第2章 学園風景

Episode2

 

 「チリリリ、チリリリリ、チリッ」けたたましく鳴るアラームの音で明依は目を覚ます。

(まだ6時か……)

もう少し寝ようかなと思っていたけれど、廊下から澄み渡ってくる朝食の具材の香りが朝だということを知らせていた。

 

「明依、もうすぐ学校行かないと遅刻するよ!」何やら母は焦っているようだ。

「お母さん、まだ6時だし、昨日は早く学校着きすぎちゃったし。」

それだけ言い残すと明依はまたベッドへと戻る。


「ていうか焼きすぎじゃない!!この目玉やき」


「目玉やきはこのぐらいが丁度いいの」

 母娘の声は家中に響き渡っていた。そんなやりとりをしても、まだ6時と10分ちょっと過ぎただけである。カーテンを照らすオレンジ色の朝日と心地良い空気が明依の部屋を優しく彩り、眠気を誘っていた。


(あぁ、昨日の人はあの人に似てたなぁ……)というのも明依の初恋の人だ。


「ちょっと、この本って返す予定だったんじゃないの?」

何やらフライパンらしき物を持ちながら、明依が先日借りた小説2冊を手に取り、明依を促している。

「ハッ。あやうく二度寝する所だった。ってお母さん!?あれ?焦げてない」

部屋中は焦げくさい匂いが漂っているというのに――。


「ちょっと!人の部屋勝手に入らないでよ」呆れた顔で明依が言っても母は全く気にしない様子だった。


 母は昔から時間に厳しい人で、父が単身赴任中もこうして娘を起こすのが毎日の習慣であり、母の役目だ。姉が死ぬ前も2人の娘をフライパンをトングで叩きながら(叩くのは大袈裟だけど)起こしていた。勉強にはうるさくないけれど、管理してくれているのは母で生活の特に洋服なんかは洗濯から片付けまで全てやってもらっている。

そう、一家を女手ひとつで母が支えているのだ。父はいないだけで当然亡くなったわけではない。数年前に仕事で海外に行ったまま、未だに帰ってこない。どうやら、日本の仕事よりそっちの仕事の方が父に向いているらしい。姉が死んだ事は父も知ってはいる。でも日本――家には帰ってこなかった。


「その手に持ってる本は昨日借りたやつだし。あの本はもうその時返したはずだわ。」と明依が言う。


「あら、ごめんなさいねー。」謝る気持ちは微塵もないかのようにそう言いながら明るく振る舞う。昔から性格は明依にとても似ている。


「ほら、見て。さっき言ってた目玉やき、いい感じに焦げ目が付いてて、とっても美味しそうでしょう?」と自慢げに母は言った。確かに少し焦げくさいというだけで、中からはジュワーっと芳ばしい香りがする。

案外、明依は匂いに敏感なほうだった。

それが事件捜査にも役立ってくれるといいが。


    *************


 今日も明るい声で挨拶をし、家を後にして学校に向かう。いつも通りの朝の風景だ。明依の家はよく声が響き渡るが、あれは単に親子の声が大きいからではなく、40年ほど前から変わらない昔ながらの家だからだ。外装、内装ともにずっとリフォームされていない上に、娘が子供の頃につけた壁の傷などが両親にとっては忘れられない思い出だからと修理を施していなかった。

外装なんかは昭和時代を思い出すかのようなそんな雰囲気を醸し出していた。家の中も台所、廊下、壁など辺りを見渡しても誰が見ても古い造り、家風になっていた。ただ、海憂と明依の部屋だけは部屋全体を母が娘を生む前に夫には内緒で美しく新しい部屋に生まれ変わらせていた。

ちょっとしたバージョンアップ、リフォームみたいなものである。一応、業者に頼んでいた。特に父が古風な家にこだわりがあって、娘が「リフォームしたい」と懇願しても聞く耳を持ってくれなかった。


PMMをしても家は全く変わっていない。変わったのは人々の心、物事だけであろうか。つまり、人が変わっただけである。それから海が以前に比べてちょっとだけ。

PMMとはピースメイクマジックの略で、世界が平和になり、人の脳といっても(海憂に関しての)記憶が消される海憂がかけた呪いの俗称のこと。少なくとも捜査関係者(警察、この現象について調べている専門家や個人で追求している溯夜のような謎の人物)はそう呼んでいる。

