというより、最初から収納する気がないような散らかりようだった。私は以前テレビでやっていた「物を捨てられない女」という特集で紹介されていた部屋を思い出した。

「ま、適当なとこに座ってよ」

 適当。私はその言葉を自分で考えた。それから、すぐ近くにあった床に目をつけた。そこにあったガラクタみたいなよくわからないものを大雑把に脇へどけて、むきだしのフローリングに座る。

「なにか、飲み物いる?」

「いえ」

 短く、それだけを答える。すると、彼はそっと苦笑した。

「どうしてわかったの?」

 そこにあるのはあの顔だった。カウボーイコスチュームでキメる桜井くんの面影はどこにもない。

 私は今までのことを包み隠さず話した。書店でよく見かけるようになった人。その人は小人をいやに気にしていたこと。それからあの日階段で聞いてしまった会話。だから今日こうして会ってもらっているのだと。

 聞いているあいだ、彼はときおりからだを揺する以外はじっと黙って目を瞑っていた。その動作はまさにあの三人の小人がやる動作にそっくりだった。

 私が話し終えると、彼はゆっくりと口を開いた。

「壁に耳あり障子に目ありとはよく言ったものだね」

「ごめんなさい。盗み聞きするつもりじゃなかったんです」

 自分でも真っ赤な嘘だとわかる。だけど彼はそれを追及してこなかった。

「どう? 作者に会ってみた気持ちは。幻滅したんじゃない? こんな部屋でひとり、悶々として書いてたんだよ」

 そう言って下卑た笑みを浮かべる。

 確かに、一般的な常識に照らしあわせると、ここは最低の部屋だった。部屋の隅に転がっているゴミ箱にはティッシュが白い山を作っているし、文机のパソコンの隣には小さな灰皿があって、納まりきれなくなった吸殻がはみ出して灰をぶちまけている。ヤニで黄ばんだ冷風扇の上にはビールの缶がいくつかあって、横倒しになった缶から垂れたものか、床のプリントには黄色い染みが広がっている。ほんとうに、外からはわからないものだと思う。

「嬉しく、ないんですか」

「なにが?」

「ここにファンがいるんですよ。とびっきりの、本がすこしでも汚れたら買い換えないと気がすまないような熱狂的な女の子が」

 安い挑発だった。彼はふっと笑い、

「きみは、変なことを言うね」と言った。「聞いてたんだろう? 俺はあんな幼稚なものはもう書かない。ほら、今度は俺の番だよ。きみはどうする。ここにきみの大好きな作品をけなすやつがいるよ。憎くないの?」

 憎いというのとはすこし違った。けれども悲しいでもない。もちろん愛しいでも、切ないでもない。

「あなたは、小人のことが好きだったんじゃないんですか」

「あなた? あなたって誰。俺のこと? それとも宙みすずとかいう架空の人物のこと?」

 言葉遊びだ、と思った。そんなの、どっちでもあってどっちでもないし、心底どっちでもいい。

「だって、あんなに熱心に自作を確かめてたじゃないですか。足しげく書店に通ってたのは小人の売り上げをチェックするためでしょう? それで確認するために立ち読みして、あんなに満足そうな顔してたじゃないですか」

「俺が良識のある人間だったら、きみをストーカーとして認識しているところだよ、それ。なに? きみは俺のことが好きなの?」

 彼の瞳は、なにか奇妙な色で輝いていた。あの、あのときのギラギラした目だった。

「否定はできません。できたとしても、しない自信があります」

「ご立派なことだね」

 彼は手を叩きながらそう言った。まるで安い挑発だった。自分が芝居の役者になった気がしている。それも三流の。おかしなほど現実感がない。私は、あらかじめ台本に書かれている台詞を読むかのように淡々と話している。

「いったいなにがあったんですか。先々月号、最後に掲載された小人の話からおかしくなってます。なにかあったんでしょう?」

「なにも。なにもないよ。しいて言えば、俺のなかで変化があった。いい本をたくさん読んだ。ただそれだけ。考えてみてよ。今までがおかしかったんだから。あの話で、小人はやっと正常に戻ったんだよ。まさに、夢を見る時間は終わり、だ」

 それがあの話の章題であるとすぐにわかった。それだけ、私が小人を読みこんでいるという証拠だった。

 だったら。

「だったら、どうしてその台詞を小人に言わせなかったんですか。どうして夢を見る時間は終わり、という台詞が小学校の先生の口から出ちゃうんですか」

 彼はそこではじめて言葉に詰まった。なにか考えるように右手を唇にあてる。そういう小さな動作のひとつひとつが小人の動作そのままで、やりきれない。

「あれだ。そういう、キャラにあわないことを彼らにさせるのは忍びなかった。曲がりなりにも二年間俺の懐を暖めてくれてたやつらだし」

「嘘ですね」

 間髪入れずに言った。三流芝居が、予想もしなかったアドリブによってどこかに転がり始めた、気がする。

「あなたは、口ではやめると言ってるけど、小人の復活の道を残してる。自分がどうにもならなくなったときすぐ逃げこめるように。小人に、しがみついて」

「違う!」

 彼の口から唾が飛んで私の脚にかかった。私はそれを軽く拭う。

「結局、あなたはなにも捨てられない。この部屋に溜まってるゴミだって、なんにも捨てられない」

「捨てられるさ」

「じゃあ、どうして捨てないんですか? 小人が掲載されたのは先々月ですよ? そのあいだ、この地域では一度もゴミ収集車が来なかったんですか?」

「ゴミじゃ……ゴミじゃないんだよ……」

 彼はうな垂れてしまう。その姿が、完全にかぶった。彼はきっと、小人に出てきたあの小学生の男の子だった。

「あなたは、卑怯だ」

 その瞬間、彼の顔が跳ねるようにして上がった。そしてその目。

 なにかの激しい感情を宿しているような、そのじつ自分以外のなにも映していないような、私の、私の記憶を揺り動かすような、あの目だった。

 今までで一番強く思う。

 彼の背中を、もう一度見たい。

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