後に溯夜に続いて明依やその周りの友人もそう呼び始めることになる。


    *************


 学校に着いてすぐの頃。始まりのHRの前の休み時間だ。明依はぼーっとしながら窓の外をじっと考え事をしながら見ていた。

(明日は今と変わらず来るのか。50年に一度訪れる渦って実際どういうものなのだろう。溯夜さんの言っていたとおり、いじめている人もいじめられている人もいないな。ましてや、自殺とか殺人とかテロなんていう言葉もニュースに出てこないしね。ニュースに流れているものといえば……あれ?テレビつけてもニュースってやってたっけ?私、最近の天気予報と動物番組しか見てなかった気が……する)


「ねえねえ、近頃、一週間くらい前から今までなら何でもいいよ。どんなニュースやってたか覚えてる?」


「ニュース?」きょとんとした顔をしている。

その反応に明依は疑問に思った。

「て。え、ちょっとまって“ニュース”って何?どういう意味?ニュースってやるものだっけ?NEWSっていうアイドルグループなら知ってるけど。この前、コンサートやってたよね?」と友達は言った。


この友達の名前は宇奈月咲花うなづき さいか。可愛らしい名前でペンネームのように思えるが本名である。

部活は茶道を専攻していて、お菓子が大好きな女の子。茶道部に入部したのもお茶菓子目当てだって昔、話していたのを明依は今でも覚えている。いわば、THE現代といったような今を象徴する、ファッションに興味があり、スイーツ女子で、カッコいい男性を夢みるどこにでもいそうな女子中学生である。ちなみにJK用語も多用し、流行に乗ったりもする。

クラスで孤立する地味で冴えないクールな女子とは対照的。もう本当にお菓子が好きで将来はパティシエールになるんじゃないかというくらい、お菓子を作るのが上手なのが彼女の取り柄。お菓子だけでなく料理の腕前もいい。度々、お菓子を学校に持ち込んでは先生に怒られていて、その度にヘコんでいる。

その時の言葉が毎回、「せっかく上手く作れたのに……ぴえん」だ。もう口癖と言ってもいいくらい何度も今日こそは、今日こそは、と心に重ね続けている。

余談だが、茶道部で使う和菓子は全部員の自前で手作りのお菓子を持参してお茶を飲む部活だと入部前は思っていたらしい。だから、料理がいっこうに上手くならないとか家庭科部の方が良かったんじゃないかとかぶつぶつ言いながら毎週部活に行っている。言われてみれば、咲花は家庭科部でもおかしくはない。むしろ、向いていたのかもしれない。


――この世界ではニュースって放送されてないの?――

嫌な予感が明依の脳裏を過った。

「その話って本当?」

明依はすかさず切り返す。しかし、咲花も様子を見ていた水音も明依を見ながら失笑するしかなかった。


藍染水音あいぞめ みおねは大人しい性格で孤立しているのではないかとか恋愛の類についていけないとかで、すごく気に病んでいる。水泳部の副部長で全国大会3位になるほど優秀だが、“そんなにすごくないよ”と謙遜している。水泳部には明依・咲花・帆波・長閑のどかに誘ったけれど誰にも入部してもらえなかった。

実は帆波に片思いしていて同性愛者。その事を誰にも言わず、内緒にしている。

優しくて顔も可愛い。名前を間違えられやすく、若干、腹が立っている。


よくお喋りする親友二人に笑われた明依はその後誰とも話さず、また一人で考え事をしはじめた。

(ニュースがないってことは芸能人のスキャンダルもスポーツの勝敗の結果も勿論、災害の情報も何もないってことか……)

友達に確認して正解だった。けれど明依は不満げな顔でやはり窓を見つめている。明依の席は窓側のため、外の眺めが良い席であった。

明依は鳥を眺めていた。明依はふと鳥がフンをしないことに気づいた。

 

——あれれ?これって不自然じゃない?――


(今まで私が気づかなかっただけだ。ああ、なんてこの世界は不自然で出来ているのだろう。誰かがそんな言葉を口にしていたような……。そういえば人間のトイレすらもう既にないじゃん。鳥のフンが落ちてきて、体のどこかや服が汚れちゃうのはショッキングな出来事かもしれないけどお姉ちゃん、トイレ無くすのはいくら何でもマズいでしょ)そんな事を朝の時間ずっと明依は考えていた。


(あ、そういえば溯夜さんに会おうと思って、、)

(さくやさん、さくやさん、)心の中で彼の名を反芻はんすうする。この前、“つごもりさくあ”だと間違えてるなと感じたので、もう一度、溯夜に確認したのである。すると「さくあ」ではなく「さくや」なのだと理解できた。苗字は明依の脳内ではつごもりのままであるが。それはそれでよしとするか。


その時、丁度1日の初めのチャイムが鳴りだした。“キーンコーン”“カーンコーン”“キーンコーン”カーンコーン~♪


タイミングが悪い。そう明依は思った。ま、昼休みでも会えるし、なんなら放課後、図書室で会えばいいし。

《ズキっ》と胸に刺さるものを感じた。まさか?心不全・狭心症?この歳で!?

そんなことはないとは思うけど。もしかして、私恋してる?いやいや。昨日会ったばかりだし、私がこんなにも早くフォーリンラブするだなんて考えたくなかった。

これからもそのつもりでいよう、うん。


    *************


 それから授業。もう中3で今年が終わるとどこの高校に行こうか悩む、そんなシーズンだ。

これで何度目?と少々怒った様子で明依は黙々と英語の教科書とノートを目で追う。今は過去進行形をやっている。中2でやったのをより複雑化した復習問題を解いている。現在完了形や受け身、未来形、過去分詞など色々いっぱい出てきてややこしい。特に明依は英作文が苦手だった。それを教師の説明を真面目に聞きながら苦手ながらも頑張っている。


こんな時、溯夜さんなら――――って、あの人頭良いの?そのことを知らない明依は見当も付かなかった。でも、昨日のああいう感じだと頭良さそうなイメージだった。

冷ややかな目、爽やかな髪と仕草など何故か何でも軽々と物事をこなす。明依はそういう風に頭の中で連想しつつ、彼を捉えていた。

あぁっ!ってそうじゃない!

パンっと頬を叩くと明依は椅子に座ったまま、冷静に自分を落ち着かせようとしていた。教室中の生徒がまじまじと明依を見ている。

視線を向けられた明依は、はっと我に返った。

「あー舞浜さん。落ちついて下さい。今は授業中ですよ。っその、聞こえてますか?大丈夫ですか(小声)」英語担当の教師にもそう言われてしまった。恥ずかしい。思わず顔が赤くなる。火照ほてった熱い頬を触りながら、こんな経験何年ぶりだろうと感じた。


それにしても分からない。ああ解けない。もう見たくないと思いつつも見なくてはいけない。

明依の苦しみを分かってくれる人は何処にもいない。周りの友達はそれぞれ成績優秀ってわけではないが少なくとも明依よりは良い。


水音は壁を見ながら寝ている(?)けど明依よりは勉強出来る。咲花はお菓子食べながらも黒板を見て、真面目に勉強頑張っている姿が目に映る。

それに比べて私は……

咲花と同じくらい英語苦手で、咲花の部活ない日なんかは放課後や休み時間など勉強に付きあってくれて、でもこの前の中間試験では咲花より悪く、英語ワースト12位だった。

当然、補習を受け、一人問題集に取り組んでいた。もう、机に向かうのは嫌なんだって。そう思ったとしても、時計の針は早まることもなく、呪文のような英文は唱えられて、終わらない問題だけが次々と溜まっていく。一日はその繰り返しだった。


授業が終わるまで明依は苦戦していて、明依を待つこともなく続いていた。

時刻は12時30分。ようやくチャイムが鳴り、明依は開放されたようだった。1時間目と2時間目は波のようにすぅーっと過ぎたが、お腹がへる頃の3・4時間目が2時間ちょっと、ぶっ続けで地獄の英語タイムだった。

そりゃあ勿論、苦手な明依にとってみればつらく苦しい退屈な長い戦いだったに決まっている。








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